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毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

自意識の/沼に沈んで/シニシズム

別に一句読みたかったわけでもなんでもないのですが。

 

 

意識と自意識の隔たりを感じて

仕事以外で人としゃべる機会がめっきり減りました。

かつ、その限られた機会でさえほとんどが好んだ人との会話であり、好まざる会話をもたない場合、ほとんど自分の口から語る言葉のないことに気が付きました。

正確には、何かを論じたり評価したり、或いは他者に問いかける機会のないことに気が付いたのです。

 

なぜそれをしないのか。

それをすることで僅かな関係性を壊す恐れがあることが第一に挙げられます。

そもそも他人はこういったことについて考えているのでしょうか。私が日常生活上の9割を自分のことについてあれこれ考えてキャパシティを少なくしているとして、他者は何割を自己のために割き残りの何割を何に用いているのでしょうか。

 

相も変わらず自意識の沼に浸っている私自身は今もこうしてたとえばニュースを見て批評するとか外界から情報を得ることもせずひとり殻の中に籠っているわけですが、では籠っていない人は一体なにを考えて生きているというのでしょうか。

 

 

ここのところ益々そういった傾向が増していて、休日たとえひとりで外出していようとも意識は心の内側に固く閉じこもっていてこれでは外に出ていても引きこもりと何ら変わらないのではないかと危惧する次第であります。

所詮人間は自分の身に起こることについてしか思いを馳せることはできぬのでそれで構わないのかも知れませんが、それにしたってひどいものです。そうして、自分の内側に籠って延々と考えているわりに、いざ人に何かを求められたところで渡すべき自己はなんら持っていないのです。他者との関係性において表出すべきとされている自我の形成にはそれほど興味がないゆえにでしょう。

 

 

1年間、書を捨てて街に出たわりに、大した成果も生まなかったゆえに、また再び書を手にすることにしました。

どうせ自意識への過集中から逃れることはできんのです。だったらやりたいことを自由にしてあそばせておいたほうがよい成果を生むでしょう。知らんけど。