毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

mixiから:悔しさを噛みしめる(20150104)

愚痴っていくう!!椎名林檎聞きながらぁ!!



ありあまる富




時々自分の愚かさ加減が嫌になります。
あまり考えたくはなかったのですが、ちょっと自分の中に残しておくと体に悪そうなのでここに残しておこうかなと思う。

高校のとき勉強しててそれなりに(あくまでそれなり、何も起こってなければ地方国公立くらい受かったかもね?ってくらいだった)成績良かったから大学とかへの進学を周囲から非常に期待されていたのですが、私自身は芸術方面に行きたかったが故に反発してしまいどうしていいかわかんなくて色々他のストレスも相俟って心が折れたんですけどね。

いや、今の分野で大学行けてたらどうなってただろって思うんですよ。最初から迷わなくて良くて、だったらどうなってたんだろって。
違いをわかりたいというかわかりたくないというかであんまり今までちゃんと調べてこなかったんですけど、結局職能集団である看護師になるためにあえて専門行かずにいわゆる「いい大学」を出る理由は、「今研究している人に師事できること」であるような気がします。
彼ら大学生も一応実習にはいくんですが、結局実習先にあるのはどこでも理不尽なお作法と人権及び居場所のない現場なので、そこは特に大差なさそう。だから、その部分においては別に専門でよかったかなと思います。

負担をかけずに済むとか将来に借金を作りたくないとかそもそも受験するための体力(受験は知的体力を含めて体力勝負であると思う、私は早々に敗退した)がなかったなんて言い訳はよして、真剣に考えたらどうかなって。なんで「そう」しなかったのかなってね。

専門卒業前にして、じゃあ専門って自分にとってなんだったんだろうと思って。

私の場合はその位置づけが明らかに人と違った気がします。
人間社会へ戻るためのリハビリで、ちょっとした成功体験を繰り返して自信を取り戻すための場所だったような感じ。それは実は入学前にも思ってきたことなんですけど、色々経験して改めて、やっぱりリハビリだったんだなぁと思います。
そして今思えばかなり過酷な荒療治だったような気もする。だからといって、特に何も思わないけど。そういう意味では、意外と自分にバイタリティあったのかも知れない。時々する突拍子もない選択はまぁまぁいい線いってるっていうのに無駄な自信があります。無駄すぎるけど



▼いろはにほへと



でね、知的な体力も実際の体力もなかったが故に専門に来たってことがのちにどう響くかなって今から考えているんです。
臨床で働くのにあまり問題がなさそうというのはだんだんわかってきたので、あとは自分のコミュ力のなささえカバーできればなんとかなるでしょう。こればかりはもう、繕っても繕ってもどうにもならないので半分あきらめ気味です。治らないものを治そうとするより、そこを最低限庇って得意なところを伸ばした方が自分にも周りにも有利だと思う。

けどその得意なところって今自分が得意だと思っているだけで、実際世の中で位置づけたときに全然得意といえるほど秀でても優れてもいないことはよくわかっているんですよ。不出来な自分がちょっとでも得意な部分を前面にもってきたところでさらにそこを得意としている人に敵うわけがないんです。そんなに戦うつもりはないけど。

なんとなく、基礎研究的なものをするためにはやっぱり思考能力が足りないなって常々思う。

なんちゅうかセンスがない。よきインタビュアーになれない奴によき回答者になる資格はない。
最近普通に何でもない関係の人を相手にしゃべっていてさえ、この人の良さを引き出せないのは私に質問や会話のセンスがないからだ、って強く思ってしまう。もうコミュニケーションの手法を問わず、そう。だから今こうやって一方的に喋ることでしかジレンマを解決できない。人に聞いてもらったら確実に途中で嫌になって喋るのやめちゃいますね。嫌なんですよ自分ばっかり喋るの、センスないし。おもろないんですようするに。おもろくないから喋るのやめちゃおってなる。

これが、学問の分野にも適用されていって、思考訓練を受けていない私の発想はたぶん私だけでは完成できないだろうことが容易に予想されるんですよ。だとしたら思考訓練が必要だ。けど、訓練を受けたところで果たしてこのセンスのなさは解決され得るか?という疑問が残ります。そうなったら、もう、自分が自分のために好きで学んでるだけでなんの還元もできない学びになるでしょう。でもそれも余裕があるなら良いかなって思います。趣味:勉強とかでも。

そこのレベルまで面白くなさを引っ張って、なお特異性を誇れる部分があるとしたら、それは哲学とか宗教学とか文化人類学という名称を戴く分野が好きなことだと思う。きちんと学んだことは一度足りとてないけどな!
なんで好きかと言われるとちょっと困るけど、昔から相性が良かったというそれだけかな。
今のジャンルにだけ足を突っ込んでいると、本当に科学的な部分しかないので、いうたら数学的思考が身についていない私にはちょっとついていけない部分があるんですよね。統計の読み方も未だにわかんないし、あまりに実際的な研究は難しいんだろうなっていうのがなんとなくある。
でもあまりに文化的な、つまり非科学的なジャンルってのも胡散臭くて嫌なんですよ。というか科学屋さんから胡散臭いって思われるのが嫌なんですよ。あいつらなんでも胡散臭い扱いしてくるからな。そりゃ科学に較べればなんでも胡散臭いっつーの。

でもそれでさえもうやっている先人がいて、まぁやれたところでその後続になるかってところですよ。

つまり、ほんと何やっていいかわかんない。
ただ足りないという感覚だけあって、ついでに時間も足りない。
勉強だけしたいと思ってるけど、それがなんになるかもよくわかってない。
それがそんなにいいことじゃないというか、褒められたことじゃないのがよくわかるんです。趣味、なんですよ。他の人がたとえば、音楽聴いたり、買い物いったり、ゲームしたりするみたいな感覚で勉強するのが好きなだけなんです。でも何も頭には入ってこない。ほんとに。右から左。

それで何の役に立つかってもしかしたら何の役にも立たないかも知れないって今思い始めている。けど、それでいいかなーとも思う。
やっぱり意外とそんなに人生に後悔はしてないかな今のところ。
ただセンスないしほんとおもろくないし自分のおもろくなさに自分で腹立つ。無価値だと思う。今現在の私はおもしろいかどうかにしか価値を感じていないんだろう。



▼女の子は誰でも



ついでに腹が立つところって、この日記で考えているようなことの傍ら、この年の女が考えなきゃいけないようなことを並列して考えるってことですかね。
やっぱり女性はリミットが早い。プラプラ遊んでられないんですよ。腹が立つね!
より現実的により具体的により冷静に計画を詰めていかなきゃいけないときに、そんな思考遊びをしている余裕がないんです。これは悔しい。まぁけど、別に女性に限ったことでもないかなと思いますね。まぁやっぱりいいか。

結局現状に満足というか納得して改善策を見つけられないのがジレンマなんですよ。

理想を持つのは大事なことなんですが、理想よりも必要なのは現状に対する次の手なんです。
そこで考えるのをやめたらただの理想主義者です。
大学にいる間はラブ&ピース唱えて、社会に出た途端社畜生活になり自分の人生計画でいっぱいいっぱいになる今どきの若者です。
私もそうなると思うけど、でも理想主義者であり続けたいじゃない。次の一手が理想に届かないまま人生終わったって良いじゃない。だって理想って時代によって変化し続けるんですよ、追いつくわけないじゃない。

こんな話がしたかったわけじゃないんですが、自分で自分の(いわゆる)女性的な部分ってのが大っ嫌いなんですよ。足手まといにしかならんと思うんですよ。
枚挙に暇がありませんが、たとえばなんだろう。感情に流されやすいとか自分のこと自分で決められない(周囲の影響や評価を非常に受けやすい)とか、実家で養われた悪い部分ってのが嫌いなんです。けど良い部分が養われたから悪い部分が出るんだろう。自分のいいところって思い浮かばないけど、悪い部分が目につくということは良い部分もどっかにはあるんだろう。知覚できないだけで。

疲れたのでやめますおしまい。