毒素感傷文

どうしようもなく感銘を受けてしまう日々のあれこれについて。

異物を内包する社会

ここ最近NICUとか行って色々考えることがあったけどすぐには言葉にならなかった 
それはデリケートな問題だからだろうな 
あまり触れたがらないね、みんな 

ちなみにNICUは新生児集中治療室の略 

先天異常の子とかだっている(この先なる可能性がある子も) 
あと別件で重度心身障害の子とかも関わりがあった 

ネットの言説ではよく見るんだよね、障害者は社会の荷物だとか。 
それを見るのは心苦しいし忍びないけど、でもダウン症は天使とかお花畑なことも言えない。どっちかってえとお花畑のが見てていらいらするし対応に苦慮する。経験者が重い体験を糧にそういえるようになるのと、見ただけの人間が言うのとでは違う。死ねっていう短絡的な暴言よりやってはいけない冒涜だとさえ思う 

想像力の欠如だわ。NICUの空気の重さはICUの重さとは比べ物にならなかった。あんな空気に耐える親に、障害は個性とか言おうもんならぶっ飛ばすわ 

そんな話はさておき、なんでそういう話題が苦しいかって否定できないからよね。幸せを思うなら生かすべきじゃないとかそういうのをよ。虐待とか堕胎なんかもそんな苦しい雰囲気がある。 
でも、 
否定はせず肯定もしない手法を遥か昔に持っていたなと思ってね。 

種の多様性はその種の保存に貢献する。これは生物学の証明だけど、社会でも通用するなと思って。 
つまり、ある日突然交通事故に遭ってあなたが脊髄損傷になったらと想像させて納得させるよりずっとクレバーなんじゃないかと。 
ある日突然、21番染色体トリソミーを持つ人以外に罹患する強烈な感染症が発生したら、意地でも染色体には勝てない。別にダウン症じゃなくてもいいけど。 
事実、特有の病気を発症する塩基配列はいくつも見つかっている。 
多分、それらは多様性を求められる。完璧な個体は存在し得ないから。ミトコンドリア・イヴのような架空の存在よ。 

家畜や作物が今の形になったのだって、かつての種の変異を人間が意図的に選別したからだし。それで口蹄疫とか虫害とかなるのは何も家畜や作物だけではない。 

これを社会通念に応用すると、発達障害やら精神障害にも適用できる。或いは特定の性格にも。つまり自分が個性ないしマジョリティやマイノリティたる要素だと思いこんでいるナニカは生物学的一要素の組み合わせに過ぎず、それらの優位性或いは生物学的劣等がいつでも逆転し得るということ、そうなったときにはそうでない要素を持つ人間の力を借りなければならないということ。 

だから社会はどんな規模であれ多様性を希求しそれを上手く使いこなして次のステージにいくことができる。 



こんなように受け止めたら、自分がどこにいてもいいし役立たずであることを恥じなくていいし他人を排除したりデリケートな話題にイライラさせられる必要がなくなった。まぁ暫定的な答えでしかないのだけど。 

 

つまり功利主義から見た障害者の存在について、福祉の観点からではなく社会の一員として人的財産として、存在の価値を見出したかったわけなんですがね

福祉は矛盾した概念でもあるのでどっか受け入れられない部分があるけどこれならいけるなと。何らかの障害やら社会不適合な部分が、かえって社会に有利に働くことが誰の目の前でも証明できたらな、と思ってやみません。