攻撃性みたいなものをひた隠しにしているとあるとき突然噴出するから、小出しにした方がいい。考えるのをやめるっていうのもやっぱり合わないからやめた方が良かったように思う
誰もがもって当たり前の感情だし、それも勘定に入れてのフラットを保つのが大事なんであって抑圧したフラットには何の価値も意味もないんですよ。
大体抑圧抑圧っていうけど本気で抑圧できないでしょ?滲むでしょう?
100%隠せないならやめちまえそんな嘘は。嘘吐くなら墓まで持って行けるものだけにしなさいね。
普通みたいなんが一瞬わからなくなったりもするけど、わからなくなることまで含めて普通なんです、並みなんです
もちろん意識しない人だっているけど、意識する人だってたくさんいるしそこで躓く人は掃いて捨てるほど在るんですよね?
大体普通っていうのもこないだの繰り返しになりますが集団の能力値の総和を集団の数で割ったものでしかないし、その振れ幅のちょうど中央の能力をすべて持っている人は架空の存在だし、そもそも能力を測れていない部分だってあることを考えたら普通という概念にあまり意味はなかった。
別にこだわっているつもりもありませんでしたが、やはり集団を語るときに平均を割り出すのってついついしてしまうことのような気がするんですよ。いや違うのかもしれないけど少なくとも私はやってしまう。
そしてそこから比べて上がどうとか下がどうとかいってしまって、本人の認識に関わらずその相対的位置関係において評価が下される。
その能力の評価もたまたま使った物差しによっては形勢逆転なんていうこともあるわけで、物差しも信じられないし評価結果も信ずるに値しない。
じゃあ何を信用するかってやっぱり認識だけでしたよ。この世に客観は存在しない。
客観というのは「客体」から見たものであって、客体を置く以上客体からの主観でしか存在し得ない。こんな話は哲学でも脳科学でもなんでもいいですがよくよく論じられてきたことだと思いますのでどうでもいいです。学問の敷居は無意味だと1年間で思い知らされました。政治哲学をかじれば精神分析学とリンクしていて精神分析学からは実存主義だったり弁証法だったりに結びついて、今度はそれを使った看護師たちが看護を研究するわけですけれどその背景に宗教をおいたり医学をおいたり社会学をおいたりもうなんでもいいです。本当に。
学んだふりっていうのは本当に怖い。素人とプロの違いは、何度も鬱陶しいとは思いますがそれでお金をもらうか否かだと思っていますから、将来的にプロにならない部分は即ち趣味で済まされるのです。そして人間性をウリにする職業の場合は趣味も仕事のうちなのです。だから趣味程度の知識でもいいけれど使い方はプロにしておく必要がある。
考えたことのない者は喋る言葉を思いつかず、考えたが考えの足りない者は喋ることしか思いつかず、そして考えを深めた者はあらゆることについて再び黙るという選択肢を得る。まぁそんなものは二者択一できるものではないので、必要時という表現でもいいです。
大体いつもしゃべりたいことについて半分も煮詰めないままポイしてしまうので、エンジン温めなおしみたいなことをいつもしているような気がしますね。所詮私の内蔵エンジンはそんなものなのでしょう。まぁあまり種明かししてしまってもつまらないしと思うところもあってのことではあるのですが、浅い回転ばかりを繰り返していると深層に潜れなくなってきて嫌なんですよ。そしてこういった類のことは必ずひとりでしなければならないので、他人から話を振られてその人の望むように(或いは望まないようにわざと)返したりしてはいかんのです。自分の脳みそは自分にしか覗けない。認識は各個体のものでしかありえないからです。この辺りを突き詰めれば、きっと「価値を信じられない個人が生きていてもいい理由」になるのだと思いますが、そういう認識だってやっぱり人から授けられるものではいけないのです。理解と納得(そして受諾)は違いますから。だから他人の文化に不用意に踏み込んではいけないんですよ。
ついでにこの読んだ本とかから早速やれナントカ学が~とかいうのも本当は止した方が良いのはわかっているんですが(何せ私の拙い解釈でしかないわけですしおすし責任持てませんし)ただ、先人がいつも普遍的な要素をばら撒いて思考同士を結び付けてくれるのは本当に嬉しいことなんですよね。次の人がもっと早くたどり着いて、またその先を考えられるように、或いはそれを元に分岐を見つけられるように道路を舗装してくれているようなものです。誰だって悪路よりは整備された道の方が早く進める。それをナントカ学たちが手伝ってくれているだけのことなので、偉ぶることでもなんでもないのです。それらは読まれなくったって最初からそこにあったのです。そして自分が読まなくてもどこかで誰かがそれを元にその先を既に作っているのだから、自分がその道を究めなくてもいいのです。
こういうことが希望であると捉えるか絶望であると捉えるかは人それぞれだと思いますが私にとっては希望です。惜しみなく自分の道を邁進できますからね。どの棺桶にも中途半端に足突っ込んだ結果どこからも需要を得られないくらいなら、少なくとも足を突っ込む棺桶くらいは選びたい。
なんで急に髪の毛切ったのかなって考えた末の、言い訳。