毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

結婚関連予定調整について

http://streptococcus.hatenablog.com/entry/2018/12/17/163610

前回記事では費用のみでいっぱいになってしまったので、今回は1年間の予定調整で大変だった部分を抜き出して書きます。

 

自分と伴侶はほとんど予定が合わない生活をしており、帰宅しても顔を合わせる時間が極端に少ないため、意思決定に難渋したりスケジュールのすり合わせが大変だと感じました。勤務体系がまったく異なるため、お互いに休日かつ余暇時間として過ごせる日は、ひと月のうち半日あればいいほうです。こういうカップルも世にはあろうかと思いますので、月ごとに実際にあった行事について、使った時間の実際とその流れを思い返してメモ書きしていきます。

 

住居選定について:外出はトータル1日程度、空き時間で個別に検討

知った土地から知った土地への転居でしたので、実際の不動産仲介業者へ足を運んだ回数は2回でした。いずれも私の夜勤明けに2-3時間程度です。年末年始に1度、5月に1度で、5月に関しては伴侶が午前休をとっていました。

2回目にも同じ建物の別室を紹介されたので、やはり良かろうということになり決定しました。書面で比較できるため、情報は持ち帰ってそれぞれの居住者がメリットデメリットや金銭面の比較をしたので、意思決定にかけた総時間は長いです。生活リズムや実生活の想定は、出来うる範囲で会話ログにより構成していきました。

 

親族との顔合わせについて:計5回

タイミングの調整が非常に大変でした。

お互いの両親の顔も知らない状態から始めたので、我が両親と自分たち・伴侶母と自分たち・伴侶父と自分たち・伴侶父と自分たちと我が両親・伴侶母と自分たちと我が両親という5回の顔合わせが必要でした。これがいわば結納がわりです(結納はしなかったので)。

 

結婚式選定・打ち合わせ・前撮りその他:伴侶との行動は計5-6回

  • 挙式相談(私だけ)

1-2時間ほど。相談カウンターにひょこっと行って、そのまま式の規模や参加者、雰囲気、前もって特別な配慮が必要な相談内容についてお話。その場で式場を探していただき、選んだ2件を見学に行くことになりました。

なおこの時点では日付未定、参加者も概算でした。相談の時点で伴侶と行くなら、ここから予定調整が必要です。

 

  • 式場巡り(私だけ)

自分の休暇に手配していただいた午前と午後に分けて、ひとつずつ巡ります。挙式・披露宴の会場・場合によっては試食、それから伝えていた挙式の規模によりざっくりと予算を出してもらいます。2-3時間かかるので、頑張っても1日3件が限度だと思います。

ちなみにこれも伴侶といくなら調整が必要ですし、場合によっては複数回、遠方まで行かれる方もいらっしゃるようです。

そしてここで持ち帰った情報を元に伴侶と時間があるときに検討します。また、親族への日付確認も始めます。挙式スタイルを再考する必要があるかどうかや、前撮りの希望確認やスケジュール的に可能かどうかなどもこのときに見積書を元に進めます。家庭での時間もそれなりに要しました。(とはいえ複数回にわたって相談して、結婚式にまつわるすべての会話にはトータル10時間も使っていないような気がします)

結局、探していただいた式場の2件目に定めることができました。

 

  • 式場打ち合わせ1回目(私だけ)

私だけで行動しすぎだろうという意見があるかもしれませんが、その通りです。この間にも親族同士の顔合わせをしていたので、それを調整するだけで手一杯でした。

というわけで、式場打ち合わせ第1回では前回作っていただいた予算と伴侶との相談内容を元に、衣装屋さん候補(プランの中に組み込まれた3件を提示されました)・前撮りプランに加えて当日の大まかな流れを作ります。オプショナルなもので、伴侶と考えておいてここは必要だとか必要ないといった意見を反映させ、より正確な見積書を出してもらいます。このときに確か着手金5万円をお支払いしたと思います。

 

この日持ち帰った情報を元に伴侶と衣装屋さんの目星をつけます。因みに我が家は、「大体どこもラインナップは似たり寄ったりなので、家から近いところにしよう」とかいう杜撰な理由で決めました。行って様子がよければそのまま決定するつもりで訪問することにします。

衣装屋選び、衣装合わせは場合により本当に回数を重ねるようです…(義理の弟夫婦が6-7回選びに行ったと聞いてたまげました)衣装にこだわりある方はここが時間をかけるポイントになるので注意が必要です。また、提携している衣装屋さん以外から持ち込みをする場合には別料金が発生することもあります。費用面は低くおさえたい、選択肢は狭い方が選びやすいなどの理由があれば前もって理想を考えておくと話が早いでしょう。

 

  • 衣装屋さん選び・そのまま衣装(白無垢・紋付袴)合わせ+式場打ち合わせ第2回(伴侶と)

伴侶お出ましです。午前と午後にわけて、目当ての衣装屋さんでプランについて詳細を相談しそのまま衣装屋さんは決定しました。

  1. 日程と前撮りの内容聞き取り
  2. 親族への貸し衣裳
  3. 紋付袴・白無垢選定・決定
  4. 前撮り用の色打掛を見る(時間がなかったので決定はせず)
  5. 契約書作成

衣装屋さんでの料金は挙式のプランに含まれているので、支払いは発生しません。ただし、衣装そのものへの保険をかけたりするので、結果的に当日用の保険3万円分ほどをかけました(そそっかしいので衣装を汚すと大変です…)。

親族については、それぞれにカタログを送って、持ち込みをするのか衣装を借りるかを選んでもらいます(親族衣装は勿論持ち込み可能です)。

 

午後からは2人で打ち合わせに足を運び、細かい調整をします。

私一人では考慮しかねていた、引き出物選び・招待状デザイン・参加者の最終決定・神社挙式から会食までのスケジュール確認など。

ここではまだ予算が最終決定していないので、支払いはしていません。

持ち帰りの決定事項は引き出物・引き菓子で、何故か選ぶのに少し時間がかかりました(弟夫婦の結婚式とのバランスがあったので)。

 

  • 衣装合わせ2回目(伴侶と)

前撮り衣装を選びます。まずドレスとタキシードからで、希望を元に3-4着選んでもらいます(色、ドレスのタイプ、全体の雰囲気など)。タキシードも同様にして、とりあえず試着。タキシードは2着、ドレスは3着ほど試着してさっさと決めてしまいました。白いものなんてあんまり変わりはないという強引な理由と、あれも違うこれも違うといったところで結局微々たる差に時間をかける必要はないと思ったので。ここも選ぶ人は時間のかけどころですし、お色直しをする方はさらに時間がかかります。

それから、衣装のインナーを揃える必要があるので、インナーを用意します(各自買いに行く)。

 

  • 式場打ち合わせ第3回(私だけ)

招待状の宛名書きを依頼していたので、受け取りに行きます。進捗報告と、親族の衣装希望をここで少し伝えておきます。

テーブル装花、前撮りの進行、写真屋さんとのお話もこのときに進めました。最終決定はプランナーさんに伝えればokなので、ほぼ話を聞くだけです。

また、美容打ち合わせ(多分ここでしたと思うのですが)は自分のみなので、この後美容室に行って親族の希望や、自分のセットの希望を伝えます。あとここで毛剃りと顔面肩周りのエステが2回くらい入ることになりました…(自分の空き時間に2回行きました、夜勤明けとかでへとへとでしたけど)

この後、招待状の中身を作成して糊付け、切手を貼って郵送します。

 

  • 衣装合わせ3回目最終調整(伴侶と)

前回の衣装合わせで採寸上調整が必要だった部分の確認をし、契約書の調印をします。

 

  • 指輪選び(伴侶と)

前もっていくつか候補の店を挙げておきました。この過程に時間がかかりましたが、店頭に行って候補を見ていると比較的すんなり決まったかと思います。悩んだり試着していた時間は1時間ほどで、残り30分でサイズ合わせをして購入決定。これも悩む人は悩むところであると思います。自分たちも、店自体を選ぶにはそれなりの時間をかけました。

 

  • 前撮り(伴侶込み そりゃそうだ)・写真選び・第4回打ち合わせ

1日かけて前撮りです。朝から化粧と着付けをしてもらって神社で撮影し、すぐ着替えてドレスで撮影。そのまま当日の打ち合わせもします。具体的な式進行や引き出物引き菓子の最終決定、親族のメイク・ヘアメイク・貸衣装のやりとりもここでしたような気がします。朝から出向いて、夕方16時くらいまでご飯なしで挑んだような…

 

  • 入籍(伴侶と)

私は夜勤明け、伴侶は仕事の合間に出しました。

ものすごく…隙間時間活用です…

 

  • 結婚式、新婚旅行

というわけで当日です。こちらも朝早くから出向いて昼間会食、16時くらいに解散です。

前もってしたことといえば、会場に作るウェルカムボードのような前撮り写真を印刷したことくらいでしょうか。当日はほぼ手ぶらくらいで行けるようにしました。

 

 

まとめ

…というわけで、自分だけで調整した部分を含めると半年で12回、2人での行動も6回ほど(いずれもほぼ半日以上)日付を合わせる必要がありました。これに加えて親族顔合わせの回数が多かったので、スケジュール管理と、1人でできることは空き時間で済ませるのが重要だったように思います。

それからほかのカップルを見ていて思ったことは、2人でその場でしなければならない意思決定はそう多くはないということです。

なので、必要な情報をメモしたり資料を持ち帰ることで予定のすり合わせを極力少なく済ませたことも影響しているとは思います。

初回に書いた通り、予定が合う日はほとんどなかったので、伴侶に有給をとってもらったり私が休み希望を出したりと前もってスケジュール確認が必要です。

何月までに何を決めておく必要があるか、どのようなイベントがその月にあるのかはざっくり把握しておいた方がよいでしょう。

 

 

というわけで、忙しかった挙式予定管理編はこれで終了です。挙式から随分日付が経ってしまったのでうろ覚えなところもありますが、カレンダーを振り返っているのでほぼ正確な情報です。忙しかった…(トオイメ)

前回よりニッチな内容ですが、忙しい方々の参考になれば幸いです。

100冊読破 6周目(1-10)

1.メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える(佐藤岳詩)

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

 

出たときからずっと読みたいなとは思っていましたがやっとここまでたどり着きました。哲学は興味がありましたが、いわゆる倫理のまわりというのは自分自身の倫理観が未熟なこともあって意外と最近になるまで深く触れることができずにきました。いい本に出会えたなと思います。こういうところからも始めたい。

そもそもなぜよいことをしなければならないか?よいこととはなにか?よいことをすることは信念から動機づけられるか? という問いは自分は存在論から両論見つつやったことはなかったなと思いました。こと私的な場や仕事のような道具的思考に陥りがちな場所ではこういう考えは持ちにくいです。本書で特に推せることは、カントやデカルトスピノザアリストテレスといった古代から近代までの哲学者による倫理をおさらいはするけれども必須の知識とはしないことです。必ず解説が入りますから、安心して読めます。

入門・医療倫理のなかにメタ倫理に関する関連箇所があるようなので、折角やしもうちょっと具体的な問題とその見方と解決方法を見てみてもいいかなと思いました。あと自分自身の読書があまり倫理関連の理論は追えていないことを痛感しました、繰り返しになりますが本書は言葉がやさしいので(註もかなりいい)、おすすめです。

 

2.バッタを倒しにアフリカへ(前野ウルド浩太郎)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

熱量がすごい。とにかくすごい。

著者は、蝗害に苦しむモーリタニアに博士課程以降単身で乗り込んだ昆虫研究者です。新書で出ていますから手に取りやすいうえに、書きくちが非常に軽妙です。しかしながら研究者としてぶち当たる壁や言語・文化の壁など折々に異邦人としての要素もあって、緩急はない(ただただジェットコースターのように)くらい畳み掛けてきます。面白いです。おすすめです。

 

特に似ているなあと思った本はカルロス・マグダレナ「植物たちの救世主」です。彼も実践者でありながら研究をしていますが、この本も研究から実践(蝗害の観測と対処まで)が場合によってはひとりの人間、組織によって説明されます。

 

と、固いことを書いてしまいましたが、「目の前にいる大量のバッタは全部わたしのものだ」「バッタが蹂躙されるシーンも喉から手が出るほど見てみたい」「怯えるバッタも愛おしい」などのパワーワードが次々と飛び出す冒険譚です、是非お手にとっていただければ幸いです(新書なので安いですし)

 

3.数式を使わないデータマイニング入門 隠れた法則を発見する(岡崎裕史)

数式を使わないデータマイニング入門 隠れた法則を発見する (光文社新書)

数式を使わないデータマイニング入門 隠れた法則を発見する (光文社新書)

 

勁草書房から出ている「ダメな統計学(アレックス・ラインハート著)」をもっと基礎から、そもそもデータを集めるとはどういうことか?なんのために集めるのか?というところから始めるような本です。「文系」出身でデータが苦手な社会人向けといえばそう。ところどころネタが仕込まれていて面白いです(リア充の行動を暴くくだりは…いいのか…?)新書で読みやすい。Twitterのフォロイー氏から情報を得て読みました。

 

4.辞書を編む(飯間浩明

辞書を編む (光文社新書)

辞書を編む (光文社新書)

 

こちらもフォロイー氏おすすめを経て手に取りました。

三浦しをんの小説「舟を編む」のパロディタイトルですね。こちらは小説ではなく、本物の辞書編纂者(三省堂第6版)による本です。

編纂者の地道な作業については、私は少しだけ耳にしたことがあったのですが、この本の中にたっぷり書かれています。新しい用法をもつ語が新しい辞書に載るべきか、載らざるべきか、載るならばいかなる記述によって説明されるべきか。

自分は小学生以降ずっと国語が好きで、辞書もよくお世話になったのですが、そういえば「小・中学生向け」の辞書は使ったことがありません。この熱意をみていると、実際こういう辞書とほかの辞書の見比べができても楽しいかなあと思うなどしました。新書ですから読みやすいです。

 

5.ヴィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか(入不二基義

このシリーズは毎回とても面白く読めるので、言語哲学方面ということでヴィトゲンシュタインを手に取りました。とはいえ(例の)難解な論理の集合から発展させた「論理哲学論考」のみならず、その著作と人物を、ヴィトゲンシュタインの提示する独我論に沿って説明します。

「論考」を光文社古典新訳で読んで以降、どうにも難しく感じていたのですが、こういう紐解きかたがあることに感銘を受けましたしほ その他の著作にもやっと重い腰を上げる気になりました。あと、もしかしたら論考に関していえば野矢茂樹訳(岩波)を読むべきだったかもしれません。

 

6.デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか(森本浩一)

デイヴィドソン  ?「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス

デイヴィドソン ?「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス

 

シリーズ・哲学のエッセンス 連続です。

言語哲学や知覚の哲学を読んでいるとなにかと出てくる分析哲学の大家・デイヴィドソンについて知りたくて読んでみました。ほぼ言語哲学の観点からのみの考察となりますから、片手落ちではあるのかもしれません。もっとも、このシリーズには概してそういうところがありますが、それも含んでも導入を簡単にすることのほうが大事というコンセプトなので間違ってはいません。

 

表題にもなっている「言語」というのは、それに表現されるような共通のコミュニケーション手段ー発話、文字、記号といったものですが、そんな概念が共通のものとして存在するかどうかといった問いに帰着します。そして答えはNOで、共通のものは存在せず、ばらばらにあるコミュニケーションが言語を定義しているに過ぎないというものでした。

その他の重要な業績については私はほとんど知らないんですが、分析哲学を理解するうえで確実に避けては通れない人であろうことが予想されるので追い追い読んでいきたいです。

 

7.インターカルチュラル・コミュニケーションの理論と実践(三牧陽子 村岡貴子 他)

インターカルチュラルコミュニケーションの理論と実践

インターカルチュラルコミュニケーションの理論と実践

 

とてもおすすめなんですけど、内容の充実度とともに値段が高いので安易なおすすめがしづらくてつらい。

談話分析を含めてさまざまな異文化間コミュニケーション分析を行っている本です、博論の焼き直しがしばしば紛れています(紛れるっていうな)というか各々の博論のまとめに近いです。自分が日々気にしているコミュニケーションのバックグラウンドについて、いろんなパターンが示されていて面白かったです。留学生-日本人の間(日本語ベースのケースと外国語ベースで日本人が留学生の例もあった)のコミュニケーションの非流暢なパターンにはじまり、夫婦間の問題解決に対する意識の差がコミュニケーションにおけるインポライトネスをもたらす(ゴフマンのface理論を背景に)場面の分析とかもありました… なんだこれ耳が痛すぎる(そういう問題ではない

 

自分は多分コミュニケーションを今後の研究課題としていくであろうと思うのですが、哲学者アルフォンソ・リンギスの言を思い出します。

コミュニケーションとは、メッセージを、バックグラウンド・ノイズとそのメッセージに内在するノイズから、引き出すことを意味する。コミュニケーションとは、干渉と混乱に対する闘いである。ーアルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』

 

8.言語心理学入門(芳賀純)

言語心理学入門 (有斐閣双書)

言語心理学入門 (有斐閣双書)

 

言語と心理の両方に跨っているといえる本はこれでようやく3冊めだと思う。古い本ですけど、文章心理学や国語教育からの発展の歴史を知れるという意味でも面白いなと思えました。

安原和也「ことばの認知プロセス」トレヴァー・ハーレイ「心理言語学を語る」に続きです。ピアジェチョムスキーの操作と変換の類似性とかちょっと面白い。あと研究内容が日本人対象なのもよい。コミュニケーションの前提になる、ものごとに対する直観の問題とか文脈の問題は今後ますます(異言語の間だけでなく、同じ母語話者においても所属する社会集団や年代によって)生じてくるように思われるのでもっと色々読みたい分野のひとつです。

 

9.言語はなぜ哲学の問題になるのか(イアン・ハッキング

言語はなぜ哲学の問題になるのか

言語はなぜ哲学の問題になるのか

 

これ面白かったです!いや内容わかるかって言われたら8割わからんかった気がします、けど知ってる2割が心から楽しめるように書かれていてびっくりしました。世界思想社言語哲学を学ぶ人のために」とかちょっと読んだことがあるのですけど、「言語哲学に至る道のり」を追ったことはそういえばなかったなと思いました(触れた本はちらほらある

観念、意味、文の全盛期(ちょっと行為論入る)の順に言語哲学がどのように捉えられたり発展したりしていたのを書くんですけど、バークリ・ヒューム・カントで「知識」/悟性と説明されてきたものがラッセル(の一部)とフレーゲで意味の体系に置き換えられることの説明があったのが個人的には一番の収穫でした。哲学の全体の流れをやったことがないとこういうのわからなくてそれぞれの人の言うことをそれぞれに聞いてなるほどわからんわとなるので。いや解説本読んでもなるほどわからんのですけど。

 

で、「なぜ言語は哲学の問題になるのか」に対する著者の答えは「一貫しない」。一貫しないのは、それぞれ主張や語の定義が異なるというような些細な違いではなくて、時代の変遷と共に言語によって捉えられる現象や観察される内容が次々に変わってきて、その度に哲学もアップデートされてきた(アップデートを要求されてきた)から、というもの。結論はシンプルなんですけど。

最近になって、素人が哲学の(解説本ではなく)原著者の訳本をシコシコ読むことが必ずしもいいことだとは思えなくなってきてなんかあまり楽しくないというか他のもっと形而下のことに注力すべきみたいな考えになっていたんですけど、ぼちぼちこれを読んでいてやっぱり考えを改めました、元の本を読むのも必要だなと。読んだことのある著者の概念は「あーそうか、『純理』になんとなく通底しているものか」みたいな受け止め方ができるのに、読んでいない本についてはその著者の基本的なスタイルからしてそもそも覚えてないし何もわからない、通約不可能性にぶち当たりましたかね状態になる。何度も感じてはきたわけですが。

勿論学問としてやるなら訳本どころか原著読んで当たり前なんですけど、お楽しみで哲学を理解してみたいとか考えについて知りたいという欲求に対して、「哲学用語図鑑」とか「教養としての哲学」みたいなのではあまり面白くないというか。単語や概念の解説では、なんで議論がそこに至ったのかよくわからないんですよね。なんの前提も共有していないド素人が読んでわかるものでもないんですけど概略本と解説本と訳本を行ったり来たりするのは楽しいし、ただの用語図鑑として教養としての哲学(知ってるだけ)をある程度解釈したいなら訳本くらいまではいるなと思った次第です。

 

10.言語と認知ー心的実在としての言語(ノーム・チョムスキー

言語と認知―心的実在としての言語

言語と認知―心的実在としての言語

 

世界思想社生成文法を学ぶ人のために」が方法論であるとしたら、こちらはその生成文法を必要とする心理的構造についての話です。生成文法の仕組みについては他の本をあたらないとほぼ書いていません。

無限に文章を構成したり、文法的誤りを検知できる能力は発達の過程で獲得され、それを獲得する装置はもともと人に備わっているというのがチョムスキーの理論なのでその前後の議論について解説が加えられます。講義録なので言葉は平易ですが、相変わらず着想に至るまでが難しいのでもう少し統語論全体の知識が必要である気がします…読めたとは言えません。

放送大学に興味をお持ちの方へ、社会人編入・全科卒業生からのまとめ

無事卒業できたので、珍しく情報提供メインのブログ記事を打ちます。

自分がやってみての所感も書きますが、一般的に入学を考慮する社会人の方が気になる点を入念に記載する方針です。

 

そして一番最初にお伝えしておくべきことは、何においても「公式がいちばん詳しい」...ということです。このブログはあくまで実際に履修した者の気持ちでしかないので、興味が出てこられたならば最終確認はご自身の目でしていただくのがよいでしょう。

 

お品書き

  1. 放送大学の特色・メリット(とデメリット)
  2. 学費の実際と入学の手順について
  3. 試験までのスケジュールについて
  4. 面接授業について
  5. 履修計画について
  6. エキスパートプランについて
  7. 卒業時点の履修成果
  8. 放送大学で学ぶということ

 

1.放送大学の特色・メリット(とデメリット)

  • 試験・面接授業以外は通学がない

試験・面接授業は基本的に各学習センター(都道府県に最低でも1か所ずつあります)で行われます。そのため、放送・オンライン授業についてはすべて自宅で受講することが可能です。

  • 学費が安い

受講した分だけ受講料がかかります。学部生ですと、面接授業も放送・オンライン授業も1単位あたり5,500円です(放送授業は2単位となることが多いので、11,000円です)。自分の場合は、半期あたり9科目18単位を取り続けて卒業しました(2年間で72単位を取得した計算ですが、3年次編入者は62単位あれば卒業可能です)。

  • 卒論は書いても書かなくてもよい

これはデメリットになりうるといえばそうですが、卒論は全科履修生のみが履修できます(6単位として認定)。そして、履修年度の前年度には申請・研究計画書提出が必要であり、かつ2年間の放送大在学と放送大での62単位修得が必須条件なので、3年次編入者で2年間での卒業を志す社会人には不可能なスケジュールとなります。2年間での卒業を要さなければ、可能です。

  • 時間をかけた単位取得、多様な履修スタイルが可能

これは興味のある方がまず最初に得られる情報かと思います。ちなみのどの履修方法についても10月入学が可能です。

<全科履修生>

入学(初年次、2年次・3年次への編入)と卒業のある様式で、最長10年の在籍が可能です。全科履修生のみ入学時に高校卒業(または見込み)証明を提出する必要があります。卒業時に学士(学位)の取得が可能です。

私は看護専門学校卒業生のため、62単位を単位認定して全科履修生に編入しました。

<選科履修生・科目履修生>

選科履修生は1年間、科目履修生は半年の在籍資格を得るものです。

こちらは高卒の認定の必要がないので手続きが簡単です。

また、取得した単位を引き継いで全科履修生へ入学する(卒業単位として申請する)ことが可能です。

  • 学割がきく

学校法人なので、学生証があればジムや映画館、その他アミューズメント施設で学割がきく可能性が高いです。年齢制限がある場合は不可能ですが...

  • 他大学の図書館などの施設利用ができる場合がある

大学生という身分はなにかと便利です。上記のように学割を使うこともできますし、いざ卒論を書く段になってなかなか有料のジャーナルにアクセスしづらいなと思うときや実資料を閲覧したい場合に、学生証は最大の武器であると思います。実際の利用はまだしたことがないのですが。

 

おまけ

放送大学はちょっと変わった使い方をすることもできます。

それは、入学してから放送授業を聞くだけならタダということです。テキスト料金・単位認定があること前提での料金が1単位5,500円なだけなので、入学さえしてしまえばどの放送授業でも、とりあえず好きな時に好きな回の授業を視聴することが可能です。シラバスを読んでもで実際の難易度がわかりにくいとか、自分の興味と合致するかわからない場合にはこういった手段もあります。単位はいらないけど知識は欲しい方にもおすすめです。

 

 

2.学費の実際と入学の手順について

全科履修生で入学した場合、入学金が24,000円かかります。お試しで科目履修したいという方には、科目履修生(入学金7,000円)または選科履修生(同じく9,000円)がおすすめです。気持ちが固い場合には、全科履修生で最初から入学したほうがお得ではありますが。

また、編入学の場合は単位審査料が必要です(10,000円)。

よって、私のパターンのように初回編入学+9科目履修登録した場合、入学時のみ133,000円かかります。あとの授業については、履修した分のみの費用です。

 

時系列の動きとしては

入学したい学期の前までに(3月20日・9月20日くらいが例年最終の締め切りです)

・高校卒業証明書取得

・前大学・専門学校での単位取得証明(編入学の場合)

を揃えます。

そして放送大学から入学申請に必要な願書を取り寄せます。詳しくは下記リンクにありますが、この際に所属コースを選ばないといけません。全科履修生の場合は卒業のための必要単位として、自コースからの取得最低単位数があります(34単位)。あまり興味のないコースを選ぶと、卒業のために興味のない科目を取らなければならなくなってしまうので要注意です。

www.ouj.ac.jp

 

 

3.試験までのスケジュールについて(放送授業の場合)

というわけで実際に入学した場合の予定のシミュレーションです。

単位認定試験は学部の場合7月末~8月頭、1月末~2月頭です。

試験場所は各都道府県学習センター。

ですが、認定試験までに通信指導という中間考査のようなものがあります(6月初旬、11月下旬ごろ締め切り)

記述式以外は郵送またはオンラインでの提出が可能で、郵送はちょっと面倒なのでオンラインをお勧めします。情報学関連科目ではオンラインのみの提出の科目もあります。詳しいスケジュールは下記へ。

www.ouj.ac.jp

これを働きながら実施する場合には、単位認定試験そのもののスケジュール調整が必要となってきます。認定試験は複数科目を同じ時間に実施しますので、重複した場合は片方しか受けることができません。よって、社会人学生ですと履修科目を選ぶ際に前もって試験スケジュールまで考える必要があります。

 

初年度初学期はスケジュールまで考える余裕がなく、また夏休みを使えばなんとかなるだろうと思っていた自分を参考例として下記に供出します。ひどいもんでした。

streptococcus.hatenablog.com

学習の動機や履修方法についても少し書いていますので、本格的に入学を検討されている方は参考程度にお目通しいただければと思います。

 

そしてここまで書くとおわかりであるかと思いますが、たとえ放送授業であってもたくさん科目を取ると結構忙しいです。

看護の学位のみを必要とする方のようにほぼ既習の科目をたくさんとる場合はまだしも、仕事の傍らに知らない分野を(テキスト・放送授業で)履修し、通信指導を提出し、半期ごとの単位認定試験を通すのは履修計画上の困難を伴います。ご利用は計画的に。

 

4.面接授業・オンライン授業について

全科履修生の場合、卒業までに「授業形態にかかわる単位数(20単位)」もとる必要があります。自分の場合は専門学校卒後編入しておりますので、編入時単位認定の際にこれはクリアしております。

面接授業:各学習センターが開講する授業(専用冊子が必要です)

オンライン授業:1時限ずつ受講し、レポートを提出するスタイル。私は受けたことがありません(すみません…)学部ではあまり多くないスタイルですが、全国的なe-learningの敷衍によって今後放送大学でも増えていく気がします。大学院はわりとオンライン科目が多いです。

 

5.履修計画について

試験時間・学習に必要な時間というたての軸と、達成目標という横の軸が必要かと思われます。縦の軸については3で申し上げたように、自分の仕事が許す時間を逆算して試験時間の割り振りから科目を選ぶことです。そして横の軸は、何年かかけて達成したい目標がどこにあるのかを定めてそれを並行で達成することです。

 

というわけで自分のとりうるパターンを例として出します。

<看護師の場合>

看護学の学位だけが欲しい(短大・専門卒)の場合、自分の所属していた学校の単位内容・単位数を確認したうえで放送大学へ2年または1年在学し、必要科目を62または31単位以上履修すると学位授与機構への申請・審査のうえ学位取得が可能です。

ちなみにこの「または」というのは区分の違いによるものですので、自分の学校に単位取得内容を申請・取得したうえで学位授与機構が発行している「学士への途」を入手し、自分がどちらの区分に該当するか調べる必要があります。31単位というものの、半分(16単位、うち2単位は必ず看護の科目から)は自分の専門分野(医療・福祉・臨床心理系科目)の修得が不可欠です。が、最短ルートで学位のみを取得することも可能です。合計16科目なので、場合によっては1年で取得できます。詳しくは下記へ。

 

学士取得のための手引き(看護学)ー放送大学

http://ouj-dp.web-creek.com/pdf/2018-1j.pdf


 

<自分の場合:看護専門卒(第2区分)が、看護学と教養の学位取得と認定心理士の取得を目指す>

さらに自分は認定心理士の取得をサブ目標のひとつとしていたので、心理科目の取得が直接卒業認定科目につながるよう「心理と教育」コースに所属しました。

 

認定心理士取得の手引き(放送大学

http://ouj-dp.web-creek.com/pdf/2019-1g.pdf

 

ここに記載されている認定科目を取得しながら教育・心理コースの科目を網羅していきました。とはいえ教育と臨床心理にはそこまで興味がなかったので、認知心理系を含めた必要最小限を取得します。これで必要単位はたしか37単位分(認定心理士には1単位換算されてしまう副次主題科目というものがあります、放送大学としての単位は40単位くらいとりました)ほどになりました。では残り30単位分はどのような興味に沿って取ったか。

 

6.エキスパートプランについて

エキスパートプランというのは、コース選択以外にもある主題において関連する科目を履修できるよう、コース横断的に科目を履修するナビゲーターのようなものです。

実際にみていただいたほうが早いです。

https://www.ouj.ac.jp/hp/gakubu/expert/assets/pdf/expert_04.pdf

こちらを穴が開くほど見つめたのち、自分がこれまでに取得してきた単位に加えて好きそうな科目が加わっているカリキュラムを探します。

ちなみに「心理学基礎プラン」は認定心理士のほうがさらに上位に位置するため最初から認証を得るつもりはありません。

 

私の興味と一致して、かつ履修内容が現実的であったのは

現代社会の探究」「人にやさしいメディアのデザイン」「社会数学」「計算機科学の基礎」「データサイエンス」…などでした。

これらとふたつの学位、認定心理士を横軸として超贅沢に科目をとります。もちろん仕事はしているので、仕事に合わせた試験しかとれません。

 

7.卒業時点の履修成果

とりあえず一旦卒業するので、「教養(学士)」は自動的に達成です。

そしてほかの目標と、達成できなかった要因と残り科目について。

 

スケジュールがあわなかったためにあと1単位の面接授業(心理学実験2)がとれず、延期です。

 

  • 学士(看護)(未達成)

残り3科目です。科目を取り出したのが遅かったのもあり、試験日程が仕事と合いませんでした。

 

  • エキスパートプラン
  1. 現代社会の探究(達成)
  2. 人にやさしいメディアのデザイン(達成)
  3. 社会数学(未達成)
  4. 計算機科学の基礎(未達成)
  5. データサイエンス(未達成)

 

エキスパートプランについてはおまけのようなものなのですが、とり始めると関連科目が意外と楽しく、3-5まで残り科目を履修することになりそうです。ちなみに3.4.5はそれぞれ重複する科目が多いので(エキスパートプランはままあります)、学習動機としては使いやすいです。

 

8.大学で学ぶということ

随分とテクニカルな部分についてばかり書いてきましたが、そもそも大学で学ぶ動機は多様です。自分の場合は、途中にあげた2017年の記事に詳しく書いておりますが、日々の仕事と少し離れた(しかし遠くで関連はしている分野の)勉強がしたいと思ったのがきっかけです。

 

社会人として生活をしていると仕事で忙しく、どうしても智を愛する姿勢から遠ざかってしまいます。この記事には時間と単位の関係ばかり書いてしまいましたが、学びの内容や方向性は人それぞれ。開く教科書も十人十色であることでしょう。

ただ、私が読んできた教科書についてはそのほとんどが非常にたくさんの関連学習を促し、豊かな読書案内を備えています。この点においては、放送大学であっても他大学であっても目指す成果は同じところにあるのではないでしょうか。科目を単に履修するのみでなく、生活や仕事の世界・ニュースや旅行などで見聞きする世界の中に課題を発見し、自ら解決方法を模索する(そして解決方法が難しければほかの書籍をあたって方法を探る)力を養うには、教科書だけでも足りなければ放送授業だけでも足りず、またその力は単位認定試験によってのみ測られるものでもないと自分は思っております。

 

生涯学習を謳う大学ですから、いち市民として考え模索する手助けができるようカリキュラムが用意されています。勿論、どのような活用方法をとったとて自由な(そしてそこが魅力の)大学です。自分のキャリアの足しにするにしても市民としての良識を涵養するにしても、門戸はひろく開かれております。放送大学open university of Japanですので、学びたいと思う人には智を提供してくれる場です。2年間という短い期間ではありましたが、存分に楽しむことができました。

 

締まりのない終わりになってしまいましたが、ご興味をお持ちの方にとって少しでも放送大が魅力的に映りましたら幸いです。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

500冊読了記/100冊の中からオススメ10選(401-500の中から)

1.この宇宙の片隅に(ショーン・キャロル)

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―
この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―
  

この本に関しては個別の記事を書きました。

天体物理の中でも非常に読みやすい本であると思われます。事前にマックス・テグマーク「数学的な宇宙」やニック・レーン「生命・エネルギー・進化」を読んでいたために目新しいと感じるところはそこまで多くはないのですが、何よりその読みやすさと明快さが魅力であると思います。下記の引用をみていただくとわかるように、確率論の話がぼちぼちでてきます。科学全般に対する一般人の態度の規範になるような本でもあります。

それから、読了当時には同意しかねていたのですが、「いかに人は佳く生くるか」という問いに関しても、意外と現代の哲学はこれを本格的な議論として受け入れているようです。

解決策は、きわめて小さくてまともに取り上げる必要のない信頼水準があるのを認めることだ。その可能性が偽であることを知っているかのようにふるまうことは意味をなす。つまり、私たちは「私はXを信じる」を、「Xが成り立つことを証明できる」ということではなく、「Xを疑うのに相当量の時間や手間をかけるのは非生産的だと思う」ということだと受け取る。

私たちは、ある理論に有利な証拠を積み上げるあまり、それについての懐疑を維持することが「分割ある警戒」を超えてただのへそまがりになることもありうる。

私たちは常に、新しい証拠を前にして自分が信じていることを変えてよいという気でいなければならないが、そのために必要な証拠は、それを手間をかけて探さなくてもよいほど圧倒的である必要があるかもしれない。

結局残るのは、何かの絶対的な証明ではなく、何かについての高い程度の信頼であり、それ以外のことに対する不確実性が高まるということだ。

それは私たちに望める最善のことであると同時に、世界が事実として私たちに確かに認めるのもそこまでだ。人生は短い。絶対確実は決して出てこない。ーショーン・キャロル「この宇宙の片隅に」

www.ted.com

tedにも著者の動画があるようです。

 

2.脳の中の天使(V・S・ラマチャンドラン)

脳のなかの天使
脳のなかの天使
 

この方の「脳のなかの幽霊」のほうが著名なようです。

著者のラマチャンドラン氏は神経内科の医師・研究者です。本書の冒頭で提示される、「研究というものに実験装置が加わると、その装置をいかにして使うかといったことに固執してしまい原始的な反射を用いたり手ずからおこなう実験が軽視されたり扱われなくなってしまう」という危惧は結構身につまされるものがありました。いえ、特になにか具体例があるわけではないのですが。

神経美学の話になるとこれが結構面白くて、ラマチャンドラン氏のお名前にもあるようにルーツであるところのインドの仏像のうつくしさの要素についての話がでてきます。これが後半に入ったくらいなので、前半はほとんど神経科学の話です。具象と抽象の谷についてや、デフォルメのありかたについても書かれています。美術系の本でなくてこういった認知科学から捉えられた美学(芸術・音楽の知覚について)の論は多くないので、読んでいて嬉しいです。芸術系の人で、認知科学に興味のある方への入門書としていいかもしれません。

 

3.不合理だからうまくいく:行動経済学で「人を動かす」(ダン・アリエリー)

カーネマンの「ファスト&スロー」が意思決定にまつわるゲームのような感覚で読める本だとしたら、これはヒューマンドラマを読みながら(実際アリエリー教授の若年時代に負った全身の熱傷との闘いが説明に多く用いられます)行動経済学を学ぶことができる本です。リチャード・セイラー行動経済学の逆襲」よりも少し心理学寄りです。

特に情緒と意思決定の関係について書かれた点については昨今の医療者必読と言いたいくらいですが、必読というと言いすぎですと怒られそうなのでやめておきます。信頼と怒りが意思決定に影響することや、感情的に決めた(利点もあれば欠点もある)ルールが長期に行動に影響する点など面白いです。医療者なので、アリエリー教授が若くしてひどい火傷を負ってそれから立ち直るまでの苦痛とそれの対価として得た経験知に気がいってしまいますが、人間の知覚を永続的に変化させる痛みの経験についても積極的に検討しておられ大変読んでいて面白くありました。

タイトルはちょっとトボけていますが、トボけて手に取るとまあまあいい本です 行動経済学に興味あるけど難しい本は手が出しにくいワ〜という方に是非。

 

4.植物たちの救世主(カルロス・マグダレナ)

植物たちの救世主

植物たちの救世主

 

「熱狂的植物育成本」です。

著者はスペイン出身の園芸家、カルロス・マグダレナ。英国王立キュー・ガーデンで近絶滅種を含めて希少な植物の繁殖と保護に努めています。その活動範囲はまさに世界中どこでも、高山・砂漠といった極限環境から熱帯雨林や孤島までありとあらゆる場所を対象としています。本人は植物「学者」とは呼ばれないのかもしれませんが、キュー・ガーデンの講師も務めていて、現在ではどのような環境で生育するかわからない希少植物の発芽から次世代へのバトンタッチまでを考慮し、実験し、そしてあわよくば元の環境に戻して繁殖させます。ひとつひとつの実践が既に探究行為なのです。

希少な植物をみつけると、まずどの科・属・種に分類されるかを見分けます(そうすることからしか話は始まらない)。そして気候や気温、土の状態や発芽の条件といった生育条件を調べ、キュー・ガーデンの研究室に持ち帰り最適な環境を作る。毎回試されるこれも、場合によってはラスト・チャンスかも知れないのです。土地の人間社会も植物の生存に大きく影響しているため、生きるための森林伐採や国策による開墾が土地の環境を変えてしまうことはままあります。悲劇的な状態でほぼ唯一無二の植物を発見し、悲鳴をあげるシーンもたびたび。また、キュー・ガーデンで繁殖に成功しても、元の環境で適切に扱われるとは限りません。

植物を救い続け、驚くべき出会いに感嘆する著者の目は植物のいる現在の環境だけでなく過去・未来の数十年にわたり向けられていて、僅かながらその視線を共有できるのがまた面白いのです。著者はスイレンが大好きで、スイレンのためなら現地で他の調査中でもすぐに車を止めて走り出してしまいます。さながら植物への依存症なのですが(著作の中で本人がそう述べており、コカの葉を噛みながら高山に向かうシーンは見もの)、その情熱が植物たちを何度も再生に導き、滅びの瀬戸際で踏みとどまらせます。学術書でもなく専門書でもなく、これは一種の冒険譚(むしろ本人ではなく、植物の)に近いものがありました。

植物を取り巻く人為的環境への言及は批判的なものばかりでなく、現地の人々への理解と協力的姿勢に満ちており、現地の社会で現存の環境を維持・向上するメリットを述べたうえで技術の伝達を行います。産業でもなく政策でもなく教育でもなく、植物に関する「国際協力」というのがよいのでしょうか…文化人類学や考古学等他の地理環境と文化に関係する本は読んだことがあるのですが、ここまで「植物」に特化した本は自分は初めて読みましたし、ものすごく面白かったと書くしかありません。おすすめです。

 

5.WORK DESIGN(イリス・ボネット)

WORK DESIGN(ワークデザイン):行動経済学でジェンダー格差を克服する

WORK DESIGN(ワークデザイン):行動経済学でジェンダー格差を克服する

 

行動経済学…うんまあ行動経済学

内容は簡単な認知心理学のおさらいと膨大な企業・官公庁のもつデータで「バイアスを探る」本です。経済の理論的な部分は他の本に譲ってよいですが、ジェンダーのみならずエスニシティに関わる「バイアスの介在」がどのように学習・採用・組織内活動に影響しているかを、さまざまな手法で実証します。鮮やかなのはその事実ではなく、改善可能かどうかと、教育方法が有効か無効かの提示の仕方です。著者は公共政策大学院の教授であり、また部局長の歴もおありとのこと、学術界や政界まで及んで女性や民族的少数派のひとびとがいかなる差別を受けるか説明し、その解消のきっかけとなる組織構造・採用システム・研修内容の変更にどれだけコストをかける意義があるかを述べています。

収集されたデータの検証、行われた社会・心理実験、実際に各国各組織で修正されたダイバーシティへの取り組みがいかなる結果であったかは各章をお読みいただければと思います。教育・研修・採用におけるメソッドを変更する有効性は、測ってこそ改善のしがいがあり、そしてコストの投入もできるものなので、やみくもにやるもんとちゃうでというメッセージがあちこちから読み取れます。ダイバーシティ研修後に免罪符効果で否定的な価値観が強化されるとかわりと絶望できる内容だなあと思います(なにくれとなく耳にしていたことではあるのですが)。あと人事評価システムの公平性と客観性とか。

昨今、働き方改革だの大学入試改革だの移民政策だのいろんなところで改革の余波があるのですが、そこに対しても前に後ろに検証がなされてどんなかたちであれ反省が活かされなければまた金をドブに突っ込んだことになるよなあと思うのでした。

 

6.医療現場の行動経済学:すれ違う医者と患者(大竹文雄 平井啓)

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

 

平井氏の記事は、実は以前に下記の記事に目を通しております。

www.igaku-shoin.co.jp

ついでに、引用元であるModern Physicianも購入しました(手元にあります)。そちらの内容を、もっとわかりやすく、また「日常の診療場面でよくある例」を交えてまとめなおしたのがこちらの本と思うとよいです。

雑誌や医学書院の記事の中にはみられなかったのが、医療従事者側からのバイアスももちろん存在しているということでしょうか。

患者さん(医療を受ける側)の方にもおすすめですし、医療従事者にもおすすめできる本であると思います。とくに臨床の方へ。

 

7.無限論の教室(野矢茂樹

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)

 

数学の哲学ーというか、概念としての数学について考える物語です。

というととっつきにくいように思えますが、数弱の私でも考えながら読めるようなものなので、興味はあれど苦手、という方にも大変おすすめできるかと思います。先生が毎回ケーキやお茶を出してきたりけなしてきたりしますが、1講義ごとに1問題ずつ考えます。「アキレスと亀」「可算無限と非可算無限」「ゲーデル不完全性定理」などなど。数学ガールみたいな感じで読めます。たぶん。

 

8.アメリカ大都市の死と生(ジェイン・ジェイコブズ

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

 

この本は実は関連映画が出ていて、映画を見ていただいたほうがよりわかりやすいと思われます。

youtu.be

ジェイコブズは市井のジャーナリストであり、生涯学者ではありませんでした。しかしながらトップダウンの都市計画がいかに有害であるかを様々な方向から指摘しており、ジェイコブズ以降、近代の人類学・都市社会学その他に大きな影響を与えました。何より、無遠慮な都市の改変を止めさせたことにその功績があるでしょう。

実証がしっかりしていないこともまた批判されてはいるのですが、現代に都市に住まう者でも十分に感じられる都市の要素とその重要性について再考できる本であると思います。誰におすすめすればいいかといわれると困りますが...都市が好きな方へ。

 

9.刑務所の読書クラブ(ミキータ・ブロットマン)

刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら

刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら

 

実に感ずるところの多い本でした。珍しく、むしろ短編小説に近いスタイルの本です。

ちなみに文春オンラインに私などよりよくまとまった書籍紹介があって、もうこちらをお読みいただければ十分興味をもっていただけるようにも思います。

bunshun.jp

読書というのは誰にでも同じように楽しまれるようなものでもなく、また刑務所という特殊な環境が読書クラブの参加者たちをひきつけていた(そこにとどまらせていた)ところが大きいなという印象です。刑期がおわり、釈放されたのちの受刑者の行動に対して、著者の諦念や、限界に対して絶望する心情も描かれています。

 

 

10.心理言語学を語る:ことばへの科学的アプローチ(トレヴァー・ハーレイ)

心理言語学を語る: ことばへの科学的アプローチ

心理言語学を語る: ことばへの科学的アプローチ

 

音韻論、意味論、語用論そして統語解析についてそれぞれに躓いている自分にとっては大変面白い本でした。今まで読んだ本たちを犠牲にせずに新たなる話題に繋げられるのは、著者が学説の分離をいちおう列挙・概説してくれているからです。

本書は心理学または言語学の学部生と、その他興味ある一般の人に向けて書かれているとだけあって、分厚いながら大変読みやすくやっております。いや大変というほどでもないんですが、語義通りに読めば読めるという意味において決して高くないと思います(ほかの本が難しすぎるというのもある)。因みに本書は心理言語学の教科書が重版になったのちに書かれており、さらなる興味のある各位はそちらを読まれたしとのことでありました。こちらは学説の詳説を極力省き、それらの生み出されるプロセスの解説に焦点を当てていますから、心理言語学の研究や解釈をじゅうぶんに楽しむことができるでしょう。

認知科学や、その言語的側面に興味のある方におすすめです。

100冊読破 5周目(91-100)

1.弁証法はどういう科学か(三浦つとむ

弁証法はどういう科学か (講談社現代新書)

弁証法はどういう科学か (講談社現代新書)

 

どちらかというと「科学に潜む弁証法はなにか」とかそういう読み方をしているせいで得るものが少ない。

ヘーゲルマルクスもあまり読んだことないのに唯物史観とか弁証法的矛盾とかいわれてもなかなかぴんとこないうえに、それが科学だとはなかなか思えなくて困りました。

実はこの本とは随分長い縁があって、その昔看護の三瓶眞紀子著「看護学矛盾論」の中で参考図書の筆頭に挙げられていたので気になっていたのですが。なんのことはないヘーゲルを読めということなのかもしれません。読んでから考えます。

 

2.メッセージ分析の技法(クラウス・クリッペンドルフ)

メッセージ分析の技法―「内容分析」への招待 (Keiso communication)

メッセージ分析の技法―「内容分析」への招待 (Keiso communication)

 

比較的古い本なんですけど面白いなあと思って読みました、特にテキストマイニング手動でやっとるやんみたいな箇所もありますしこれ今でもコミュニケーション論に関しては結構いい参考書になると思います。いいデータがとれないといい分析はできない。私はヒヨッコなので手元に欲しい。

 

3.道徳の逆説(ヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ)

道徳の逆説

道徳の逆説

 

犠牲が自殺にならないために、自己犠牲が各人に生きのびるようにと厳しく要求する。自己犠牲自体がわれわれにそう忠告するのだ。他の人々のために生きようと思うなら、多少は、そしてときどき自分自身のために生きよ、と。ーヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ「道徳の逆説」

ジャンケレヴィッチの徳倫理学的な部分は「徳と愛」で語り尽くされている感じがあるのでこちらはどちらかというと徳のもつ"姿勢"の不可能性(限界)のはなしであるように思う、そして相変わらず読みにくい。個人の姿勢についての説明はジンメル社会学ヤスパース実存主義からも借りる。というかここにおいてはジャンケレヴィッチは実存主義のスタイルを一部とっている。なおかつ、徳と愛には見られなかった"徳の合理性"の観点があるのが違いといえばそうか。徳と愛よりも自由に書かれている印象がある

 

4.都市ー社会学と人類学からの接近(藤田弘夫 吉原直樹)

都市―社会学と人類学からの接近

都市―社会学と人類学からの接近

 

東大出版会「メガシティ」の2・3巻だ…という印象がありますがそもそも時代が古いのでアジアは香港・日本くらいに対象が絞られています。「移動と定住の社会学」の内容を一部含みますし、今はもっといい本がたくさんあると感じました。農村と都市部の人間特性や家族の形態の比較、住民運動の生起とそれを取り巻く報道の時系列推移とかは今でも対象を変えて観察されていますし、面白い内容かなと思います。これ自体が何か新しいことを教えてくれる本というわけでもないんですが。

 

5.仕事と日々・夢想と夜々ー哲学的対話(ヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ)

仕事と日々・夢想と夜々―哲学的対話

仕事と日々・夢想と夜々―哲学的対話

 

なーにが入門書じゃなにもわからんわと思いながら最初から最後まで読んだんですが(本の中にそう書いてあった)、なにもわかりませんでした。科学は日進月歩だが道徳にはそういうことはないよと書いていたのが印象的です、その通りですが…

 

6.制度論の構図(盛山和夫

制度論の構図 (創文社現代自由学芸叢書)

制度論の構図 (創文社現代自由学芸叢書)

 

近代からの社会学や経済学までも巻き込んで、「行為」と「制度」の仕組みとそれぞれの考え方、何が述べられていて何が述べられていないかを指摘する。思ったよりずっと哲学(倫理学)寄り。組織論やるにあたってベースに欲しい本だ…社会学の理論の系統を追うよりこういう本を読む機会を増やしたほうがいい気がしてきた。あんまりほかにいい本を知らないというのもある。もう一回読みたいというかなんなら手元に置くべきなような気もする

構造主義が制度をどのように捉えているかっていう視点が好き、いまいち良さを理解できずにきたけどエスノメソドロジー的な解釈より自分にはずっとしっくりくるな。トップダウンの倫理というかシステムが先んじてあるから、内発的な個別の倫理が優先されることって社会生活の中ではほとんどない。

 

7.医療現場の行動経済学:すれ違う医者と患者(大竹文雄 平井啓)

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

 

これは面白かったですねえ面白かった。平井氏の著者は緩和ケア自分は統計など数字の詳細くらいしか目新しい内容はなかったのと、医療従事者からのバイアスを取り除くことについてくらいしか感銘はなかったんですけど、認知心理に馴染みのない医療従事者にこそ是非読んでもらうべきだと思いました。もしくは、人生の選択を迫られる前に、患者となるべきすべての方に予備知識として。

 

8.コミュニケーションの哲学入門(柏端達也)

気になるところに気になる著者の本が気になるタイトルで置いてあったらそりゃ手に取る。現代形而上学入門では心が折れたがコミュニケーションの哲学入門はわりと自分が問題としているものの核心に近くて非常にいい、内容も「知覚の哲学入門」(ウィリアム・フィッシュ)の中の議論に少し似ている。

この本自体にあんまり答えはないが言語哲学の射程範囲だとカバーしていない(こともある)社会内での相互行為や解釈の問題から入るので遠回りしなくていい感じがある。本文は100ページ余りで「シリーズ 哲学のエッセンス」ばりの気軽さで手に取れるのでオススメです。

 

9.ロボットの心ー7つの哲学物語(柴田正良)

ロボットの心-7つの哲学物語 (講談社現代新書)

ロボットの心-7つの哲学物語 (講談社現代新書)

 

心の哲学は、神経科学とか心理学からのアプローチを除けば

ポール・チャーチランド「物質と意識」ジョン・サール「MiND」

ダニエル・デネット「解明される意識」「思考の技法」「心はどこにあるのか」「志向姿勢の哲学」…くらいを読んだんやけどぶっちゃけこの本を入門にした方が良かったんでないかと。

例題はそのままサールの中国人の部屋とかデネットR2-D2で出てくるんですけど、あれらの本体はめちゃくちゃ長くて読みづらいのでこれくらいコンパクトでもいいのかなと思います。特に計算機科学は今もっと先に進んでいますし余分な問題の検討は目を通す程度でもいいやという方にこれはおすすめできます。

 

10.倫理学を学ぶ人のために(宇都宮芳明 熊野純彦

倫理学を学ぶ人のために

倫理学を学ぶ人のために

 

慶応出版会の「倫理学案内」ほどすっきりまとまってはいないんですけど、倫理学案内と合わせて読むと理解が深まるかなあと思いました。規範倫理の項とその変遷について説明される1-2章は倫理学案内ではどうだったかなあと思い返したのですが、多分こちらの方が詳しいはずです。倫理学案内はあくまで具体的でわかりやすい説明を目指しているので、倫理学のさらに基礎的な部分についてはこちらの方が詳しいと思う。

放送大学2018年度後期授業評と卒業の記

今回も受けた科目は9科目でした。

面接授業は残念ながら日程が合わず、今回は受講なしです。

 

2018年度後期授業評

生活と福祉コースー社会福祉関連科目

放送大学入学の理由として看護学の学位取得も視野に入れていたので、今期はそれに向けて授業を多めに取得しています。

 

社会福祉の国際比較('15)ーA〇

この科目は19年度に「社会保障の国際動向と日本の課題」としてアップデートされるようです。各国の福祉政策の特徴とそれぞれの課題が挙げられており、医療に従事している自分としても興味深い内容でした。筆記試験ですが持ち込み可能ですので、文章をまとめることができれば問題なく回答できます。

 

社会保険のしくみと改革課題('16)ーD(落ちた)

すみません、勉強不足でした。社会保険、それぞれ知識がばらばらになっているのでまとめなおしのためにと思って受けましたが、雇用保険関係や身体障碍者の家族の保障とかうろ覚えなことが多くて上記のような結果になってしまいました。教科書の内容としてはよくまとまっていますので可もなく不可もないかと思われます。

 

社会福祉実践の理論と課題('18)ーA〇

児童福祉に関する実際の事例など、読んでいてつらくなるようなケースにも目を通さないといけませんでした。内容としては看護学校時代の社会福祉総論・各論で学ぶようなことの焼き直しなので難しくはありません。

 

地域福祉の現状と課題('18)ーA

都市社会学に興味があって、社会福祉系の総論を学んでいればとくにこの科目は必要なかったかもと思いながらも単位のためにとってしまいました。すまない。

 

家族と高齢社会の法('17)ーA〇

持ち込み可の試験です。家族関係の法規(結婚・離婚・税制など)、相続関係等面白いなあと思いながら教科書を読みました。

 

そのほか

コンピュータとソフトウェア('18)ーB

エキスパートプラン「計算機科学の基礎」の必修科目だったので入れました。

内容としては「デジタル情報と符合の理論('13)」のほうがよほど充実しておりかつ難易度も高いのですが。高校の情報の授業の復習のような感じです。

 

現代経済学('13)ーA〇

今期の授業で1番頑張ったし1番結果がうれしかった科目です。

前期で経済学入門を履修したうえで、関連書籍を結構読んできましたがそれでも難しく感じました。ただ試験問題を解いていると、それが授業の本質か...?と思うところは若干ありました。来年度には'19版が出るらしく、シラバスを見ていると昨年のノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー行動経済学の分野も入るようです。

 

入門微分積分('16)ーD(落ちた)

数学よわいのになぜ受けてしまったのか。...「社会数学」の必修科目だったからです...。来期も学籍を残しているので、再試験できるみたいです。

 

身近な統計('18)ーA〇

なぜこれを最後に受けてしまったのかと思うほどですが、試験の日程上可能だったのでいれました。

心理統計法→社会統計学入門→身近な統計、とどんどん難易度が下がっているので復習のつもりで履修しました。データCDつきなのですが、内容を見たりデータを使って遊ぶ暇がありませんでした。悔しい。

 

卒業の記と今後のことについて

放送大学編入学して2年間、毎期ごとに9科目と適宜面接授業を受けてまいりました。そして私事ながら、今年度は(も?)仕事も私生活もまことに忙しい1年でして、当初の目的の中には達成できたこととできなかったことがあります。

 

1.認定心理士について

2年間の履修で取得を目指していましたが、「心理学実験2」の面接授業と日程があわず、残念ながら最短での取得はできませんでした。ちなみに来期も継続入学の申請のタイミングが早すぎたようで、履修登録はできておりません...なぜなんだ。ほかの認定単位については取得済みなので、来々期以降の取得となりそうです。専門資格の類ではなく、学会認定のものなので構いませんが。

2.学位の取得について

教養の学位はこれで自動的に取得できます。看護の学位については、落としてしまった社会保険の仕組みと改革課題」と残り2科目、「看護管理と医療安全」「社会福祉と法」をとろうと思っています。

これに加えて学位審査のためのレポート、面接を経ての授与となります。

3.エキスパートプランについて

今期の成績が発表されることで、「人にやさしいメディアデザイン」「現代社会の探究」については必要事項を達成しました。

「社会数学(認証名:数学と社会)」については必修である「入門線形代数」と「入門微分積分」を履修することで認定となりますが、道のりは長そうです...。

「計算機科学の基礎」は来期にいくつか必修をとるので、あと半分くらい。

18年度新設の「データサイエンス」も必修部分に未履修があるのですが、その科目を履修すると認証となるようです。

エキスパートプランはもちろんおまけなんですけど、面白いです。それから、教養学部に在籍しているとどうしても興味の方向性が外から見えづらいので、そのあたりを説明するにも便利かと思われます。

4.来期以降について(選科履修生で1年在籍)

現職で仕事を続けるかどうか悩んでいたのですが、年度末で退職することになりました。先に継続入学の申請を出してしまったので、もう面接授業の追加や修士課程の科目履修ができないのが無念です。

次の半期は院試に向けてささやかながら語学に本腰をいれようと思っております。

履修コースは、悩んでいましたが、「生活健康科学」に出願することになりそうです(修論の指導教官の関係上)。履修したい科目は人間発達・社会経営・情報にも散在しているのですが。

5.大学院(修士課程)について

本来は臨床(看護師)経験5年ののちに慢性疾患看護領域で専門看護過程に進むことを考えていたのですが、新しい家族や転居等の都合もあり、どうにも通学での履修が難しいことを悟りました。そこで、かねてより検討していた放送大学への進学が現実的となりつつあります。看護の大学院を目指す場合は看護学士もさして必要なかったのですが(学位が看護学修士となるため)、学術修士となる場合は看護の学位が欲しいこともあり、学士(看護)の取得に向けて動くかたちとなりました。

来年度は全科履修生に向けて準備をしながら、後期には科目をいくつか履修する予定です。研究計画を煮詰めていかねばなりません...。

6.2019年度前期履修科目

来期は息抜きがてら、趣味の科目がたくさんあります。

趣味科目

現代フランス哲学に学ぶ('17)

現代の危機と哲学('18)

法学入門('18)

新しい言語学('18)

 

(なかば)エキスパートプランのための科目

マーケティング論('17)

計算の科学と手引き('19)

自然言語処理('19)

コンピュータの動作と管理('18)

 

学位取得のための科目

看護管理と医療安全('18)

 

悲しいかな、再試験の科目

入門微分積分('16)

社会保険のしくみと改革課題('16)

 

院試準備と院試そのものや研究計画の作成についてはまたおいおい書いていけたらよいかなと思います。

最後までお目通しいただきありがとうございました。

終わりの始まり

社会人(あえてこの言葉を使う)生活になってから、年度ごとに記事を書いてきた。でも、何故だか先が見えなくなってしまったのと、やる気がないのと、高校卒業から10年の区切りなのとで(それ自体にも意味はないが)、今回は違う記事を書こうと思った。

 

 

10年前のこと

自分は10年前は高校3年生だった。詳細は省くが、その1年前からうつ状態になり、ほとんど学校には行っていなかった。センター試験の入金だけはしたけど、体調が悪く受験はできなかった。毎日布団に横になって泣いていて、少し元気がある日には考え事をして泣いていた。とにかく、先が見えなかった。

 

そんな過去の話がしたいわけではないのだけど、10年後のいま、仕事があって伴侶がいることをどう捉えていいかわからなくなるときがある。因みにうつ自体はある程度コントロール可能になったものの、疲れやすく気分は不安定で、今も服薬を必要とする。

 

何かってなんだよ

10年前にそんなだった。少し体調が上向いてきたころ、家族に「何か資格をとったら」と言われた。なんでもよかったのだとは思う。高卒以外になにも資格がないと(そりゃ、英検や漢検くらいはあったかも知れないが)就職にも困るものだ。きっかけを作りたくての発言だったのだと思うが、「何かってなんだよ」と自分は思っていた。体調が変動するリスクを抱えて、少しアルバイトをするにも苦労していたから、継続して就労できるとは思っていなかった。精神科の通院と薬代が申し訳ないから、自立支援を受けようとしていた。

 

 

「なにか」のあと、それから

結局それから自分は看護師になり、4年間働いて、そしていま職を辞そうとしている。

勿論学生時代にも、就職してからも困難はたくさんあった。敢えてここに書く必要はない。

 

フルタイムで働きながら、病気や資金繰りを気にして行けなかった大学に編入学して、もうすぐ卒業となる。

寝たきりだったころから比べると、まあ人並みには頑張ったしふつうの人生に戻ってきたのじゃないかと思う。

 

求めていた「人並み」とはなんだったのか

なんだったのだろう。

学生の頃にも、いまも、人並みになにかできることに私は非常に執心してきた。それが曖昧な概念であることも頭では理解していたし、どちらかといえばその人並みを要求しているのは世間ではなく自分自身であることをよくわかっていた。

 

そして、この10年で人並みの人生は大体取り戻したかなと思った。特別なことはなにもしていないから、単なる自覚の問題かもしれない。

この数年間は「人並み以上」と思える人の背中ばかりを追ってきたので、あまり人並みに興味が無くなったといえばそれもそうだ。

 

いま、先は見えにくいが、目標を見失うことはそんなにない。「人並み」は、常に今より今後をよくするための手段ではあったけど、目標そのものではなかったらしい。その証拠に、人並みにはなったかと認める今でもあまり自分に満足することができない。

 

 

1年間に経験したこと

今年度はとても私人としての自分を優先して生きなければならなかった年で、結婚が決まったことにはじまり、その手続きと儀式の準備と生活への適応に追われた。継続し得なかった妊娠も経験した。

 

毎年年度の終わりに日記を書いてきたと言ったけど、大体は仕事のことを少しまとめて、次の年の展望をまとめていた。

 

残念ながら、ここから先は、1年ごとの展望は具体的にはない。でも、3年や5年の長さにすれば、素描することくらいはできる。

 

ひとりでしていたことがひとりではできなくなるけども、それもまた自分という人間に課せられたる面白い困難なのだと思う。他の人がどんな風にクリアしていたとしても、自分の困難とその解決は自分自身のものだ。参考にはなったとて、体験そのものではない。

 

ここから数年が、ひっそりと目標をクリアし続ける年月になればよいなと思う。