毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 5周目(81-90)

1.この宇宙の片隅に(ショーン・キャロル)

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―

 

http://streptococcus.hatenablog.com/entry/2018/03/16/220441

以前これに関してエントリを書いているので割愛します。とってもオススメの一冊。

 

2.WORK DESIGN 行動経済学ジェンダー格差を克服する(イリス・ボネット)

WORK DESIGN(ワークデザイン):行動経済学でジェンダー格差を克服する

WORK DESIGN(ワークデザイン):行動経済学でジェンダー格差を克服する

 

タイトルはなかなか釣りっぽい(釣りっぽい言うな)ですけど中身かなりしっかりしていました。行動経済学…うんまあ行動経済学 でも内容は簡単な認知心理学のおさらいと膨大な企業・官公庁のもつデータでバイアスを探る本です。経済の理論的な部分は他の本に譲っていいくらいですが、ジェンダーのみならずエスニシティに関わるバイアスの介在がどのように学習・採用・組織内活動に影響しているかをこれでもかというくらいさまざまな分野で実証します。鮮やかなのはその事実ではなく、改善可能かつ有効・無効の提示の仕方。著者は公共政策大学院の教授であり、また部局長の歴もおありとのこと。学術界や政界まで及んで女性や民族的少数派のひとびとがいかなる差別を受けるか説明し、その解消のきっかけとなる組織構造・採用システム・研修内容の変更にどれだけコストをかける意義があるかを明確に述べています。

収集されたデータの検証、行われた社会・心理実験、実際に各国各組織で修正されたダイバーシティへの取り組みがいかな結果であったかは各章をお読みいただければと思います。教育・研修・採用におけるメソッドを変更する有効性は測ってこそ改善のしがいとコストの投入ができるものなので、やみくもにやるもんとちゃうでというメッセージがあちこちから読み取れます。ダイバーシティ研修後に免罪符効果で否定的な価値観が強化されるとかわりと絶望できる内容だなあと思います(なにくれとなく耳にしていたことではあるのですが)。あと人事評価システムの公平性と客観性とか。

昨今働き方改革だの大学入試改革だの移民政策だのいろんなところで改革の余波があるのですが、そこに対しても前に後ろに検証がなされてどんなかたちであれ反省が活かされなければまた金をドブに突っ込んだことになるよなあと思うのでした。

関連書籍として挙げられる(本の中でも引用されていた)お勧め本。

「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン エイモス・トヴェルスキー

「あなたはなぜチェックリストを使わないのか?」アトゥール・ガワンデ

「貧乏人の経済学」エステル・デュフロ アビジット・バナジー(未読)

「予想どおりに不合理」ダン・アリエリー

 


以下直接の引用ではないけどおススメできると思われる本

「モラル・エコノミー」サミュエル・ボウルズ

 


因みに本書もわりと前知識少なめで読めますし、おススメ各書もかなり読みやすいと思います。お墨付きです(私の

 

3.植物たちの救世主(カルロス・マグダレナ)

植物たちの救世主

植物たちの救世主

 

著者はスペイン出身の園芸家。英国王立キュー・ガーデンで近絶滅種を含めて希少な植物の繁殖と保護に努めています。その活動範囲はまさに世界中どこでもというほかなく、高山・砂漠といった極限環境から熱帯雨林や孤島までありとあらゆる場所を対象としています。本人は植物「学者」とは呼ばれないのかもしれませんが、キュー・ガーデンの講師も務めていて、そもそも現在ではどのような環境で生育するかわからない希少植物の発芽から次世代へのバトンタッチまでを考慮し、実験し、そしてあわよくば元の環境に戻して繁殖させます。ひとつひとつ実践が既に探究行為ですね。

希少な植物がまずどの科・属・種に分類されるかを見分けます(そうすることからしか話は始まらない)。そして気候や気温、土の状態や発芽の条件といった生育条件を調べ、キュー・ガーデンの研究室に持ち帰り最適な環境を作る。毎回試されるこれも、場合によってはラスト・チャンスかも知れないのです。土地の人間社会も植物の生存に大きく影響しているため、生きるための森林伐採や国策による開墾が土地の環境を変えてしまうことはままあります。悲劇的な状態でほぼ唯一無二の植物を発見し、悲鳴をあげるシーンもたびたび。また、キュー・ガーデンで繁殖に成功しても、元の環境で適切に扱われるとは限りません。

植物を救い続け、驚くべき出会いに感嘆する著者の目は植物のいる現在の環境だけでなく過去・未来の数十年にわたり向けられていて、僅かながらその視線を共有できるのがまた面白いのです。著者はスイレンが大好きで、スイレンのためなら現地で他の調査中でもすぐに車を止めて走り出してしまいます。さながら植物への依存症なのですが(著作の中で本人がそう述べており、コカの葉を噛みながら高山に向かうシーンは見もの)、その情熱が植物たちを何度も再生に導き、滅びの瀬戸際で踏みとどまらせます。学術書でもなく専門書でもなく、これは一種の冒険譚(むしろ本人ではなく、植物の)に近いものがありました。

植物を取り巻く人為的環境への言及は批判的なものばかりでなく、現地の人々への理解と協力的姿勢に満ちており、現地の社会で現存の環境を維持・向上するメリットを述べたうえで技術の伝達を行います。産業でもなく政策でもなく教育でもなく、植物に関する「国際協力」というのがよいのでしょうか…文化人類学や考古学等他の地理環境と文化に関係する本は読んだことがあるのですが、ここまで「植物」に特化した本は自分は初めて読みましたし、ものすごく面白かったと書くしかありません。おすすめです。

 

4.心理言語学を語る:ことばへの科学的アプローチ(トレヴァー・ハーレイ)

心理言語学を語る: ことばへの科学的アプローチ

心理言語学を語る: ことばへの科学的アプローチ

 

おススメ本ばかりですみません。本書もおすすめさせてください。言語学の音韻論、意味論、語用論そして統語解析について躓いている自分にとっては大変面白い本でした。今まで読んだ本たちを犠牲にせずに新たなる話題に繋げられるのは、著者が学説の分離をいちおう列挙・概説してくれているからです。

本書は心理学または言語学の学部生と、その他興味ある一般の人に向けて書かれているとだけあって、分厚いながら大変読みやすくやっております。いや大変というほどでもないんですが、語義通りに読めば読めるという意味において決して高くないと思います(ほかの本が難しすぎるというのもある)。因みに本書は心理言語学の教科書が重版になったのちに書かれており、さらなる興味のある各位はそちらを読まれたしとのことでありました。こちらは学説の詳説を極力省き、それらの生み出されるプロセスの解説に焦点を当てていますから、心理言語学の研究や解釈をじゅうぶんに楽しむことができるでしょう。

 

5.6.リヴァイアサンⅠ Ⅱ(トマス・ホッブズ

リヴァイアサン〈2〉 (中公クラシックス)

リヴァイアサン〈2〉 (中公クラシックス)

 

リヴァイアサンの特に第3部の宗教への権利の集中の解釈、そもそもキリスト教に詳しくなくうろ覚えなため色々わからなかったはずなのに少なくとも「神学否定」はしていなく、また神の恩寵を否定するものでもないことは明らか。しかし神学は哲学ではないとはっきり述べてもいる。法哲学とか公共哲学なのかもしれんが、基本は制度論ですね。集権のメカニズム。人間の感情の相互作用が権利の協奏曲発展するっていう考え方は情念論とか道徳感情論よりもちろん発展的だがなんというか意外にも行動主義っぽい 歴史家の制度論…
ノージックの「アナーキー・国家・ユートピア」を先に読んでいるのでなんというか真逆からのアプローチと思えば考えは理解できると思うが、何せ時代が違うのでミルの自由論とかリバタリアニズムの文脈にはすぐ接続できない。潮流は明らかにそっちですが。

 

7.現代社会と経済倫理(永井位行 鈴木純

現代社会と経済倫理

現代社会と経済倫理

 

「いま、世界の哲学者が考えていること」の経済ver.という感じがする(あと主体も日本を中心にしているのでわかりやすい。言葉が平易ですので初学者向けだとは思います。倫理系の入門書で心が折れるという方で、企業倫理とか資源配分の公正とかに興味があるなら本書はおすすめできて心も折れません。その分中身はやや薄いです。放送大学の教科書よりさらに平易。

 

8.よくわかる看護組織論(久保真人 米本倉基 勝山貴美子 志田京子)

よくわかる看護組織論 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる看護組織論 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

 

やわらかアカデミズム、めっちゃニッチな本出してるやん…!と思って読んでみましたドンピシャ面白かったです、現場を知っている人が読んでも面白いとは思いますし組織論全般を扱っている方に読んでいただいてもよいのではないでしょうか。対人援助をチームで行う人間の特殊性をよく説明してくれます。

 

9.現代現象学ー経験から始める哲学入門(植村玄輝 八重樫徹 富山豊 森功次)

現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

 

わかりやすく、かつ項目立てがはっきりしていて大変おすすめです。難易度は中程度。 医療職を含む対人援助職で哲学の議論に興味がある人(特に医療倫理や生命倫理というよりもケアの倫理や身体論について興味がある人)へのよい入門書として出せると思います。

フッサールから出発してたびたび立ち返りますが、テーマごとにそれぞれ熟した議論を解説してくれるし脚注の読書案内も充実しています。最初は認知哲学に至るような部分も含むが、そこはきっちり現象学入門なので新旧の議論を追ったうえで各論に入っていく。第2部の応用部分では価値、美学(芸術)、道徳あたりが面白い。美学の項目は「分析美学入門」の著者が書かれているので…。あとは全体的にどの論を持ち上げるとか否定するとかいった判断がないのがよい。ベナーとかメイヤロフに興味があり、読んだことがあるならば看護の知識でも読めます。ただし哲学の一般的な議論は前提のように出てくるので注意は必要かと思われます…(シェーラーとかは私もまったく知らない

 

10.正常と病理(ジョルジュ・カンギレム )

正常と病理 (叢書・ウニベルシタス)

正常と病理 (叢書・ウニベルシタス)

 

もし病気がやはり一種の生物学的規範だということが認められるなら、病理的状態はけっして異常といわれることはできず、一定の場面との関係の中で異常だといえることになる。逆に、病理的なものは一種の正常なものなのだから、健康であることと正常であることとはまったく同じではない。健康であることは、一定の場面で正常であるということだけでなく、その場面でも、また偶然出会う別の場面でも、規範的であるということである。健康を特徴づけるものは、一時的に正常と定義されている規範をはみ出る可能性であり、通常の規範に対する侵害を許容する可能性、または新しい場面で新しい規範を設ける可能性である。ある環境および一定の要請システムの中では、腎臓が一つしかなくても正常のままでいられる。しかし、もはや腎臓を失うような贅沢をすることはできない。(中略)健康とは、環境の不正確さを許容する幅であるージョルジュ・カンギレム「正常と病理」

医学史を紐解きつつ、病理学がもたらした「生理学」について考察します。以前にカンギレムについてはグザヴィエ・ロートの本を読んでいますが、環境との関係性としての生命の主体に重きをおくのはまことに適切な姿勢であると思います。現代でも。

カンギレムは、遺伝特性のように"避け得ないが,環境の中で特性(有利にしろ不利にしろ)が発見されるもの"や病気(病理)によって正常(無意識の生理)が規定されていることを指摘します。疾患の罹患を含めた内外の環境への反応として現れた結果としての「病理」は、心理領域でも随分盛んでありました。カンギレムのこの考えが、公衆衛生に対して考えを向けていたバシュラールから受け継がれたものであることが本書の註に書かれています。ストレス理論でおなじみのセリエを持ち出して、社会システムに対する適応と非適応の問題を論ずるところは最早現代でも同じで、むしろ進歩がない(我々の教科書に

レジリエンス(擾乱に対する回復力)を健康の定義とする考えは、今もそのとおりで、その擾乱自体を各人に対してソフトにしようとする現代のむきは非常によいです。が、社会のシステムは全然そうじゃないんだよなあとか思ったりもします。逸脱から戻って来づらいというか、疾患を抱えて生きるには厳しいというか。ここは正常と病理に書かれた範疇を超えるのですが。

結婚関連経費について

ご無沙汰しております。無事に挙式と新婚旅行を終えましたので、半年以上かかった準備やその他のことについてメモがてら残しておこうかと思います。

具体的には、

・挙式・転居関連費用とその用途について

・予定調整が必要かつ時間のかかる行事について

この2点を優先しようかと。

 

なぜこれを書こうと思ったかというと、結婚を決定してから1年、取捨選択の連続であり他人との折衝の連続であり、また仕事と違って個人的な人生の目標や生活の変更を強いられたからです。自分の意思決定が、少しでも誰かの参考になれば嬉しいです。

 

ちなみに結婚や同居にあたって優先した事柄や基本的なコンセプトは別記事にも書いておりますので、気になる方はお目通しいただけますと幸いです。

streptococcus.hatenablog.com

 ↑引っ越し直後に書いた記事です。結婚式場選びの理由が少し書かれています。

streptococcus.hatenablog.com

↑親族イベントや挙式に関してすることしないことを時系列に書いています。

下記記事に書かれていないことがあれば、もっぱらこの2つの記事がカバーしていると思います。 

 

 

諸費用について

最初から飛ばしておりますが、具体的な話から始められる方がわかりやすいので金額についての話をします。

因みに我が家のコンセプトは、「時短」と「無駄なものは買わない」「不要な支出はしないが、必要な経費は惜しまない」です。

 

1.同居に際して発生する費用

①家関連費用

敷金礼金、初回家賃前払い、火災保険や保証会社への支払い、仲介業者への支払い、引っ越し業者(2名同時・1K2部屋から2LDK)への支払い

…60万円弱(街中なので割高ではあります)

これに関しては元になる家賃や地域差により結構上下するのであまり参考にならないかと思います。

②家具家電関連費用

カーテン、電灯、エアコン1基(ついていなかったので)、食洗機、ダイニングテーブル・椅子

…20-25万くらい

大型の家具や家電は可能な限り使い続けられるものを使う方針で転居しています。洗濯機、冷蔵庫、オーブンレンジなどなど。このあたりを買い換えると+20万くらいすぐ乗ってしまいそうです(ものにもよりますが)。

個人的なオススメですが、ただでさえ転居も挙式もお金がかかるので、とりあえずの仮住まいには最低限(そして購入するのであればそれなりに長く使えそうなものを考慮して)でよいのではないかという印象でした。

 

上記①はそれなりに短期間で必要となりますが、②については2-3ヶ月生活しながら徐々に集めました。引っ越し前の貯蓄は勿論あった方がいいですが、家のスペースや居住者の生活を考慮すると最初にあれもこれもと集めるのはリスクが高いなと。

 

2.挙式・結婚指輪・対親族経費

一応今回のメインの話題(?)なので、何にどれだけかかったかだけではなく安くする方法についてもちょいちょい書いていくつもりです。

実際自分たちがかけた費用と、大体の相場とその変動幅、省略可否を書きます。

 

①挙式・会食
  • 式場選び:無料

無料相談カウンターに行き(大抵は無料ですが)、かつ試食会等を利用しなかったため無料でした。試食会・式場によっては、その場で決定しない場合は有料等の条件があるようです。

 

  • 挙婚費(基本的な挙式・会食のみの料金):20万弱

プランの中に、貸し衣装(洋装和装いずれか一着)・和装ないし洋装の着付け・メイク・ヘアメイクと挙式から披露宴までの基本費用が含まれます。お色直しは追加料金。

当日のチャペルまたは神殿の貸し切り、披露宴会場・親族控室等のスペース使用料がここに含まれます(契約の際に使用料がゼロになり、結局上記の値段に含まれます)。

電車の吊り広告などで紹介される「スマート婚」に代表される価格の安さはこの部分を抜粋したもので、なんらかの事情により夫婦2人のみかつ写真を希望しないなどの場合には最小の負担にすることも可能でしょう。

 

  • 初穂料:10万弱

神前式の場合は必要です。上記挙婚費とは別に(式場と神社は提携しているだけなので)費用が発生します。教会式の場合も、プランに含まれなければ教会に対して何らかの費用が発生する可能性はあります(人前式を前提とするプランは特に)。

 

  • 食費:20万(親族含め10名の場合)

披露宴の食費です。大人数の式で巨額になるのは大体ここが理由です。が、変えられる費用でもないため人数が決定しているのであれば固定費用です。人数が多ければ多いほど料理のグレードによる些細な値段の変動の影響を大きく受けるため、友人の挙式などで料理に愚痴を言う人は大体この辺りで計算されたのだと思ってください。

 

  • 当日の写真撮影:5万

親族の会食だけなので撮影は挙式のみ、前中後くらいの写真を撮ってもらうことにしました。データの受け渡しも込みです。撮影スタッフの方の神社出張費用を含めてこの程度でしたので、恐らく当日の撮影費用としては非常に安価であると思われます。

参考程度ですが、披露宴中の写真・データを含めると大体10万程度になり、ビデオを撮影してもらうと軽く20-30万程度追加です。式場によっては個人のビデオ撮影を禁止している式場もあるためご確認をば(私は親族によるビデオ撮影もお断りしましたが)

 

  • 前撮り:13万くらい

色打掛・ウエディングドレス(新郎は紋付袴・タキシード一式)両方のレンタルと着付け・ヘアメイク・メイク、写真撮影とデータ一式受け渡し料金がここに含まれます。挙式がシンプルなので前撮りは自由にやりたいという自分の希望と、会場側の提示したプランの相性がよかったので利用しました。内容がてんこもりの割には、これもそれなりにお安いです。

因みに会場の提供を使用せずにロケーション撮影のカメラマン等やレンタル衣装、メイクを手配して上記と同じようなことをした場合にどれくらいの金額がかかるのかはよくわかっておりません。20-30万くらいでしょうか…

 

  • 親族への着付けとヘアメイク・レンタル衣装・親族宿泊費(4名分)等:15万くらい

親族への配慮が必要であったために、このあたりは惜しみなく使う前提でした。和装・タキシードはレンタルも使用しましたし、持ち込みもありました。遠方からの親族のために宿も用意したので、大体これくらいです。ちなみに、親族は親族でご勝手にどうぞと言うことも勿論不可能ではないので、カップルによってはここの部分は限りなくゼロに近くなります。

 

  • 親族への引き出物、引き菓子:10万くらい(8名分)

 

  • 両親への花束、花嫁アテンダー料、介添人:計5万弱

後ろ2つの項目は新婦の美容に関する修繕、その他移動介助等をしてくれる方々です。当日は白無垢が重すぎてほとんど動ける状態ではないため、秘書さんのような存在が必要です…

  • その他雑費(会場の席次表や招待状等の紙もの・白無垢の綿帽子など):計5万弱

 

費用に関してはかなりの概算ですが大体これくらいです。相場より安かった部分については安いと書き、手をかけた(お金をかけた)部分にはそう書いています。

自分たちにとって必要だったので追加した部分について特記すべきことは、

  1. 神前式であること(人前式であると関係者が減るため費用は下がります)
  2. 和装であること(着付けが大変なので費用が上がる傾向)
  3. 親族の衣装・着付け等の美容、宿泊等の費用を請け負ったこと
  4. 引き出物をそれなりにいいものにしたこと
  5. 土日祝日の吉日を選んだこと(親族の都合上)

などがあります。

 逆に費用がかかっていないことについては

  1. 卓上装花・ブーケ・髪飾りに生花を使用していない(両親花束のみ、卓上の花については基本プランに含まれていたものを使用)
  2. ケーキ、司会料金、ビデオ、自己紹介ビデオ等が存在しない
  3. ウェルカムボードもめっちゃ適当(前撮りの写真を貼っただけ)
  4. フォトアルバムはデータをもらって勝手に作る予定

...くらいでしょうか。上記1-4を追加した場合、数十万の追加にはなります(特に生花とビデオ)。

もちろん家族会食なので必要なかったことですが。

 

なお、私たちのように家族会食をされる方々に対して費用を重視したうえで素敵な結婚式ができるなあと思ったのは、

  1. 少人数
  2. 会場のプランが提示する期日ぎりぎり(割引額が大きいです)
  3. 日付を選ばない場合(親族が都合をあわせてくれるならば)

で、京都で有名な料亭旅館を貸し切って挙式できるプランがありました。

実際に我々と同様のことを実行しようとした場合には追加料金が嵩んで似たような値段になるのだとは思われますが、「ここで(有名な料亭で、教会で、神社で)挙式したい!」という強い希望がおありであればどこを手抜きにするか考えるのも楽しいものです。

 

  • 新婦のみに必要であった経費について

前撮りドレス用:ドレス用インナー上下(3万くらい)

前撮り・当日和装用:肌襦袢・髪飾り(2万くらい)

前撮り・当日用顔面~肩回り剃毛(剃毛て)・マッサージ(計3万くらい)

というわけでなんやかやと私だけにかかった経費もありました。

この辺は自腹ですつらい。

 

②結婚指輪

他の記事には書きましたが、婚約指輪がなかったことと結婚指輪も仕事中はつけられないのでデザイン性のあるものを選びました。2名分で20万弱くらい。この辺りは選びどころがあるでしょうから、カップルによって差が出る部分ですね。

③対親族経費

親族会食に必要だった経費について。結納はしておりませんが顔合わせ会食を短期間に何度もする必要がありました。

組み合わせとして、

新郎新婦・新婦家族

新郎新婦・新郎母

新郎新婦・新郎母・新婦父母

新郎新婦・新郎父・新婦父母

というややこしい手続きを経ております。

このときの会食の費用は親族がもっていたりと不明瞭で私はタッチしていませんが、小噺として。実際には金額よりもスケジュール調整のほうが大変でした(後述)。

あと、自分の挙式までに新郎兄弟の挙式もあったのでそちらに私も参列しております。

結婚式後の内祝いについても終わっていないので、ここには書いておりません。

 

3.新婚旅行

いかない予定になっていましたが、勤め先の制度上必ず休みがもらえるので、国内旅行に行きました。費用としては20万くらいで伴侶の運転で真冬の日本海側を秘湯巡りするとかいうやらかしをして大変楽しかったです。ご飯もおいしかったですし。

ここも人によってプランが異なる部分なので(親族のみならば海外や国内リゾート挙式なんかも可能です)、スケジュールと相談になるかなあとは思います。

 

 

お金の話は大体ここまでです。

そして、ここまでの総額がざっと200万円を超えていることがおわかりでしょうか。

この出費は大体半年~1年以内に発生します。すべてまとめてではありませんが、やはり双方にある程度の貯蓄があったほうが現実的です。

 

結婚に際しては、親族(特に両親)からご祝儀などの援助が受けられますが、そうでない人もおられるかと思います。また、披露宴で職場の方や友人を招くと、予算は膨れます。自分たちがそういった大掛かりな挙式を望まなかったこともありますが、結果的に「人からのご祝儀をあてにする」という構図が自分はあまり好まなかったので、あくまで「実際の支払費用」を書いてみました。

 

 

別録:スケジュールと必要な時間について


ページトップにリンクを貼った記事(結婚式準備編)では大体のスケジュールを書きましたが、実際にスケジュールをこなしてみると、「トータルで何にどれくらいの時間がかかったか」と、「パートナーや親族とのスケジュール調整がどれくらい必要か」にかなり苦労しました。

特に自分たちは共働きで、かつ私は不規則勤務、伴侶は通常業務に加えて不定期の出張など家を不在にすることが多いので予定のすり合わせが大変なストレスでした。

ので、結婚関連イベントの時間的なコストについては別の記事に書きます。いち記事が長くなりすぎました…。

 

 

独身最後の記事を書き損ねた

ので、これが伴侶を得て最初の記事となる。

 

 

▼出来合いのおかずのような

これが愚痴でないと言えば嘘になる。

愚痴でもあり弱音でもあり、耄碌した記憶の焼き直しでもあり惚気でもある。最悪だ。だからこそ今書こう。

 

そもそも伴侶を得るということはどういうことなのか。婚姻という契約の形式を取らねばならぬのか。社会への体裁はこうでなくてはならないのか。

そういう議論はよそでやろう、今ここで自分は既存の社会規範に倣うことを選んだのだから。選ばない人は強い。抗う意思がなくてはその選択肢はそもそも現れもしない。私たちは選ぶことを選んだ。

 

しかし選ぶことを選んだあとも、さまざまな細かい選択の連続であった。

かつてここまで、恋人であった人たちと新たなる家族や自分の身の置き所について話したことがあっただろうか。まあ話すに至らなかったその他の人がいるからこそ今の伴侶がいるのだが。つまり選ぶところまで辿り着くにはそこまでの過程が必ずあるのだ。それは自分ではないどんな人にも。意識の俎上になかったとしても。

 

 

▼婚姻への合意の形成について思うこと一頻り

こういった薄っすらとした合意の形成は自分にはとても難しく感じる。住む場所、生きる糧(飯の種)、家族の有り様、それに対する考えを形成するまでにあったことやその判断に影響した要素。言葉になるものもならないものも、様々な感覚を持ち合い、すり合わせた。私はぶつかりたくなかった。ぶつかるのが怖かった。ぶつけて、相手を薙ぎ倒してしまうことも怖いし、言語化できないやわな部分を踏み躙られるのも嫌だった。それがいったい(なに)であるかも最早言葉にはできないのだが、とにかく、こうして家族になるということはその(なにか)をなんとか守った状態で家族という鍋の中に入ることに成功したということである。もっとも、成功したのは家族という新しい枠組みに入るという一点においてであり、この婚姻はまだ成功ではない。人生の終焉において初めて婚姻が成功であったというのだろう。そしてあるいはこの先破局に至ったとしても経緯によっては失敗とは言わないのかもしれない。

 

自分にとってのほかの他人と較べてもしようがないが、2人きりで会話をした最初から、この合意は形成されていたような気もする。でもそこで確信を持つほど自分は自信家ではないし野心家でもない。多分相手もそうだったろう。

こういうとき、会話は延々と続くジャブの応酬に近い。本音は出したり出さなかったり、建前に見せかけて振り返ってみれば大事なキーワードであったり、それを聞き逃したり取り違えたりする。

 

 

私は不思議に思う。目の前の、あるいはとなりの人間と、いったいどうして言葉の意味を共有できるだろうか。経験も学識も等しくなく、かつ、持っているからだも身を置いてきた場所もこれからいる場所も異なるのに、なぜ居を同じくし、同じ方向を向いて、家庭を持つことに踏み切れるのだろうか。

 

最早諦めに近いこのジャブは、いつしか場所を変えても経験を重ねても繰り返されるようになり、次第に日常に変化する。

ただ毎日を浮いたり沈んだり、働いたりご飯を食べたり食べなかったり眠れない夜を過ごしたりするだけで、伴侶になったりならなかったりする。自分の印象としてはそんな感じだ。明確になにかを担保すると言われたわけでも、ややこしい自分の性格や経歴を事細かに聞かれたわけでもなく、ただなんとなく、理解と誤解を重ねればそうなるのだ。としか言いようがない。

 

それは長く時を共にした友人に関してもいえることでもある(そんな人物がいたらの話だが)。異なる価値観や経験を有しているからこそ安心して胸襟を開くことができる。

 

 

 

▼生活の再編について

1年間ずっと、選択の連続だった。ひとりならば、健康に不安があれば辞めればよいだけと思ってがむしゃらに仕事ができたのに、急に弱ったりもした。業務・学問上の(ぬるいとはいえ)目標もあって自分を叱咤激励してきたのに、それが短期には叶わないと知り、目標と手段の変更を余儀なくされた(結果的にはそちらのほうが安パイだったとしても適応に時間がかかる)。

 

生活への戸惑い、人生への戸惑い、他者がどうしようもなく生活の中に組み込まれることへの違和感。自分でない他人が生活にあるのはここまで困難なことであったか、と思うほどだ。

 

先の人生を考えることは難しい。とくにゆとりをもって計画していない人間には再編は喫緊の課題となる。

少ないながらもこれまでのキャリアを考えこれからのキャリアを考える。キャリアを離れる期間と築く期間の分断に気づく(これが一番の負担である)。

住む区画を選び家を選び間取りから居住空間を考え持っていく家具や捨てる家具、新しく購入する家電家具を選ぶ。

家庭の事情を考慮しながら婚姻にまつわる行事の意思決定をする。

 

そういった事柄にヒーヒー言い、手を焼きつつ仕事しながら片手間に考えるのは大変だった。1年経ってもこの選択に慣れたとは到底思えない。仕事に慣れるのにも実質は3年くらい要したように、自分はきっとこの生活にも3年くらいかかって慣れていくのだろう。そのことを思うとうんざりするが、仕方ない。引き受けると決めたのもまた自分なのだ。婚姻への合意というのはそういうものだったのだ。

 

先々のことを日々ぼんやり考えながら雑事をしていると、10年前、先のことなど何一つ考えられなかったのを思い出す。ここにもよく書いているので改めて申し上げる必要性は感じないが、自分は意思決定がとにもかくにも下手で、悩んでいるうちに病気になり、療養に数年を要した。今でも食事や睡眠には難を抱えている。

それがひどかったのが10〜11年ほど前で、この1年はあのつらかった1年からちょうど10年ののちであった。しつこいようだが本当に先のことは何も考えられず、生計の途も就学の計画も立てられずただ毎日苦しんでいた日々からこの1年はまったく想像ができなかった。今でも毎日が新鮮な驚きの連続で、そしてこれだけ毎日驚いているとちょっと疲れる。

 

ちょっと疲れたのだが生活を休むわけにはいかないのもつらいところである。

 

想像はできなかったものの地続きではあり、頭も体も自分という殻を抜け出すことはできないので、昨日も今日も明日も、10年前も今も10年先も(特に問題なく生存していればの話だが)自分という精神は自分という器の中でこうしてもがいている。

100冊読破 5周目(71-80)

1.人間本性論 3 道徳について(デイヴィッド・ヒューム

人間本性論 第3巻: 道徳について

人間本性論 第3巻: 道徳について

 

理性によって道徳は定義できないことの説明からはじまって、いま正義は自然に決定されるものではなく人間の感情に左右されることについて説明されている。正義の人為性についてひとしきり、そのあとで法や経済への信頼性について(ここまで道徳の範疇に含めるのか)。国家への忠誠も限界があり、インセンティブ(そんな言葉は使っていないが)が必要ですよと訴える。

第3部のその他の徳と悪徳、むしろ狭義の道徳における徳と悪徳のいちばんのポイントなんだがようするにお気持ちじゃねえか感がとても強い(現代の機械論的・計算論的な認知神経科学・心理学と相性良さそうだ

なぜかというと行為の合理性は感情によって決定されるからで、帰結主義的な立場からはこれのほうが感情をよく説明するからだ ヒュームの情念論ではヒュームの道徳論は理解できないとわかった。情念論ぜんぜんわからなかった。

精神の有用な性質に徳があるのはその有用性ゆえであることは、大半の人々が進んで認めるであろう。この考え方は自然で、多くの機会に働くので、受け入れるのを躊躇する人はまれであろう。ところが、これがひとたび受け入れられるならば、共感の効力が必然的に認められなければならないのである。徳はある目的に対する手段と考えられる。目的に対する手段に価値がおかれるのは、目的に価値がおかれるかぎりでのみである。しかし、見知らぬ人たちの幸福がわれわれを動かすのは、共感のみによる。それゆえ、徳が社会にとって、あるいは徳を有する当人にとって有用である場合、その徳を検分することから生ずる称賛の心情を、われわれは、その〔共感という〕原理によるものとしなければならない。このような徳が、道徳のもっとも有力な部分をかたちづくるのである。ーディヴィッド・ヒューム

情念論のなかで尊敬と自惚れに結構な幅を割いて説明したのは2部の政治的な部分に踏み込むためとこの徳を説明するためだったかなと思うんだが(つまりヒュームの情念論は知性に関する第1冊と全然接続していないと自分は感じた)、功利主義と完全にコミットしない理由は「そのときに限る」の効果である。「人間社会がそうである限りにおいて」という前提があり、また2部で経済や法・統治への信頼と保証が共有されていることを再三確認した理由はここにあると思う。道徳(倫理)は決して普遍的なことではないことを確認した。ここにおいて自分は功利主義から導かれる動物倫理はひとつ成立しなさを感じる。ヒュームはあくまで共感の合理性、社会的役割と効果については述べたけれども、効用がありとあらゆる生命に適用されるとは述べていない。この辺りが狭義の功利主義とは相反する部分だろうか。

 

2.コンビニ人間村田沙耶香

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

家族に渡されて読んだがあまり好きな部類ではなかった。笑える、という評価をそこかしこでみたが、べつに笑えもしなかった。シニカルであるかと言われると多少そうだが、そういう見方で読みたくもなかった。まじめに読んでしまったのかもしれない。

コンビニの配列や客さばきが「わかる」ときの表現はとても好きだが。

 

3.カフェパウゼで法学をー対話で見つける〈学び方〉(横田明美

カフェパウゼで法学を―対話で見つける〈学び方〉

カフェパウゼで法学を―対話で見つける〈学び方〉

 

面白かったです。

行政法の研究者であるぱうぜセンセ(横田明美氏・千葉大学大学院准教授)が法学の学部生に向けて学部での過ごし方、法学の考え方、さまざまな課題への向き合い方を紹介するためにめちゃくちゃわかりやすく書いた本。ブログがきっかけだそうな。分野外の人でも読めるようにしてあります。

学部→法科大学院修論提出→博士課程、という当時少なかったキャリアを歩んだ理由やそのメリットとデメリットについても触れられている。そしてまあ何より本領であるところの法学部での過ごし方なんですけど、学部全般に通じるところはよくあるかと思います。レポートの書き方とか。最後の方になると実務家と研究者の棲み分けや協働の仕方がでてきます、この辺りはむしろ学部生というより社会人の方が読んでいて楽しいのではないでしょうか。

ぱうぜセンセは大事なことをいいます。「若手研究者を増やすにはどうしたらいいですかね?」ー「尊大な言い方かもしれませんが、先生たち法学研究者が楽しそうにしている姿を見せることではないでしょうか」

「学校を出ても知識を求め続ける姿勢が大切だよ」

私が好きなのは、

「実務家志望だから研究を知らなくていいわけではないんだよ」

ですかね。それらは双方向に助け合う発想なので。

あともうひとつ、とても参考になるのは

「学部の知識は静的だけど実務になると動的なんだよ」

ということですか。これは自分の分野は嫌という程実感しました。静的な知識があってこそ動的な知識に繋がるので、勿論静的な知識の積み上げがあってこそですがね。私は法学の考え方に興味があったので手に取りましたが、他の学部生や他分野の方にもじゅうぶんたのしんでいただける本かと思います。

 

4.医療倫理(トニー・ホープ

医療倫理 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

医療倫理 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

 

わたしは自発的原則的安楽死が原則として不正であるという見解を否定する。それは、この議論が論理を転倒させているからである。人を殺すことを不正なものとするのは、死ぬことの害悪であり、その逆ではない。道徳的原則に従った結果として苦しむことになる場合、われわれはその道徳的原則を注意深く検討して、それをあまりに融通の効かない仕方で用いていないかと問うべきである。自発的積極的安楽死が不正だと主張するとき、われわれがしているのはまさにこれである。他人の苦しみの犠牲の上に道徳的純潔感を求めるのは、倒錯している。ートニー・ホープ

著者は精神科医師であり医療倫理の教員を務める方。議論は倫理"原則"からはじまるのではなく、倫理原則との対比の事例からはじまる。臨床で実際に存在したジレンマから判例までを例示し、そこでの結果と、そこに至る意見・思考のみちがどのように分岐していたかを列挙・解説する。先の引用は安楽死の章(つまり冒頭)の結論なのですが、ほかに不妊治療や人工中絶・精神科疾患の患者を拘束(して治療)することの是非など、「結果」と「プロセス」に内在する道徳的判断の志向性が解説されます。たしかにわかりやすい。そして実際に即していて、かつ医療や法に与しすぎない。

あくまで倫理の議論なので、実臨床はこうはいかなかったりもします。「どう考えるか」「"本来なら"どうあるべきか」が示されているのはとてもよい。あとはまあ道徳というのは感情に従っているのが実によくわかりますね…(論理的に正しいものが必ずしも倫理的に正しいわけではないことがよくわかる

 

医療倫理のみならず応用倫理の検討としても使えそうなよい入門書であると思います。

 

5.チーズとうじ虫―16世紀の一粉挽屋の世界像(カルロ・ギンズブルグ)

チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本)

チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本)

 

16世紀の抑圧された環境における市井の人の、ある特殊なテキスト解釈…というより、宗教的解釈を少し変えたうえで世界の構成をとらえ直す、という感じに近いか。市井の人の言論が残っていない時世での解釈は、異端審問によって残されるというのなんとも皮肉だなあと思います。

 

6.フッサールを学ぶ人のために(新田義弘)

フッサールを学ぶ人のために

フッサールを学ぶ人のために

 

わからん…わからん…といっていたが本気でついていけなかったのは2章くらいのもので、あとは大体楽しく読んだというか刺激されて楽しかった。フッサール現象学そのものの解説、来歴と著作の説明は1.2章にとどまっている。3章からは同時代の思想家や学問の最先端についての説明になり、それらの学者とフッサールの思想の関係になる。「算術の哲学」に代表される初期のフッサール心理主義発達心理学に代表される生理的な心理学)に基づいているが、ブレンターノに影響を受け対象と意識の関係に目をむける。初期のもうひとつの大成である「論理学研究」ではフレーゲとの比較がなされているものの自分はまだフレーゲの著作は完全に未読なので書かれている内容は鵜呑みにするしかない。2章、発生的現象学がまさにフッサール独自の現象学(「イデーン」の解釈)に費やされているのだけどもこれも難しい…

時間意識についてらベルクソンとの対比があり、キネステーゼ(運動感覚)はメルロ=ポンティの「知覚の現象学」に大いに影響を与えた部分があるのでたいぶ比較がしやすいのだけども、フッサールの勘所の捉えにくさが「イデーン」の中に全部詰まっているような気がする…。面白いのは4章で、システム理論と現象学の比較やレヴィナスによるフッサール批判、デリダによるフッサール解釈などその少し後世のフッサール読解と批判がどのようになされたか説明があるところ。フッサールフッサール本人の著作を読んでも心が折れることがわかったのでこういうところから入りたい。

それでは、超越論的主観性の根源的複数性を否定する独我論とは、いったい、どのような状態に導くのであろうか。超越論的独我論は、そのような立場をとった帰結として、最初に規定したあの世界の客観性を否定することになるはずである。世界がわれわれにとっての世界であり、他者によっても共に経験されうるものであるということ、すなわち、わたしと同時にしかも別の視点から同一の世界を経験できるということ、さらには、わたしが経験していないときにも、わたしが死んだ後にも、世界が他者によって経験可能であるということ、これらのことを否定する。それは経験的観念論の立場であろう。経験論的観念論者の世界には、ことによると経験の対象としての他者は存在するかもしれない。しかし、そのような他者は世界と同様に彼の精神の構成物であり、この限りで、彼の死滅によって世界と共に消滅するものという意味しかもちえないであろう。これに対して、超越論的主観性の根源的複数性が認められるならば、わたしを含むあらゆる生物が死に絶えた世界を想定したとしても、その世界を意識している匿名的遂行者としての他者は、依然として機能しうるものという意味をもっている。したがって、そのような想定のもとでも、世界はこの匿名的な主観性に対して客観的なものとして存在し続けるといえるのである。ー飯野由美子

 

7.心はどこにあるのか(ダニエル・デネット

心はどこにあるのか (ちくま学芸文庫)

心はどこにあるのか (ちくま学芸文庫)

 
心はどこにあるのか (サイエンス・マスターズ)

心はどこにあるのか (サイエンス・マスターズ)

 

デネットを読むにあたりほぼ最適な入門書といってもよいのでは(ほかの本はけっこう新しいめの心理学・生物学・医学の知識を必要としたりする

言語的な内容を多分に含む。中高生といっても中学生だとさすがに苦しむだろうし、「ソフィーの世界」くらい時間はかかるかも知れん。逆に言えば時間はかかるが内容は理解できるということだ

進化言語学とメタの知覚を心の哲学に組み込む試み。

 

8.イスラーム建築の世界史(深見奈緒子

イスラーム建築の世界史 (岩波セミナーブックス S11)

イスラーム建築の世界史 (岩波セミナーブックス S11)

 

イスラームから見た『世界史』」(タミム・アンサーリー)という挑戦的な本を読んだことがあるのだが、むしろこちらの方が宗教や歴史からある種解放されて建築という視点から文化や歴史の要素を読み解くことができる本だった気がしてくる。恥ずかしながら自分はさほど建築に詳しくなければ世界史も高校生でつまむ程度にやっただけだからイスラム圏のことはそう詳しく知っているわけではない。ヨーロッパから見るとかつての侵略者だし現在は紛争と政情不安定のイメージが強い。でもイスラム圏の指す範囲の広大さは少し知っている。国境以上に信教の敷衍による文化交流の要素がとても多い。西はスペイン・ポルトガル、西アフリカでマリから東はインドネシアまで幅広く、また信者数も多いことからその信仰の象徴となるモスク他建築物が土着の建築様式・時代の流行と溶け合っているのはおもしろい。夢枕獏シナン」はオスマン帝国時代の建築家の話なんですが、途中にヨーロッパの建築家との交流がでてきたりしたんですよね あとアヤ・ソフィアで衝撃を受けて、偶像に頼らず信仰を身を以って行うことについて考えを巡らすシーンもあるんですがたしかに建築空間そのものが宗教の観念と一体化している。

 

9.人間の将来とバイオエシックス(ユルゲン・ハーバーマス

人間の将来とバイオエシックス (叢書・ウニベルシタス)

人間の将来とバイオエシックス (叢書・ウニベルシタス)

 

他者への依存があるからこそ、他の人によって傷つくという事態が説明できるのである。人格は、自己のアイデンティティの展開と、全一性の維持のために一番必要としている関係においてこそ、最も守られておらず、傷つきやすいのだーユルゲン・ハーバーマス

訳者あとがきでうなずき過ぎて首もげた(キルケゴールいきなり引き合いにだされてズッこける

デリダの死を悼んで、という言葉が日付の冒頭に書き加えられていた。

 

関係性のうえに表現され、社会的に個人が位置付けられてこそ生命がDNA配列を超えて社会的個人と認証されるという考えらしい いかにもハーバーマスらしい。

 

10.「志向姿勢」の哲学ー人は人の心を読めるのか?(ダニエル・デネット

「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?

「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?

 

デネットの本の初邦訳だそうです(知らずに読みました)。

志向姿勢の哲学はあくまでデネットの論理を詳説するための書籍であり、特に知覚の哲学(の中の特に信念獲得説)など思考に関する議論(何が人間的で何がそうでないか?)に応えるものとなっています。だまし行為や欲求における人間の思考のエンジン・フレーミングについては行動主義心理学(またはより広い範囲において単なる行動主義とする)と通俗(素朴)心理学を比較したうえでそれらの上位にサブパーソナル心理学を説明し、態度の読みが機能していることに序盤が費やされます。

デネット本人の論理は他者との比較によって展開されるから見えづらいですがこういうので引用されていてなるほどと思いました

 

多義的な振舞の解釈における振舞抽象化戦略

http://www.ii.is.kit.ac.jp/hai2011/proceedings/HAI2009/pdf/2a-1.pdf

 

日常心理学と科学的心理学

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kisoron1954/28/2/28_2_67/_pdf

 

5章「信念を超えて」が本書におけるひとつの終着点で、手段的な言葉と志向性をもつ言葉についての議論を概説したあとに命題態度(様相実在論とか出てきて難しい)と文態度、概念態度(ここまでくるとカーネマンとトヴェルスキーの名前が出てきます、ちょっとわかりやすくなる)の仕組みとその内容を各人がどのように説明するかと何が採用されるべきかが話されます。問いの立て方を問われる章ですし、その後に機械に可能なこととそうでないこと・なにを心と見立てるかといった議論にも進みます。ただどちゃくそ重たいしわかりづらいです、20世紀前半の分析哲学全般の知識が必要…

あと当然のように言語学の用語が出てくるので最低限統語論と意味論の比較は頭に入ったうえでどうぞみたいな初見殺しでした。それのうえに文態度と命題態度の比較や他者の批判に応えるのでそれはそうなんですが前提の要求が高い。それに加えて書籍そのものは1980年代のものを1990年代に翻訳されているし計算機に関する理論も古いものを引用しているのでいまいち参考にならない(既に最新版を読むべき)場面がちょこちょこありました。1960-70年代に考えられてきたことのまとめと批判として読んだ方がいいのかもしれない(細かいところに拘泥しているとまったく先に進めない。今ちょうど読書会でフィッシュの「知覚の哲学入門」の中の4.信念獲得説 をやっていたので「信念を超えて」の項はきっちり読もうと思って読んだわけなんですが信念獲得説どころではなかったです(疲弊した

結婚準備編(〜3ヶ月前)

http://streptococcus.hatenablog.com/entry/2018/07/10/211651

新居編とかはこちら。

 

さて今回は実際に結婚前にやったことをまとめます。前回とちょっとだけ内容かぶりますが。式を定める前に転居したので実は式から起算すると時系列が逆なのですが、とりあえず時系列に沿っていきます。式をXデーとして◯ヶ月前表記です。

 

まず5月初め〜中ごろに家を決定しました。6月末に転居することまで決定したので、この辺りから書いていきます。

 

0.家の選定(7ヶ月前)

暮らしやすさ、引っ越してから住むつもりの期間(ここはライフプランやキャリアにもよると思います)も含めて価格、間取り、周辺環境や職場へのアクセスなど考えていかねばならず結構悩みました。立地の良いところに住むことは確定していたので、優先事項を整理して条件に当てはまる物件を見て回って決定した記憶があります。なお、全然終の住処ではありません。

 

1.伴侶→我が家への顔合わせ(7ヶ月前)

さすがに挨拶もなしに同居はまずかろう、と急いで我が家族に集まってもらい顔合わせ。当日わたしが少し遅刻するとかいうひどい有様でした。ホテルの中のレストラン(といってよいのか)でした。

 

2.私→伴侶家族(父母別)への顔合わせ(7-6ヶ月前)

これも上記と同様の手順で。緊張した。

事情によりご尊父ご母堂へは別々にお会いしにいったので日程調整が結構大変でした。あとここには書けない椿事もあったのですが伏せておきます。

 

3.引っ越し(6ヶ月前)

引っ越しは別記事で書いたので割愛。

 

4.式場選定(5ヶ月前)

これも別記事に。

 

5.両家顔合わせ(父母別・4ヶ月前)

片方は職場近くへ出向いて、片方は奈良にあるホテルのメインダイニングへ。なかなかいいところを選んでしまったのでかえってしゃっちょこばる羽目になりましたが、それはそれでよい建築物も見ることができたのでよかったです

 

6.衣装合わせ、式場打ち合わせ(4-3ヶ月前)

さてこの辺りからが忙しいのです。

衣装屋さんに行きふわふわした雰囲気に包まれながら衣装選び。当日は神前式なので、ひとまずは白無垢と紋付袴を選びました。衣装屋さんそのものは、式場からパッケージされたものを選んでいるので探す手間はほぼ皆無。週末に前撮り用ドレスを選びに行きます。

 

式場打ち合わせでは当日の流れをなんとなく作っていきます。予算で出した希望をもとに、実際にやるとどうなるかを考えて、違和感があれば付け足しや削除。あとはこの時に参列者が決まっていれば招待状の依頼もできます(やりました)。その他、参列者の衣装貸し出しや着付け、宿泊等の手配も大体の要望をこのときに。

 

7.指輪決定(4-3ヶ月前)

指輪もなんとか決めなきゃいけないな〜と思いながら4ヶ月前まできてしまいました。

事前に調べたのは、指輪の価格相場やどんなデザインが好みか、などです。好みのデザインがありそうなブランドをいくつかピックアップして比較しました。…というのは嘘で(いくらか本当ですが)、伴侶がまったく選定に乗り出してくれないので私が式場相談のときからカタログを集めたりして検討材料を拾ってまいりました。私の伴侶がしたのは見に行くブランドを決定することとその根拠を考えることです。

 

因みに当日見に行って、1時間ほどで決定〜購入まで至りました。即断即決。

 

まだやっていないことリスト

入籍

だらだらしている場合ではない。免許・パスポートの書き換えやらが発生するので面倒です。

旅行先確保(宿など)

これもそのうちやらねばいいところがなくなってしまう…。

 

結婚式(関連)のやることやらないことリスト

結婚・挙式というイベントは選択の連続です。

女性の希望が優先される場面が多いようですが、基本的には親族や伴侶の意見や同意があってのことですから、大掛かりであればあるほど他人の意見やスタンダードを取り入れていかねばならなくなるなあといった印象があります。

なので、前回記事の時も少し書きましたが、「取捨選択」めっちゃ大事です。なにが自分たちにとっての優先事項なのかを決めておけば、伴侶がいないときでも伴侶の意見を汲むことができます。

 

では、実際にやったことやらなかったことについて。

1.親族関連

×結納 ◯顔合わせ

互いの親族に紹介のない状態だったので、顔合わせが必要でした。お互いに既知であれば結納までやることもあるかもしれませんが。

このあたりは結婚が決定していればいつしてもよいことなので、いつでもよいかとは思います。時間が必要であればお早めに。

 

◯お祝い返し

予想外にお祝いがたくさんあったので、やる必要が出てきました。まだプランがないので思案中です。

 

2.式場関連

式場探しにあたって大体必要だった意思決定諸々。

◯神前式 ×人前式 ×教会式 in京都

2人とも寺社仏閣が好きで、京都奈良に縁が深いからというのもあり神前式にしたのですがあとは洋服が似合わないからというのも…。

海外挙式、リゾート挙式にしないというのも前提にありました(面倒くさいから)

 

◯前撮り ×ロケーション撮影

ちょっと悩んではいたのですが、式場のパッケージが便利だったのでそれにしました。

 

◯家族会食 ×披露宴

家族関係が複雑なのと、披露宴やると随分大掛かりで大変なのと諸々職場への義理が発生するのが嫌でこうなりました。この辺りの意見のすり合わせは大事ですね…

 

3.その他

◯結婚指輪 ×婚約指輪

アリになったので考えなくてはならなくなった。まあ指輪なしとかも普通にあり得るので。婚約指輪がなかったのはプロポーズとかいう儀式がなかったからです(同居、婚姻への意思確認という感じでした)

 

◯入籍 ×プロポーズ

籍入れるかどうかもそりゃあ判断いりますよね。むしろウチは危うく入籍だけになるところだったのですが、我が父の鶴の一声で全部やることになりました。まあ私もやりたくはあったのですが、実際やると結構手間だし面倒なので挙式や披露宴をなしにするとか、2人だけの挙式とかもありやなあと思います。昔と違って家族観も随分複雑ですしね。

 

◯新婚旅行

これも当初はなしの予定だったのですが、むしろ今行かずにいつ行くねん、親族に気兼ねなくできるのって旅行くらいちゃうんか?と伴侶に問うてみたところ国内温泉旅館とかなら行きたいとのことでしたので、ぼちぼち探しております。

 

そんなわけで今回はここまでです。

〜当日編はやるかもしれないしやらないかもしれません。でもいつか書きそうです。

100冊読破 5周目(61-70)

1.メルロ=ポンティ―可逆性(鷲田清一

メルロ=ポンティ (現代思想の冒険者たちSelect)

メルロ=ポンティ (現代思想の冒険者たちSelect)

 

メルロ=ポンティの哲学はケアにまつわる人ならわかることがたくさんあると思うし、それでいてあらゆる面で応用分野というわけでもなくあくまで哲学の流れに基づいて認知的・知覚的なことを説明してくれるので非常に馴染みがよい。そういう意味では鷲田清一氏本人の言説は雑味が多い。

また、鷲田氏は本文のなかで「他の哲学者については語ることがあるが、自分がもっとも研究してきたメルロ=ポンティについて語れることは少ない」とも述べている。その人生について残っている資料は少ないそうだが、幼少期から青年期までの思想の関わり・激動の時代における立ち位置なども序盤で紹介されている。

 

フッサール現象学を学んだとはあるが、現象学的ではない(どちらかといえば実存主義にも近い)その概念の展開も改めて学び直しとしてよいと思う。フッサールは今後読む予定があるので、比較して楽しんでみたくもある。

 

2.アメリカ大都市の死と生(ジェイン・ジェイコブズ

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

 

ニューヨークのある区画に住んでいた人間が、当時の大規模な都市開発を辛辣に批判した文章。

 

これに関してはちょうど映画が上映されていたので観てきました。

本書の中には著作権の関係上、図面が含まれていないので、映画で使われた映像や図が大変助けになります。

ヤン・ゲール「人間の街」、エドワード・ホール「かくれた次元」などがこれを参照している理由がよくわかります。2年前に読んでおくべきだったかもしれないと思うが、今読めばむしろ安易に迎合せず批判的な視点で読めてそれはそれでよかったかもしれない。前半部分は些か冗長でありますが。あくまで「市井のひと」による本として、ここまで後世に学術的にも価値あるものとして残るのなかなかないでしょう。本人はジャーナリストであり、アカデミアにいることを嫌った人だったようです。実際招聘なとの話もお断りしたそうな。

結構読みづらいのですが、なぜ読みにくいかというと彼女がそもそも論述のために本書を書いていないからで、全部で22から成る都市への言及は当時行われた都市計画に対する批判と、都市の構成要素の記述でてきているから。読むには疲れるが、喋りを聴くにはいい文章だと思います。


3.ヘーゲル現代社会(寄川条路)

ヘーゲルと現代社会

ヘーゲルと現代社会

 

チャールズ・テイラーによる「ヘーゲルと近代社会」のもじりかしらと思いますが、この著者による「ヘーゲル現代思想」の続編でもある解釈本です。説明ではない。同著者の入門本があるのですがそちらは読んだことないです。

面白かったのは4-5章。4章は悲劇「アンチゴーヌ」をテーマに、神学における女性の権利と人倫における権利、また罪ではあるが処罰にはならないことについて、処罰を加えた場合の社会的影響を論じる。これちょっと面白いなおもいましたね、即応用は難しいところがありますけど。そして5章は今話題のマルクス・ガブリエルのヘーゲル批判とその根拠を解説したうえで、むしろガブリエル氏の論の展開がヘーゲルの哲学体系に準じているところを指摘する。勿論全部ではないけれども。新実在論、思弁的実在論もうちょっとやっていきたいので足がかりとしてよかったかなと思います


4.生物圏の形而上学ー宇宙・ヒト・微生物ー(長沼毅)

生物圏の形而上学 ―宇宙・ヒト・微生物―

生物圏の形而上学 ―宇宙・ヒト・微生物―

 

あとがきにもあったが、一般人向けの本と学術書のあいだを目指した本。多分Twitterで仲良くしていただいている方に1年ほど前にオススメされたのである。確かに読みやすい。高校生程度の生物の知識があれば読める。一部の人類学、環境、微生物、生理学とかの知識があるとなお良い。形而上学とあるものの、日々バリバリの形而上学を読んでは心折れている身としては本書はむしろ仮説形成(アブダクション)の話だと思った。極限環境微生物についてはニック・レーン「生命・エネルギー・進化」を読んでいるとそんなに目新しいものはない。霊長類の歴史も通説になってきたなと思うところをわかりやすく書かれている。自分が知らなかったのは、「微生物はなぜ小さいか?」ということ。9章の最小サイズの微生物の系統を発見して、あまりに小さいゆえにRNAの欠損があるよみたいな話が出てきます 全然知らなかったです。オススメ本です。


5.フッサール〜心は世界にどうつながっているのか(門脇俊介

フッサール ~心は世界にどうつながっているのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

フッサール ~心は世界にどうつながっているのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

 

フッサールを理解するためにフッサールを読むのは超遠回りということを明確に実感した…。

論理学研究の内容についてかなりページを割いて説明されていたんだが、フッサールが意味論的にかなり重要なポジションにいるのこれでやっと理解した感じだしフレーゲとの対比で書かれているのもなるほどといった感じだ。メルロ=ポンティと全然違うことない?と思うのは、メルロ=ポンティが今で言う行動主義的な心理学から志向性を観察しているのに対してフッサールは言語の意味からその発露をたどっている感じがした、比べるようなものでもないのだと思うがアプローチが全然違う。

とはいえフッサールが論理学研究を提出したのはフロイト全盛期(フロイトが「日常の精神病理学」を出したのと同じ年)なので、心理学的な部分に関しては見方が違って当然かもしれない。

 

6.「待つ」ということ(鷲田清一

「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)

 

多分この文章を、高校の時に読んだことがある。全部ではないけど、現代文の評論としてか。ただ今にしてみれば結構粗雑な文章が続くところもあって、「メルロ=ポンティ」とかと比べるとおざなりである。目が肥えてしまった。

 

7.明日の田園都市(エペネザー・ハワード)

新訳 明日の田園都市

新訳 明日の田園都市

 

100年前のイギリスの都市計画と都市経済の本。当時のイギリスの世相とか公衆衛生を反映している。今参考になるかと言われるとそのまま参考にはならないのだが、考え方の一助にはなると思う。過密をきらって都市郊外を効果的に構築する方法としての「田園都市」なのだけど、そこは置いといてもいい。

都市の歳入の確保と歳出については、多分いま日本の地方(地方都市ではなく地方都市周縁)で自治体単位でなく経済活動が生まれる範囲内でも使える考え方だろうなあと思うんですよ。新しく構築するんじゃなくて既存のものの流用の仕方という意味でですけど。この本を2年前から読みたいと思っていて、先般映画まで観たジェイン・ジェイコブズ「ニューヨーク アメリカ大都市の死と生」で盛大に批判(批難)されていたためにかえって読む気が強まったほどなのですが、彼女にそこまで悪し様に言われるような内容ではないと思います。訳者もそう書いていましたが。

何が問題であるかというと、本書の中では過密がすべての悪であり、それを解消すれば経済も治安も公衆衛生も軒並み(過密状態よりは)改善するように書かれていることです。そもそもスラムは解体すればよいというものでも、地価が安定すれば解消するものでもないということは明白です。小規模(2-3万人)の都市の経済的・福祉的メリットを述べるのが本書の目的なのですが、たしかにこの公衆衛生や治安の問題はそう簡単ではないので(往時に較べればマシかもしれなくても)ちょっとなあと思うところはありました。あと移住というか新設に伴う破壊のダメージも論じられていません。もちろんジェイコブズのいうこともかなり不適切なところはあり、また本書の目的を完全に理解していないなと思うところはあります。この計画の評価をするには、実際にレッチワースの都市「外」との関係や、構築前後の環境を時系列で考える必要があるでしょう。

 

8.タタール人の砂漠(ディーノ・ブッツァーティ

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

なるほど、人生。という感じの本。久々の小説です。

この本もまたTwitterで教えていただいて読んだのですが、時代の流れと、時代に飲み込まれるひとりの人と。

 

9.無限論の教室(野矢茂樹

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)

 

ああやっぱりすごいです面白いです。

数字に(数学の概念に?)興味を持ち始めたらさらに面白いです、線とはなにか、有限と可能無限と実無限の話でこんなに盛り上がれるとは…とも思いましたし、最初のアキレスと亀のくだりからゆっくり無限論についての議題に引き込むあたり(あとモデルとなった先生がちょいちょい笑いを挟んでくる)、物語のように無限の事情を読むことができて楽しいのです。

これ、万人にお勧めしていいかはともかく万人にお勧めしたいです(結局するんかい

 

10.飲酒の生理学ー大虎のメカニズム(梅田悦生)

飲酒の生理学―大虎のメカニズム (ポピュラーサイエンス)

飲酒の生理学―大虎のメカニズム (ポピュラーサイエンス)

 

「ポピュラーサイエンス」と銘打っているだけあってポピュラーサイエンスでした。そして20年前の本なので確かに古い知識も多い…C肝治療がインターフェロンしかないあたりとか。あとはまあ栄養・生化学を扱う全般に言えることかもしれませんが疫学的なことに関しては交絡因子が多いために今では否定されたこともまるまる書かれていたりはしました。まあ飲酒の生理だけあって、酒場で話半分にな…らない程度です。医療職がしたり顏でいうと笑われちゃうやつです。

このシリーズ、かなりの量があるようですがタイトルだけでだいぶ怪しいのがたくさんあったので(飲酒の生理学も勿論怪しい)、なるほどなという感じです。

100冊読破 5周目 (51-60)

1.経営組織論(鈴木竜太)

経営組織論 (はじめての経営学)

経営組織論 (はじめての経営学)

 

 

トップバッターなのに全然記憶にない。前回お出しした「人的資源管理」の方がよいと思うし、網羅的教科書としてはハッチの組織論のほうがずっと優れているので読み物としての価値くらいかなと思います…

 

2.3.エチカ上・下(バールーフ・デ・スピノザ

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

 
エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

 

私はここに誤謬とは何であるかを示す手始めとして、次のことを注意したい。それは、精神の表象はそれ自体において見れば何の誤謬も含んでいないということ、言いかえれば精神は物を表象するからといってただちに誤りを犯しているのではなく、ただ精神が自己に現在するものとして表象する事物についてその存在を排除する観念を欠いていると見られる限りにおいてのみ誤りを犯しているのであるということである。

 

観念とは、精神が思惟する物であるがゆえに形成する精神の概念のことと解する。

【説明】私は知覚というよりもむしろ概念という。その理由は知覚という言葉は精神が対象から働きを受けることを示すように見えるが、概念はこれに反して精神の能動を表現するように見えるからである。

 

人間が自然物を完全だとか不完全だとか呼び慣れているのは、物の認識に基づくよりも偏見に基づいていることがわかる。ーバールーフ・デ・スピノザ「エチカ」第4部 人間の隷属あるいは感情の力について

 

2年間ずっと積んでいたがようやく読み終えた。2年前といえば初めての読書会のためにこの本を購入し、そして日程があわないまま読書会自体も絶えてしまい、自分は聴講でさえ1度しかやらないままこの本を読めずにいたのだった。ごく僅かの理解と、そして少しの比較ができる。デカルトを読んでいたときにも思ったことだが、ここで言われる「神」は「真理」と置き換えるとほぼ正当な意味として受け取ることができる、いまいち神という語彙がしっくりこない。もともとの宗教観を時代背景とともに共有していないので、正しくはなかろうが真理として捉えたほうがうまくいく。(特に第1部は神の解体に焦点がある)

 

エチカはその名の通り倫理学なのだが、感情のシステムに言及する第3部は第3部そのものにおいてはデカルトの情念論と似たものを感じる。けれども第4部について意識の座なるデカルトの「松果腺」に対して、スピノザは一元論的立場をとる。感情に善悪の判断を与えるのは、神に物理的のみならず道徳的完全性を賦与するために読めてしまうんだがスピノザのいう神ちょっとよくわかりません(それはこの本のすべてを理解できなかったというのと同義である)。が、知性そのものに道徳的に善という属性を与えたのは功績なんだろう…という。ラッセルの「幸福論」読んだときにも思ったことですが、道徳の議論にあれこれ持ち込みすぎなようにも思うし道徳のあらゆるパターンを考えるのはほぼ不可能に近いと思うのでこういうタイプの倫理全体的によくわからん、もっと先代の倫理にあたるべきか。

 

4.新編 普通をだれも教えてくれない(鷲田清一

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

 

新聞や雑誌への寄稿集。些か穿ちすぎではないかといくらか思う文脈もあるところが鷲田氏らしいが、もっともっともっと肩に力の入った文章の方が私は好きだ。言いっ放しはきらいだ。

高校(より前か?)の頃から読んできたのでこの人のエッセイは読み慣れない。せめて評論に値する形式にしてほしい。多分価値観が剥き出しなのが肌に合わんのだな。エッセイですね。エチカがしんどかったので肩の力を抜こうとしたら抜き過ぎました。

 

5.ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

 

「リハビリの夜(未読)」の著者である熊谷氏の対談本。絶対この方どこかで…と思ったら、佐々木正人著「知の生態学的転回2: 技術」の中にこの方の「依存の分散」や「介助される身体の応答」の記述がありました。著者ご本人が脳性まひでありながら小児科医をされている。当事者としても研究者としても、身体と自我の関係性・自己の身体と他者の関係性・自我と社会の関係性など自分にとって示唆に富んだ文章を残してくれています。書籍としては「知の生態学的転回」の方がよくできているかなと思いますし内容も一部かぶるので、2冊とも読む必要はないかなと思いますがこちらの本の方がとっかかりとしては楽です。

 

6.医療につける薬:内田樹鷲田清一に聞く(岩田健太郎

息抜きその2。絶対気にくわないだろうなと思って読んだんけど意外といい本だった(と思ってしまった)。別に自分そのものにとってありがたい話も新規に必要な話もなかったのだけど、このタイトルでこの3名であることで、非医療職の人が手にとってくれないかなあとかいう邪な考えが脳裏を過った。

 

7.ケアの宛先(鷲田清一 徳永進

ケアの宛先

ケアの宛先

 

今度はわりと鷲田氏が聴く会でござった。医学書院の「しにゆく患者と、どう話すか」はがんに絞っていましたが、こちらは在宅医療でそんなに的を絞りません。あと対談なので議論が緻密ではない。ゆるゆるです。息抜き第3弾(どれだけ息抜きしたいのか)。

 

8.経済学の歴史(根井 雅弘)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

 

ケネーにはじまり、アダム・スミスリカード、J.S.ミル、マルクスメンガーワルラス、マーシャル、ケインズシュンペーター、スラッファ、ガルブレイスを辿って経済学の諸概念と学者個人の来歴・理念、重要概念と著作について説明してくれる本。経済学を概観する本が読みたいといったらフォロワー氏が教えてくださいました。これと放送大学「経済学入門」を行ったり来たりすると楽しい気がする。ビジネスマン向けの経済学の棚に行くとどうしても今やはりのマネタリスト向けっぽいやつが多いんですが、自分は福祉の経済とかミクロの経済もやりたいので色々読む必要があるのです。しかしまあ細かい理論的なとこほんまわからんちんなので現代経済学に徒手空拳で突っ込むことのないようにという程度です。社会科学的価値に関するコメントが各説に設けられているのは個人的にめっちゃありがたかったです。経済史はいいな。世界史には傍流も伏流もたくさんある。

 

9.知覚のなかの行為(アルヴァ・ノエ)

知覚のなかの行為 (現代哲学への招待Great Works)

知覚のなかの行為 (現代哲学への招待Great Works)

 

ものを見ることは絵を描くことに似ているーアルヴァ・ノエ「知覚のなかの行為」

メルロ=ポンティの知覚の現象学を伝承したような身体性と知覚の関連を示す本、認知哲学というより認知心理学よりであまり認知神経科学唯物論には与しない。ただしクオリアのような心の哲学よりかなり実践的で、かつ特殊ケースには言及しない。これが感覚-運動的知識の成立を可能にしていると思う。本書でつよく打ち立てられるのは「エナクティブ・アプローチ」、ギブソン生態学的知覚論や先述のメルロ=ポンティを引き継いで人間の触覚-知覚関係を明らかにすることで知覚する世界の成立を提示する。因みに途中、センスデータ説は勿論きちんと潰していく。

とりあえず世界の成立が環境の安定と経験からのトップダウン処理と感覚のボトムアップで常に動態的にできているよっていうのはうれしい説明であると思うのですが自分は結局科学も哲学も理解はしていないので本書が心の哲学にどう参与できるかとかは考えてもよわよわです。

 

10.外国人看護・介護人材とサスティナビリティー持続可能な移民社会と言語政策(宮崎里司 他)

 

外国人看護・介護人材とサスティナビリティ ―持続可能な移民社会と言語政策

外国人看護・介護人材とサスティナビリティ ―持続可能な移民社会と言語政策

 

放送大の授業「移動と定住の社会学」が面白かったのでなんとなく手に取った本やったんですが予想以上に面白かった。

EPA経済連携協定)により看護師・介護士等ケアワーカーとしての資格取得を目的としたビザが発行されるようになり10年。外国人ケアワーカーに求められる日本語能力の困難さとそれぞれの事情や制度を取り巻いて起こる問題等。

中の人として思うことですが、医療・福祉の現場では言語的コミュニケーションが必要となる場合が非常に多いです。ケアの対象とのコミュニケーションはさることながら、協働者との打ち合わせ・申し送り・報告など短時間で意思疎通し決定まで導かなければならないなど言語的能力は高いものを求められます。

外国人として就労するだけでもかなりの困難があることは、「移動と定住の社会学」からも読み取れます(外国人技能実習制度等、単純労働を禁じていても結局受け入れ側が個人の時間当たりの労働力が欲しいだけの場合の軋轢など)。そこに加えて日本語で国家試験を受けることの困難さが加わります。資格を取ろうが取るまいが言語の壁は容赦なくありますが、そうした問題提起にとどまらず本書では個別のケースを比較してどの要素がプル・プッシュ要因となったか質的記述がみられます。また個人的に面白かったのは看護師の役割(日勤・リーダー・フリー)による言語的コミュニケーションの質の違いです。対象、内容、喋っている時間に振り分けてコミュニケーションの質を分析しますが、これはむしろ外国人労働者の受け入れにあたりというより本国の看護教育に還元できると思います。それほどまでに現場のコミュニケーションは煩雑ですしエラーの元になりやすいです。10年で受け入れ者は5000人に満たず、さまざまな事情から国内にケアワーカーとして止まるケースも少ない中、労働者として今後移民を受け入れざるを得ない場合の対応は確実にこちらも柔軟さを求められています。そして彼らを受け入れる準備ができるということは、ある程度組織の冗長性確保につながります。

政策の是非はともかく、世界で有数の長寿社会になったからにはどうあがいても国自体が介護のモデルケースとして(いい意味であろうと悪い意味であろうと)扱われていることは本書の中でも触れられています。この辺りは今後授業でぼちぼちとっていくつもりなんですが。あと個人的に「やらんかったんかいもったいない」と思ったのはEPA内での交換留学ですかね。日本がそもそもケアワーカー養成のための高等教育を整備しきれていないこともありますが、手探りだからこそ他国で学んだ人を自国に返すの大事だと思うんですけど…学生のうちにできることやって欲しいですし。

 

10.