毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 5周目(61-70)

1.メルロ=ポンティ―可逆性(鷲田清一

メルロ=ポンティ (現代思想の冒険者たちSelect)

メルロ=ポンティ (現代思想の冒険者たちSelect)

 

メルロ=ポンティの哲学はケアにまつわる人ならわかることがたくさんあると思うし、それでいてあらゆる面で応用分野というわけでもなくあくまで哲学の流れに基づいて認知的・知覚的なことを説明してくれるので非常に馴染みがよい。そういう意味では鷲田清一氏本人の言説は雑味が多い。

また、鷲田氏は本文のなかで「他の哲学者については語ることがあるが、自分がもっとも研究してきたメルロ=ポンティについて語れることは少ない」とも述べている。その人生について残っている資料は少ないそうだが、幼少期から青年期までの思想の関わり・激動の時代における立ち位置なども序盤で紹介されている。

 

フッサール現象学を学んだとはあるが、現象学的ではない(どちらかといえば実存主義にも近い)その概念の展開も改めて学び直しとしてよいと思う。フッサールは今後読む予定があるので、比較して楽しんでみたくもある。

 

2.アメリカ大都市の死と生(ジェイン・ジェイコブズ

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

 

ニューヨークのある区画に住んでいた人間が、当時の大規模な都市開発を辛辣に批判した文章。

 

これに関してはちょうど映画が上映されていたので観てきました。

本書の中には著作権の関係上、図面が含まれていないので、映画で使われた映像や図が大変助けになります。

ヤン・ゲール「人間の街」、エドワード・ホール「かくれた次元」などがこれを参照している理由がよくわかります。2年前に読んでおくべきだったかもしれないと思うが、今読めばむしろ安易に迎合せず批判的な視点で読めてそれはそれでよかったかもしれない。前半部分は些か冗長でありますが。あくまで「市井のひと」による本として、ここまで後世に学術的にも価値あるものとして残るのなかなかないでしょう。本人はジャーナリストであり、アカデミアにいることを嫌った人だったようです。実際招聘なとの話もお断りしたそうな。

結構読みづらいのですが、なぜ読みにくいかというと彼女がそもそも論述のために本書を書いていないからで、全部で22から成る都市への言及は当時行われた都市計画に対する批判と、都市の構成要素の記述でてきているから。読むには疲れるが、喋りを聴くにはいい文章だと思います。


3.ヘーゲル現代社会(寄川条路)

ヘーゲルと現代社会

ヘーゲルと現代社会

 

チャールズ・テイラーによる「ヘーゲルと近代社会」のもじりかしらと思いますが、この著者による「ヘーゲル現代思想」の続編でもある解釈本です。説明ではない。同著者の入門本があるのですがそちらは読んだことないです。

面白かったのは4-5章。4章は悲劇「アンチゴーヌ」をテーマに、神学における女性の権利と人倫における権利、また罪ではあるが処罰にはならないことについて、処罰を加えた場合の社会的影響を論じる。これちょっと面白いなおもいましたね、即応用は難しいところがありますけど。そして5章は今話題のマルクス・ガブリエルのヘーゲル批判とその根拠を解説したうえで、むしろガブリエル氏の論の展開がヘーゲルの哲学体系に準じているところを指摘する。勿論全部ではないけれども。新実在論、思弁的実在論もうちょっとやっていきたいので足がかりとしてよかったかなと思います


4.生物圏の形而上学ー宇宙・ヒト・微生物ー(長沼毅)

生物圏の形而上学 ―宇宙・ヒト・微生物―

生物圏の形而上学 ―宇宙・ヒト・微生物―

 

あとがきにもあったが、一般人向けの本と学術書のあいだを目指した本。多分Twitterで仲良くしていただいている方に1年ほど前にオススメされたのである。確かに読みやすい。高校生程度の生物の知識があれば読める。一部の人類学、環境、微生物、生理学とかの知識があるとなお良い。形而上学とあるものの、日々バリバリの形而上学を読んでは心折れている身としては本書はむしろ仮説形成(アブダクション)の話だと思った。極限環境微生物についてはニック・レーン「生命・エネルギー・進化」を読んでいるとそんなに目新しいものはない。霊長類の歴史も通説になってきたなと思うところをわかりやすく書かれている。自分が知らなかったのは、「微生物はなぜ小さいか?」ということ。9章の最小サイズの微生物の系統を発見して、あまりに小さいゆえにRNAの欠損があるよみたいな話が出てきます 全然知らなかったです。オススメ本です。


5.フッサール〜心は世界にどうつながっているのか(門脇俊介

フッサール ~心は世界にどうつながっているのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

フッサール ~心は世界にどうつながっているのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

 

フッサールを理解するためにフッサールを読むのは超遠回りということを明確に実感した…。

論理学研究の内容についてかなりページを割いて説明されていたんだが、フッサールが意味論的にかなり重要なポジションにいるのこれでやっと理解した感じだしフレーゲとの対比で書かれているのもなるほどといった感じだ。メルロ=ポンティと全然違うことない?と思うのは、メルロ=ポンティが今で言う行動主義的な心理学から志向性を観察しているのに対してフッサールは言語の意味からその発露をたどっている感じがした、比べるようなものでもないのだと思うがアプローチが全然違う。

とはいえフッサールが論理学研究を提出したのはフロイト全盛期(フロイトが「日常の精神病理学」を出したのと同じ年)なので、心理学的な部分に関しては見方が違って当然かもしれない。

 

6.「待つ」ということ(鷲田清一

「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)

 

多分この文章を、高校の時に読んだことがある。全部ではないけど、現代文の評論としてか。ただ今にしてみれば結構粗雑な文章が続くところもあって、「メルロ=ポンティ」とかと比べるとおざなりである。目が肥えてしまった。

 

7.明日の田園都市(エペネザー・ハワード)

新訳 明日の田園都市

新訳 明日の田園都市

 

100年前のイギリスの都市計画と都市経済の本。当時のイギリスの世相とか公衆衛生を反映している。今参考になるかと言われるとそのまま参考にはならないのだが、考え方の一助にはなると思う。過密をきらって都市郊外を効果的に構築する方法としての「田園都市」なのだけど、そこは置いといてもいい。

都市の歳入の確保と歳出については、多分いま日本の地方(地方都市ではなく地方都市周縁)で自治体単位でなく経済活動が生まれる範囲内でも使える考え方だろうなあと思うんですよ。新しく構築するんじゃなくて既存のものの流用の仕方という意味でですけど。この本を2年前から読みたいと思っていて、先般映画まで観たジェイン・ジェイコブズ「ニューヨーク アメリカ大都市の死と生」で盛大に批判(批難)されていたためにかえって読む気が強まったほどなのですが、彼女にそこまで悪し様に言われるような内容ではないと思います。訳者もそう書いていましたが。

何が問題であるかというと、本書の中では過密がすべての悪であり、それを解消すれば経済も治安も公衆衛生も軒並み(過密状態よりは)改善するように書かれていることです。そもそもスラムは解体すればよいというものでも、地価が安定すれば解消するものでもないということは明白です。小規模(2-3万人)の都市の経済的・福祉的メリットを述べるのが本書の目的なのですが、たしかにこの公衆衛生や治安の問題はそう簡単ではないので(往時に較べればマシかもしれなくても)ちょっとなあと思うところはありました。あと移住というか新設に伴う破壊のダメージも論じられていません。もちろんジェイコブズのいうこともかなり不適切なところはあり、また本書の目的を完全に理解していないなと思うところはあります。この計画の評価をするには、実際にレッチワースの都市「外」との関係や、構築前後の環境を時系列で考える必要があるでしょう。

 

8.タタール人の砂漠(ディーノ・ブッツァーティ

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

なるほど、人生。という感じの本。久々の小説です。

この本もまたTwitterで教えていただいて読んだのですが、時代の流れと、時代に飲み込まれるひとりの人と。

 

9.無限論の教室(野矢茂樹

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)

 

ああやっぱりすごいです面白いです。

数字に(数学の概念に?)興味を持ち始めたらさらに面白いです、線とはなにか、有限と可能無限と実無限の話でこんなに盛り上がれるとは…とも思いましたし、最初のアキレスと亀のくだりからゆっくり無限論についての議題に引き込むあたり(あとモデルとなった先生がちょいちょい笑いを挟んでくる)、物語のように無限の事情を読むことができて楽しいのです。

これ、万人にお勧めしていいかはともかく万人にお勧めしたいです(結局するんかい

 

10.飲酒の生理学ー大虎のメカニズム(梅田悦生)

飲酒の生理学―大虎のメカニズム (ポピュラーサイエンス)

飲酒の生理学―大虎のメカニズム (ポピュラーサイエンス)

 

「ポピュラーサイエンス」と銘打っているだけあってポピュラーサイエンスでした。そして20年前の本なので確かに古い知識も多い…C肝治療がインターフェロンしかないあたりとか。あとはまあ栄養・生化学を扱う全般に言えることかもしれませんが疫学的なことに関しては交絡因子が多いために今では否定されたこともまるまる書かれていたりはしました。まあ飲酒の生理だけあって、酒場で話半分にな…らない程度です。医療職がしたり顏でいうと笑われちゃうやつです。

このシリーズ、かなりの量があるようですがタイトルだけでだいぶ怪しいのがたくさんあったので(飲酒の生理学も勿論怪しい)、なるほどなという感じです。

100冊読破 5周目 (51-60)

1.経営組織論(鈴木竜太)

経営組織論 (はじめての経営学)

経営組織論 (はじめての経営学)

 

 

トップバッターなのに全然記憶にない。前回お出しした「人的資源管理」の方がよいと思うし、網羅的教科書としてはハッチの組織論のほうがずっと優れているので読み物としての価値くらいかなと思います…

 

2.3.エチカ上・下(バールーフ・デ・スピノザ

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

 
エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

 

私はここに誤謬とは何であるかを示す手始めとして、次のことを注意したい。それは、精神の表象はそれ自体において見れば何の誤謬も含んでいないということ、言いかえれば精神は物を表象するからといってただちに誤りを犯しているのではなく、ただ精神が自己に現在するものとして表象する事物についてその存在を排除する観念を欠いていると見られる限りにおいてのみ誤りを犯しているのであるということである。

 

観念とは、精神が思惟する物であるがゆえに形成する精神の概念のことと解する。

【説明】私は知覚というよりもむしろ概念という。その理由は知覚という言葉は精神が対象から働きを受けることを示すように見えるが、概念はこれに反して精神の能動を表現するように見えるからである。

 

人間が自然物を完全だとか不完全だとか呼び慣れているのは、物の認識に基づくよりも偏見に基づいていることがわかる。ーバールーフ・デ・スピノザ「エチカ」第4部 人間の隷属あるいは感情の力について

 

2年間ずっと積んでいたがようやく読み終えた。2年前といえば初めての読書会のためにこの本を購入し、そして日程があわないまま読書会自体も絶えてしまい、自分は聴講でさえ1度しかやらないままこの本を読めずにいたのだった。ごく僅かの理解と、そして少しの比較ができる。デカルトを読んでいたときにも思ったことだが、ここで言われる「神」は「真理」と置き換えるとほぼ正当な意味として受け取ることができる、いまいち神という語彙がしっくりこない。もともとの宗教観を時代背景とともに共有していないので、正しくはなかろうが真理として捉えたほうがうまくいく。(特に第1部は神の解体に焦点がある)

 

エチカはその名の通り倫理学なのだが、感情のシステムに言及する第3部は第3部そのものにおいてはデカルトの情念論と似たものを感じる。けれども第4部について意識の座なるデカルトの「松果腺」に対して、スピノザは一元論的立場をとる。感情に善悪の判断を与えるのは、神に物理的のみならず道徳的完全性を賦与するために読めてしまうんだがスピノザのいう神ちょっとよくわかりません(それはこの本のすべてを理解できなかったというのと同義である)。が、知性そのものに道徳的に善という属性を与えたのは功績なんだろう…という。ラッセルの「幸福論」読んだときにも思ったことですが、道徳の議論にあれこれ持ち込みすぎなようにも思うし道徳のあらゆるパターンを考えるのはほぼ不可能に近いと思うのでこういうタイプの倫理全体的によくわからん、もっと先代の倫理にあたるべきか。

 

4.新編 普通をだれも教えてくれない(鷲田清一

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

 

新聞や雑誌への寄稿集。些か穿ちすぎではないかといくらか思う文脈もあるところが鷲田氏らしいが、もっともっともっと肩に力の入った文章の方が私は好きだ。言いっ放しはきらいだ。

高校(より前か?)の頃から読んできたのでこの人のエッセイは読み慣れない。せめて評論に値する形式にしてほしい。多分価値観が剥き出しなのが肌に合わんのだな。エッセイですね。エチカがしんどかったので肩の力を抜こうとしたら抜き過ぎました。

 

5.ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

 

「リハビリの夜(未読)」の著者である熊谷氏の対談本。絶対この方どこかで…と思ったら、佐々木正人著「知の生態学的転回2: 技術」の中にこの方の「依存の分散」や「介助される身体の応答」の記述がありました。著者ご本人が脳性まひでありながら小児科医をされている。当事者としても研究者としても、身体と自我の関係性・自己の身体と他者の関係性・自我と社会の関係性など自分にとって示唆に富んだ文章を残してくれています。書籍としては「知の生態学的転回」の方がよくできているかなと思いますし内容も一部かぶるので、2冊とも読む必要はないかなと思いますがこちらの本の方がとっかかりとしては楽です。

 

6.医療につける薬:内田樹鷲田清一に聞く(岩田健太郎

息抜きその2。絶対気にくわないだろうなと思って読んだんけど意外といい本だった(と思ってしまった)。別に自分そのものにとってありがたい話も新規に必要な話もなかったのだけど、このタイトルでこの3名であることで、非医療職の人が手にとってくれないかなあとかいう邪な考えが脳裏を過った。

 

7.ケアの宛先(鷲田清一 徳永進

ケアの宛先

ケアの宛先

 

今度はわりと鷲田氏が聴く会でござった。医学書院の「しにゆく患者と、どう話すか」はがんに絞っていましたが、こちらは在宅医療でそんなに的を絞りません。あと対談なので議論が緻密ではない。ゆるゆるです。息抜き第3弾(どれだけ息抜きしたいのか)。

 

8.経済学の歴史(根井 雅弘)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

 

ケネーにはじまり、アダム・スミスリカード、J.S.ミル、マルクスメンガーワルラス、マーシャル、ケインズシュンペーター、スラッファ、ガルブレイスを辿って経済学の諸概念と学者個人の来歴・理念、重要概念と著作について説明してくれる本。経済学を概観する本が読みたいといったらフォロワー氏が教えてくださいました。これと放送大学「経済学入門」を行ったり来たりすると楽しい気がする。ビジネスマン向けの経済学の棚に行くとどうしても今やはりのマネタリスト向けっぽいやつが多いんですが、自分は福祉の経済とかミクロの経済もやりたいので色々読む必要があるのです。しかしまあ細かい理論的なとこほんまわからんちんなので現代経済学に徒手空拳で突っ込むことのないようにという程度です。社会科学的価値に関するコメントが各説に設けられているのは個人的にめっちゃありがたかったです。経済史はいいな。世界史には傍流も伏流もたくさんある。

 

9.知覚のなかの行為(アルヴァ・ノエ)

知覚のなかの行為 (現代哲学への招待Great Works)

知覚のなかの行為 (現代哲学への招待Great Works)

 

ものを見ることは絵を描くことに似ているーアルヴァ・ノエ「知覚のなかの行為」

メルロ=ポンティの知覚の現象学を伝承したような身体性と知覚の関連を示す本、認知哲学というより認知心理学よりであまり認知神経科学唯物論には与しない。ただしクオリアのような心の哲学よりかなり実践的で、かつ特殊ケースには言及しない。これが感覚-運動的知識の成立を可能にしていると思う。本書でつよく打ち立てられるのは「エナクティブ・アプローチ」、ギブソン生態学的知覚論や先述のメルロ=ポンティを引き継いで人間の触覚-知覚関係を明らかにすることで知覚する世界の成立を提示する。因みに途中、センスデータ説は勿論きちんと潰していく。

とりあえず世界の成立が環境の安定と経験からのトップダウン処理と感覚のボトムアップで常に動態的にできているよっていうのはうれしい説明であると思うのですが自分は結局科学も哲学も理解はしていないので本書が心の哲学にどう参与できるかとかは考えてもよわよわです。

 

10.外国人看護・介護人材とサスティナビリティー持続可能な移民社会と言語政策(宮崎里司 他)

 

外国人看護・介護人材とサスティナビリティ ―持続可能な移民社会と言語政策

外国人看護・介護人材とサスティナビリティ ―持続可能な移民社会と言語政策

 

放送大の授業「移動と定住の社会学」が面白かったのでなんとなく手に取った本やったんですが予想以上に面白かった。

EPA経済連携協定)により看護師・介護士等ケアワーカーとしての資格取得を目的としたビザが発行されるようになり10年。外国人ケアワーカーに求められる日本語能力の困難さとそれぞれの事情や制度を取り巻いて起こる問題等。

中の人として思うことですが、医療・福祉の現場では言語的コミュニケーションが必要となる場合が非常に多いです。ケアの対象とのコミュニケーションはさることながら、協働者との打ち合わせ・申し送り・報告など短時間で意思疎通し決定まで導かなければならないなど言語的能力は高いものを求められます。

外国人として就労するだけでもかなりの困難があることは、「移動と定住の社会学」からも読み取れます(外国人技能実習制度等、単純労働を禁じていても結局受け入れ側が個人の時間当たりの労働力が欲しいだけの場合の軋轢など)。そこに加えて日本語で国家試験を受けることの困難さが加わります。資格を取ろうが取るまいが言語の壁は容赦なくありますが、そうした問題提起にとどまらず本書では個別のケースを比較してどの要素がプル・プッシュ要因となったか質的記述がみられます。また個人的に面白かったのは看護師の役割(日勤・リーダー・フリー)による言語的コミュニケーションの質の違いです。対象、内容、喋っている時間に振り分けてコミュニケーションの質を分析しますが、これはむしろ外国人労働者の受け入れにあたりというより本国の看護教育に還元できると思います。それほどまでに現場のコミュニケーションは煩雑ですしエラーの元になりやすいです。10年で受け入れ者は5000人に満たず、さまざまな事情から国内にケアワーカーとして止まるケースも少ない中、労働者として今後移民を受け入れざるを得ない場合の対応は確実にこちらも柔軟さを求められています。そして彼らを受け入れる準備ができるということは、ある程度組織の冗長性確保につながります。

政策の是非はともかく、世界で有数の長寿社会になったからにはどうあがいても国自体が介護のモデルケースとして(いい意味であろうと悪い意味であろうと)扱われていることは本書の中でも触れられています。この辺りは今後授業でぼちぼちとっていくつもりなんですが。あと個人的に「やらんかったんかいもったいない」と思ったのはEPA内での交換留学ですかね。日本がそもそもケアワーカー養成のための高等教育を整備しきれていないこともありますが、手探りだからこそ他国で学んだ人を自国に返すの大事だと思うんですけど…学生のうちにできることやって欲しいですし。

 

10.

放送大学2018年度前期授業評

毎回やっている(やることにした)放送大学の科目履修の感想と、来期以降の履修計画です。個人のメモ書き程度。

講師陣は敬称略でご紹介しています、すみません。

 

心理系科目

専門)錯覚の科学(’14)菊池聡 評定:A

認定心理士の要件で唯一残っていた科目をようやくとりました。

認知心理学とよく似た内容なので正直これを別建ての科目にする必要はあったのか...と思ってしまうんですが、視覚に特化して錯視のメカニズムはさらに詳しく書いてあったかと思います。較べると、認知心理学は心理全般なので社会心理学における認知みたいな内容まで含まれます。錯覚の科学のほうが、「騙す手法」の物理的な面まで説明がありました。関連書籍は大量に読んであったので特になにか特別な対策をしなくてもAでした。

 

情報系科目

前期はあまりとっていなかった情報科目が増えました。単純に興味があるのもありますし、エキスパートプランの中に欲しいものがいくつかあるのでそれと関連させて。

専門)ユーザ調査法('16)黒須正明高橋秀明 評定:C

UI・UX系の測定どうやってやるかとか結構この本詳しいです。認知心理の内容も多分に含んでいましたが、認知科学・工学に至る内容や産業と絡む問題も含んで紹介されていていい教材だったと思います...成績が悪いのは単なる勉強不足です。

専門)コンピュータと人間の接点(’18)黒須正明・暦本純一 評定:A

上記のユーザ調査法とかなり似ていますが、計算機と人間の処理の違いや特徴などに特化した科目です。導入としてはこちらのほうがやさしく、馴染みやすいかなあとは思います。

導入)デジタル情報と符号の理論(’13)加藤浩 評定:C

これが今回いちばん苦労した科目です、持ち込み可能だったんですけどめちゃくちゃしんどかった..高校のとき数列も怪しいし行列はまったく手つかず、微積分もやっていないので教科書を隅から隅まで読んで過去問といて試験やりました、確実に落ちたろうと思っていたけどなぜかひっかかって単位を得てしまった。

信号・符号の伝送に関する話で情報のエントロピーとか間に挟みつつ今はやりのブロックチェーン技術がどうやってできているかみたいなところまで知れます、楽しいですが数弱には大変厳しい科目でした。これで終わったとはいわせない。

総合)進化する情報社会(’15)児玉晴男・小牧省三 評定:A〇

ICTの仕組み(ネットワークシステムの構築、地域におけるインフラ整備)からはじまり企業・行政における利用の実際、応用分野への展望という感じのいかにも総合科目らしい科目です。試験は持ち込み可だったのでA〇でした。

社会と産業系科目

今期いちばん多くとったコース科目。これでエキスパートプラン「社会探究」がほとんど揃いました。

導入)社会調査の基礎(’15)北川由紀彦・山北輝裕 評定:A〇

心理でいうところの「心理学研究法」のような感じの科目です。フィールド調査の倫理や測定方法についてなどなど... このあたりは心理学研究法とかぶる部分もあり、統計は嫌というほどやっているので試験が簡単なのもありおそらく全問正解したと思います。

導入)経済学入門(’13)西村理 評定:A〇

今期2番目に頑張った科目です。内容を理解したかという意味では1番頑張ったような気もします...持ち込み可の試験なんですが、過去問も難しいし教科書も入門ながらはじめて出会う内容も多くて難しいなあと思った覚えがあります。というか出題の仕方がちょっと難しいのもある。試験前せっせと頑張った甲斐があり評定はA〇でした。ちょっと嬉しいです。

導入)社会統計学入門(’12)林拓也 評定:A

前回の雪辱を果たしました...!持ち込み可なのに心理統計の勉強ばっかりしていて疎かになっていたため落としてしまったんですが(そして既に18年度の新しい授業がある)、試験日程が許したので受けました。無事にAでした(多分回帰分析の何かの計算を間違えた

専門)移動と定住の社会学(’16)北川由紀彦・丹野清人 評定:A〇

教科書を読んで今期いちばんよかったなあと思った科目がこちら。移動と定住、響きだけで選んだ面がなくもなかったのですが(あとエキスパートプランの必要条件だった)、移民政策の困難や外国人労働者の在り方についてはこの本で色々勉強になりました。移民だけでなく自国の労働力についても述べられていて教科書としてよくできていた印象です。

専門)都市と地域の社会学(’18)森岡淸志・北川由紀彦 評定:B

こっちは都市社会学です。ジンメルとかからはじまりシカゴ学派を経てほにゃほにゃ。本当はこちらほうが興味ある科目だったはずなのですが他の科目にかまけてあまり教科書読めていなかったので試験が難しかったです(そりゃそうだ

専門)産業とデザイン(’12)A〇

これも前回の雪辱を果たしたもの。評定A〇、何があったんやと思いますが特別な勉強はしませんでしたね...。ちなみに同名の科目はなくなってしまい、18年度からは「住まいの環境デザイン」というものが新設されています。

 

認定心理士について

再履修(社会統計学入門)も無事終え、新しい単元(錯覚の科学、ユーザ調査法)もとりました。あと面接科目「心理実験1」「臨床検査基礎実習」の2科目も受けて今回の半期は本当に結構忙しかったんだなあと思っております。しんどかったですがなんとかなりました。

これで、最低限の要件を満たすために必要なのは面接科目「心理実験2」のみです。日程の関係上受けられるかどうかはまだわからないのですが、放送大の卒業とこれをもって日本心理学会認定心理士となることができます。臨床心理士や公認心理師ではないので、業務に活かすことのできるものではありませんが、心理全般を広く学習したことを客観的に証明できるといった程度でしょうか。

 

来期とる科目

地域福祉の現状と課題(’18)

社会福祉の国際比較(’15)

社会福祉実践の理論と実際(’18)

社会保険のしくみと改革課題(’16)

家族と高齢社会の法(’17)

---このあたりまで全部福祉系

 

現代経済学(’13)

身近な統計(’18)

コンピュータとソフトウェア(’18)

入門微分積分(’16)

---こっちがエキスパートプラン用科目

 

何気に微積分入っているんですが自分はついていけるんでしょうか。がんばれ。

あと身近な統計は最初にとれよと言われそうですが試験のスケジュールにあわせて授業を取っていることもあり、ちょっと仕方ない部分もあります...

 

看護学の学士・放送大学修士課程について

来期の授業をこうすることで、看護学の学位取得がわりと目の前に迫ってきました。上記以外に指定の科目の中からあと2科目取得すると、学部卒業による教養の学位取得に加えて看護学の学位を学位授与機構に申請することが可能です。手続きがちょっと面倒で、これ以外に学習成果のレポートを提出しなければならないのですが、これ自体はなんとかなるかと思います。と、いうわけで来期が終わると卒業ですが、科目履修生として学部の他科目を履修しながら学位申請の準備をしつつ、放送大学修士課程全科履修生入学を考えております。コースはまだちょっと悩んでいますが...。ちなみに放送大は、学部は入試がありませんが修士課程は院試があります。来年夏。

 

エキスパートプラン

1.現代社会の探求 2.人にやさしいメディアのデザイン

残り「身近な統計」「現代経済学」のみで最短の取得可能。卒業時に申請できそうです。

3.計算機科学の基礎

来期の授業も含めて単位取得すると、あと5科目ほどで申請できます。「社会数学」と必要単位・受けたい授業がちょっとかぶっているのでとろうと思っています。

4.数学と社会

来期の授業をすべて単位取得した場合、「入門線型代数」を履修すると完成するプラン。数学ができるかは・・・わからん・・・・

5.データサイエンス(新設)

作られた時点で既に必要単位を半分ほど満たしているため、3の計算機科学の基礎とかぶる部分を履修してこちらも取得するのはアリです。別にプランを集めているわけではないのですが...こうも手広く学んでいると一体なにに興味があるのかブレてみえがちかなあと思いまして、名前のあるものを選んでいます。

100冊読破 5周目(41-50)

 1.なぜ世界は存在しないのか(マルクス・ガブリエル)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

私たちは世界像という観念を手放すことができますが、だからといって科学も手放さなければならないわけではありません。むしろ、すべてを説明しなければならないという要求から、科学を守らなければなりません。そのような要求に応じられるものなどないのです。

哲学なんぞに触れたこともございませんわという人でも多分読めるので手にとってみて欲しいと思うなどしました。特に科学と哲学、宗教と哲学、芸術と哲学については短いのにこれまでの来歴への批判と著者の見解がきっちり述べられていてよい。自分はダニエル・デネットリチャード・ドーキンスのような積極的(攻撃的)無神論が好きではないのですが、概ねここに書いてあるものと同じものです。また、科学に関してもメルロ=ポンティ「見えるものと見えざるもの」以上に慎重に捉えられていて嬉しいです。

 

2.徳について 1 意向の真剣さ(ヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ)

徳について〈1〉意向の真剣さ

徳について〈1〉意向の真剣さ

ある価値判断をするとき、判断される人間がただ単に目に見える形、手に触れうる形で行ったことだけではなく、それを行うためにしなければならなかったが、目に見えず手に触れることのできないものも考慮しなければならない。その人間がそこに到達するために辿らねばならなかった長い道、乗り越えなければならなかった障害、打ち勝たねばならなかった抵抗、その人間の動作が表象する、ときとして悲痛な犠牲だ。言い換えるならば、ただ単に到達している点だけではなく、どこから来るか、どこを通ったか、どのような懐疑、試練、幻滅の循環を経過したか考慮しなければならない。ーヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ「徳について Ⅰ 意向の真剣さ」

 

《感覚》器官が、局所的な反乱によって健康という至福な麻酔状態を破って苦しませる器官であるのとまったく同じように、《患者》は、苦しむことのできる者だ。享楽に耽る無頓着さは、相互に相殺しあった力の均衡にほかならず、まったく不協和音がなく、どの音も遊離せず突出しないコーラスであって、ーー気遣う意識が《安楽な存在》と呼ぶものだ。(中略)しかし、呼吸し、自由であり、若く、あるいは、健康であること以上に、《存在する》ことになんら直接の、積極的な、特殊な喜びを感じないのは言うまでもない。平和、自由、青春、健康、ーーこれが我々の不幸の四つの治療薬であり、回顧するとき、それぞれ幸福の四つの根幹だが、戦争、隷属、老い、病気によって奪われたときにのみ味わいがある。

 

楽観主義者は、試練で損なわれた自分の幸福を飽くことなく総計する。なにものにも意気込みを削がれることのないこの再生ないし再構成は、生体の形をとることがある。それを《順応する》と言う。この点では、我々は本当にゴム状の意識を持っている。抱負を狭め、自分の弱さに合った生活様態を採用しさえすれば、耐え凌げないものがあろうか。隔離され、籠もりきって、病院のベッドのうえで、音楽もなく、そして、愛もなく、この上なく哀れむべき不幸な人間は(運命の苦い皮肉ではないだろうか)結構幸福な自分を見いだし、不幸への自分自身の調整のうちに思いもよらなかった勇気を発見するが、この勇気は、絶望に対して免疫となった生きる人間のやむをえない生存能力にほかならない。

 

「考えながら行動し、行動しながら考える」とは、ベルクソンが好んで喚起した言葉で、ジャンケレヴィッチもこのベルクソンの言葉をしばしば援用し、これこそ叡智の定義だといっているが、また、ベルクソン は人の言うことではなく、することを見よとも言っている。ジャンケレヴィッチは、さらに"する"ことに人間の真の道徳的使命を発見した哲学者と言えるだろう。"する"のとは、ジャンケレヴィッチの倫理学の根幹をなすと言うことができる。たとえば、主知主義は、善なるものがあり、この善は良く、この善をしなければならないと言う。つまり、真理を考えるいかなる思惟がなくても真実である真理が存在し、他方、中立で無気力で基本的に受身な意識を想定する。しかし、ジャンケレヴィッチは、善はしなけらばならないなにか、したがって、まさにするべきなので、存在しないと理解しなければならない、と言う。人間は、しなけらばならないことがあることは知っているが、なにをしなければならないかは知らない。善は、事前に存在するものではなく、良くすることによって創造されるもの、つまり、善は、これをする意志なくしてはまったく実存しないという。徳に対するジャンケレヴィッチの姿勢の根底には、一貫して、このような意識のダイナミズムの確認がある。しかし、他方、ジャンケレヴィッチの人間観の根底には、死に宿命づけられた有限で半開の"不条理な"人間の生涯は"唯一回"であり"独自存在"であって、結局、事後に"存在した"といういわば完了形でしか表現できないという厳しい認識がある。ー仲澤紀雄(訳者あとがき)

 好きすぎて引用し過ぎました。すみません。

というかあとがきの引用があまりに秀逸でもうこれ以上いうべきことがない気がします。徳と愛、「徳について」では才覚や芸術への感覚などを含めた広い分野を扱っていましたが、こちらはどちらかというと徳倫理学的な本でありました。中身をしっかり読めているかと言われると全然です

 

3.ゲノムで社会の謎を解く―教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで(ダルトン・コンリー、ジェイソン・フレッチャー)

ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで

ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで

 

社会学(特に貧困・厚生についての疫学)の教授と経済学(こちらも開発経済学等応用分野)の教授の共著です。集団における遺伝学的影響を環境と比較して考察していきます、あと証明できることの限界についても書かれており、ニコラス・ヴェイド著 「人類の厄介な遺産」のような片手落ちには止まらんぜという苦節が見えます。

医学・進化生物学あたりに詳しい方は既知の内容が多いかもしれません。

 

4.生成文法を学ぶ人のために(中井 悟)

生成文法を学ぶ人のために

生成文法を学ぶ人のために

 

生成文法の方法論について少し掻い摘んでといった具合で、あくまで導入ながら難しさは極力省いて「それによって何がしたいか」「何がわかるか」「意味論、語用論とどう接続するか、どこが違うか」を解説してくれる感じです。

生成文法の入門書とか詳しくないどころか入門するつもりもそんなにあるわけではないんですが、文法構造からどんなものを読み取っているかを逆行的に理解するの面白いなと思いました。

 

5.デリダ 脱–構築の創造力: メタポリアを裁ち起こす(中田光雄)

デリダ 脱?構築の創造力: メタポリアを裁ち起こす

デリダ 脱?構築の創造力: メタポリアを裁ち起こす

 

高橋氏の「デリダ」は生い立ちや経歴も含めたデリダの思想の基礎となる部分や誤解されやすい部分を詳らかにする本でしたが、こっちはデリダの持ち出す主要概念からさらに発展させるのと、多少遡ってどの哲学者のどの思想を援用しているかに言及します。最終章でアポリア(≒袋小路)の集簇としてのメタポリアがでてきたくだりは面白かったですが、デリダの解釈でなくてもよいのではと思ってしまったのも事実。

 

6.言語哲学を学ぶ人のために(野本 和幸)

言語哲学を学ぶ人のために

言語哲学を学ぶ人のために

 

生成文法とどっち先に読むべきか悩んでいたのだけど、先に生成文法読んでおいてよかった(少なくとも統語論がなにかくらいは知っているのでそこで蹟かなくて済む)。

読書会でちょうど分析哲学についての話をしていたんですが、デイヴィッドソン、ダメット、クワインあたりがちょくちょく出て来て解説されるのは有り難いです、が、意味論の最後の方まったくついていけなかった。言語学的な意味論というより可能世界意味論がわかりにくい。様相実在論は1冊だけ本読んで、その他物理・数学系の本をそれぞれ1冊ずつ読んでいたので復習がてら読めたんですけど、哲学入門おける意味論いまいちよく掴めていなかったのか本書が難しいのか本当に内容が難しいのか。もう少し各論的な本を読んでおいたほうがよかった気がします...

 


7.記号論入門─記号概念の歴史と分析─(ウンベルト・エコ)

記号論入門─記号概念の歴史と分析─ (教養諸学シリーズ)

記号論入門─記号概念の歴史と分析─ (教養諸学シリーズ)

 

記号論理学について割かれたページは意外と少なく、記号全体(サインそのもの)についての網羅的内容でした。「言語哲学を学ぶ人のために」と併せて読んでよい感じ。

 

8.幸福の形式に関する試論:倫理学研究(マルティン・ゼール)

幸福の形式に関する試論:倫理学研究 (叢書・ウニベルシタス)

幸福の形式に関する試論:倫理学研究 (叢書・ウニベルシタス)

 

ある人が善き生を生きた〔と言える〕のは、その人が意欲したもののいくつかを為すことができて、その人の願望が実現された場合だけでないーーそれは不幸で荒廃した生にも言うことができるーー。それだけでなく、その人に出来たものまた出来なかったもの、その人にとって実現したものまた思い通りにいかなかったものにおいて、それにもかかわらず(多くの抵抗またはその欠如に対抗して)自分自身のイメージに従って生きられた生の針路を保持することができた場合、さらに、その人が生の過程のうちにその人の生の本質的価値を見て取ることができ、その過程の中で、固有な種類の悦びではないとしてもあらゆる(エピソード的で一時的な)悦びや苦痛の他に、自己信頼と世界信頼を保持できた場合にも、その人は善き生を生きたと言えるのである。ーマルティン・ゼール

 

生の持続の中でできる限り豊かな願望実現として理解された全体的な幸福は、個人的な生構想Lebens-konzeptionenの立案を共に含んでいる。というのも、生の経過の中で多少とも実現されるのは個別の願望ではなくて、願望の組み合わせだからである。合理的に相互一致でき、そのうえ非-幻想的な性格を持つ願望だけが善き生の時間を導きうる。こうして目的論的な考察から、善き生は一定数の目標の達成を目指してそれらの目標を追求することのうちに見出される、と結論づけられる。善き生は、願望実現の途上で有意味な生構想のうちに予示されるような仕方で演じられるのである。

 

今回の100冊の中で万人には推せないものの道徳哲学のうちとくに感情とか個人の規範となる倫理ではなく社会福祉環境倫理、グローバリゼーションに対する倫理のありようとしてかなり理想に近い議論がされていたように思う(自分が公共の哲学の領域が好きだからだとは思う

第二研究が本題(幸福と道徳のコンフリクトについて)だけど、第三第四も普通に面白い、とくに第三研究は応用倫理学の範疇に属しており、生命倫理・動物倫理が道徳の名宛人として、ないし道徳のパートナーとして提出する課題を検討する。ハーバーマスの著書は「公共性の構造転換」くらいしか読んでないんですけどやっぱり読んでおいて損はしなかったというか興味の方向性ははコミュニケーションと互恵性についての問題に帰着するので、この本を第二の出発点にしたい感じです(第一はどこだ?

 

9.アダム・スミスの動態理論(星野彰男)

アダム・スミスの動態理論

アダム・スミスの動態理論

 

アダム・スミスの経済理論について、バックグラウンドにある哲学の理念を解説し、後年のリカードやの批判に耐えうる思想を紹介(紹介?)する。

・・・が、私はそもそもスミスの理論を教科書でちょっと読んだ+道徳感情論を読んだくらいで、彼が哲学の分野で誰から影響を受けどの理念を援用しているかとかそんなに知らないんですよ、完全に白目剥いて読むだけに終わってしまいました。

 

10.経験から学ぶ人的資源管理 新版(上林憲雄)

経験から学ぶ人的資源管理 新版 (有斐閣ブックス)

経験から学ぶ人的資源管理 新版 (有斐閣ブックス)

 

組織論についてはロビンスの「組織行動のマネジメント」やハッチ「組織論」がもっとよく説明していたと思いますが、労働側と雇用側の関係を示した上で特に企業における労働者・その周辺の法整備・給与や能力評価の考え方を読めて良い本でした。最初は間怠っこしい。あと1部は別に読まなくてもいい

死について: 死と関わることはそれまでの生と関わるということである

一人称の死、二人称の死、三人称の死について。

過去のツイートなどを引用、一部改変したため少し考えが拙い(専門職者として適切なグリーフケアができていない・倫理的議論が未熟である)などの問題はありますが、ここでは個人として、少し考えをまとめておきます。

 

死は生に意味を与える無意味である。ーヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ『死』より

 

三人称の死

倫理の話は好きだが、生命倫理にそれほど執心できないのは、多分議論の争点が患者や患者家族や、自分や同胞たちのこころとときに一致しないからだと思う。

私は働き始めてから今までに、1ヶ月あたり1名以上の死を体験し続けている。実にシビアで、若い人も亡くなる。ベストサポーティブケアも、さらに前景にあるアドバンストケアプランニングもうまく介入しにくい分野である(この点については現状の診療報酬制度や地域医療の問題が絡むので深くは触れないでおく)。

 

数週間前まで元気に歩いていた人が、寝たきりになる。寝たきりどころか、ときには人工呼吸器と昇圧剤でやっと命を繋ぐ状態になる。人が死ぬときには、いや死に行く人が死ぬまでの生を生きるには、周囲の多大なるエネルギーを必要とする。自分たちの手は、声や体は、最早本人のためだけでなく、本人を労わりたくとも手の触れ方もわからない家族のためにある。それは『死んでいくのだ』という受け入れ期間のためでもある。

そしてその間にも、我々は医療機器の管理とその他医学的管理をし、体に直接触る。弱っていく人間のケアから逃げることはない。24時間を見つめているし、呼ばれれば行く。呼ばれなくても行く。けれどまだ、それは死の準備のためでもないし、ましていつ亡くなるかは本人も医療者自身も明確にはわからない(こともある)。

 

そして、「痛い」とか「つらい」とか「苦しい」とか、「そばにいて欲しい」とか「手を握ってくれ」とか「足をさすって欲しい」とか、ほんとうは、そんなことだけではなにも解決しないねがいのために、ただ隣にいることしかできない時間に対する諦念が、その人が亡くなった少し後にどっしりと疲れを伴ってやってくる。勿論使えるものはなんでも使って対応してもこうなる(ときもある)。ケアにあたっているその瞬間は、必死なので疲れを感じることはあまりない。あの人かわいそうだね、とかなんとかしてあげられないかな、とか周囲と認識を揃えて(もちろんそれが仕事なので)やるんだけども、ケアをするひとの喪の作業はあとからひとりでこっそり行われるのだなあと働き始めて知った。

 

生命倫理の問題が自分に馴染みないのは、それが『死』という点でしか語られないからかも知れない。死ぬということは、その瞬間まで生きているということだし、死ぬということは、死んだ後にそれを受け止める周囲の人間がいるということだ。それがすっぽ抜けているというか、語られないままだとムズムズする。わかって欲しいなどとは思わないが、助かる見込みのない人をどれだけ私たちが丁重に扱っているかは、実際に見ないとわからないと思う。そして同時に悲しみに暮れてもいる。家族ほどではないにせよ、毎日歩いて会話をしていて昼も夜も見守っていた人が目の前で死んでいくのだ。悲しくないわけがない。しかし、仕事なので、生きている人間を目の前にしている間に弱音は吐かない。

 

そういうジレンマを、生命倫理がひとつの項で論じて解決できるとは決して思わない。倫理が現場をわかっていないなどと腑抜けたことをいうつもりはないが、人の死(そしてそれまでの生)は時系列で、そしてもっと多角的に、EBMとNBMを駆使して語られるものであって欲しいと思ってしまう。まあこれは個人のジレンマでありただの希望なのでなにかの俎上に載せられるような代物ではない。たまに苦しくてたまらなくなるけど、でも毎日働くことはできる。不思議だ。

 

 

二人称の死

身近な人の「死」を、未だに自分はきちんと処理できる自信がない。

患者を失うというのは自分にとってひとつの仕事の「終わり」であり、ふつうの退院にしろ死亡退院にしろそれはさして変化あることではない。違うのは「死」という厳然たる関わりの終わりであることだ。

 

父方の祖父は15年前に亡くなって、もう声も話し方も思い出せない。ただ、笑い方と体の「感じ」は覚えている。歩き方も。つまり視覚情報や動的情報、触覚は失われないのに、声の情報だけがぽっかりと抜けるのだ。
だから患者と関わったとき、声だけは忘れないようにしている。
それもいつか忘れてしまうかもしれないけど、それはそれでいい。生きていても忘れたりはする。むしろ名前なんてしょっちゅう忘れている。

 

身近な人に戻ろう。

 

「死」というものが比較的突然もたらされるものではない場合、存在はひっそりと隠遁するようになり、次第に活力を失い、家族のエネルギーによって生きるようになる(対象が生命である場合はこれは医療福祉職の手からも成る)。これが死へと向かっていながらも未だに死んではいないときの生である。この生の時間に、おそらく整理をつけ、しかしながら疲弊するため、「死」の訪れによってその重荷をおろすことになる。これは身近な人でも仕事でも大差あることではなかったりする。
その人の人生を背負っていたのを、永遠に休むのである。
自分の中のその人の記憶が更新されることがなくなる、これが便宜上の(生物学的な)死であると思っている。

 

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」を思い出すと、そこでは、強制収容所で働く男たちが家族について夢想している。絶望の中でわずかながら身近な人を想うとき、その「現在の」「実際の」生には言及されていない。家族も強制収容所にいるかもしれず、感染症の高いリスクと飢餓や低体温のリスクにさらされている。それでも「存在」が、彼らの心の中でわずかに希望を持たせるのである。

 

死と関わることはすなわちそれまでの生と関わるということである。


身近な人間だとこれを一瞬忘れてしまうが、この点に関しては三人称であろうが二人称であろうが変わらない点である。一人称のときにはこれが適用できないため、考えを変える必要があるだろう。

 

最後に少し、好きな引用をしておきたい。

 

人が出かけていくのは、そこに行くように駆り立てられるからだ。人は、他者が、彼または彼女が、ひとりきりで死んでいくことのないように出かけていくのである。敏感さとやさしさと共に動かされる人の手の動きのすべてが、他者を感受する力によって、その人に向けられた命令を感知する。人は、他者のために、そして他者と共に、苦しまずにはいられない。他者が連れ去られてしまったときに感じる悲しみ、いかなる薬も慰めも効かなくなったときに感じる悲しみは、人は悲しまずにはいられないということを知っている悲しみなのである。ーアルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』より

同居生活2週間の記とか結婚式準備にまつわるあれこれ

情報案内記事ではないのでほぼ日記です。すまん。あと忙しくてこの2週間の記憶がないので忘備録を兼ねています。

 

お品書きはこんな感じです。ちなみに1番頑張って書いたのは結婚式準備編です。伝われ!

  • 同居にまつわるあれこれ
  • 家計管理・スケジュール管理(生活リズム)について
  • 結婚式の準備
  • 転居後起こったトラブル編

同居にまつわるあれこれ

1.転居準備~転居後までのスケジュールについて

結婚相談カウンターとかに行くとつっこまれるのだけど、諸々の都合上、転居が先になったのです。が、結果的に現在はやりとりがしやすいのでこれはこれで楽だなあと思っています。恋愛指南系となると同居をお勧めしない記事よく見かけるけど、共同生活を営む者としての心得がわかるのは悪くない。もっとも私の場合は元の家もほとんど同居みたいな近さだったので、あまり関係はなかったのですが。

①荷物の搬入(とか、処分とか)

2人の家から同時に引っ越したので、結構大変でした(引き払い日時は余裕もって設定した)。あと2人で引っ越すとちょっと安くなります。

事前に引っ越し先の間取りを想定しても窓の位置などを考えると無理がどうしても生ずるので、可能な限り不要な家電(重複するもの・持っていかないもの)を明確にしておいてすぐに購入したいものもピックアップしておいたので比較的スムーズではあったのですが。

あとは、同日か否かに関わらず「新しい大型家電」は結局何も買いませんでした。勿論思惑あってのことなんですが、仕事に明け暮れている人間が1名から2名に増えたところでさして家電の必要容量ってそう大きく変わらないんですよね。大型家電を購入するとなると選ぶところから搬入・設置までしないといけないので、挙式や旅行などと同時にこれができる人(世の中にはいらっしゃるらしい)は無尽蔵の体力でもあるのか?!と思いました。

②時期、日程

スケジュールが変えられない私の仕事に合わせて伴侶に休みをとってもらいました(固定枠以外は裁量権のある仕事なので)。夜勤明けの次の日に転居、その次の日も休みだったのでなんとかなりました。土日休みの方でもまあなんとからないことはないですが、ものが多かったり上記のように搬入物が多いと大変かもしれません。

③転居後の動き

荷物は最低限の荷解きをして、最低限の家電が稼働したら住所変更や新居に必要なもの(カーテン、電灯類)を購入しに旅立ちました。で、その日の夜には設置するまでなんとか済ませたんですがやっぱり結構な労働量になるので疲れました。へとへとだぜ。

翌日くらいに足りなくなったものを自分ひとりで集めにいき(伴侶は仕事)、荷解きを進めたり。この時点でまだ自炊ができる状況にはなかったので、近所にコンビニがない場所に引っ越す人は準備物は念入りに。知らない土地にいく場合も下調べいりそうですね(転居前に勿論するでしょうが、昼と夜や土日と平日の違いなどあると思うので)。

 

2.同居のメリット、デメリット

一般的なものはその辺のネット記事に大量に溢れているので今更書く必要もないのですが、一人暮らしに慣れた身同士の同居ってやはり不安があるもので、事前に張っていた予防線やそれでも回避できなかったこと(あまりないけど)を少しばかり。

メリット① 家に人がいると荷物の受け取りや業者の手配が便利

これは生活リズム・仕事のリズムがバラバラな人間ならではですが、仕事が忙しくて独居だと、荷物の手配が手間だったり何度も持ち帰りを強いてしまったりします。自分たちの場合は在宅・非在宅の大まかなスケジュールとその理由をカレンダーアプリで共有しておきました。お互いに仕事に明け暮れていてもまあなんとかなりました。

というか家庭管理のためにslackを導入したら便利すぎて、冷蔵庫の中身から結婚式場の手配状況、家計管理までアプリにまとまりました。

メリット② 喋る人間がいる

何を言っているんだお前はという感じですが、たとえ具体的に愚痴など言わなくても「疲れた~」と言うだけで「お疲れ~」と(感情がこもっていなくても)軽くやりとりができるというのは人間にとって大切なコミュニケーションなのだなと改めて思いました。自分の場合はこんな仕事をしていても自身がめちゃくちゃマイペースなので(伴侶もそうですが)、顔を合わせていがみ合うくらいならひとりでいいやという思考に陥りがちです。落ち込んだり疲れているときにそうとわかってもらえるだけでもたいへんな安心感があるものだなあと思うなどしました。

同居のデメリット① 慣れない、睡眠を確保できない

当たり前のことなんですが、他人と継続的に起居するなんてかなり久しぶりなわけで、まして互いに仕事のある身となると休息は一大事です。勿論生活リズムがほぼ同じになる家庭はそれはそれで良いことも悪いこともありましょうが、我が家の場合は私にも相手にも夜勤や出張などでかなり頻繁に家が空くことになるので、最低限一人で眠る時間もそれなりに確保できています。これがなかったら、一人を愛する人類はどうなってしまうんだ...!と若干の恐怖さえあります。好き好んで同居しているのに、それがストレスになるとやはり悲しいものがありますからね。

 

家計管理・スケジュール管理(生活リズム)について

自分たちの場合は私がかなり適当・伴侶が類まれなお金大好き人間(管理も貯蓄も)なこともあり、こういった管理関係は相手にほぼ一任しています。専業主婦の奥さんだと家計管理を任されたりというケースも多いようですが、自分としては「得意な方(好きな方)がやったらいいのでは...」という感想です。そして投資や将来に向けての貯蓄など様々な経路での支出・収入がある家庭にとっても、反対に2人で倹約したい家庭にとっても大事な問題なんだろうなあとしみじみ感じます。

1.家計管理方法(共有方法)

上にも書きましたが総支出ではなく共有部分の支出を計算するために、現在はslackアプリを使って支出を共有しています。水道光熱費ネット家賃などのみではなく、食費(冷蔵庫投入分)や2人で行った外食、日用品や共同で使う家具家電類もここ。明朗会計。支出は名目上応能負担ということになっていますがまだ請求がきません(先月の会計はさすがにまだ余剰の購入物が多く安定していない)。あと、お互いの総収入もないしょです。いや報告してもいいんですが(口頭では大体伝えている)、「余計な」支出、「不明瞭な」支出という価値判断をしてしまう問題についてはこれでお互いに持たずに済むのです。趣味は趣味で持っておきたいですし。

2.スケジュール管理(生活リズム)

日々の生活が毎日・時間単位で異なるので、Googleカレンダーの時間指定で「相手のために動けない時間」を共有しています。つまり仕事もプライベートも、「動けないですアピール」は全部ここ。私の仕事も伴侶の仕事も非常に不規則で、また伴侶の場合には移動も多いのでお互いどこで何をしているかさっぱりわからないということになりがちです。勿論、隠された部分があってよいのですが、そもそも安否確認のときに居場所すらわからないと困るので。同居前はお互い仕事しているのか在宅なのかもわからない生活で、自宅同士の直線距離が5mほどしかないにも関わらず1か月近く顔を合わせないこともしばしばでしたがこの問題はあっさりと解消されました。

 

結婚式の準備

引っ越しと家計・スケジュール管理まではまあ今までしてきたことの延長なのでそこまで困ったことはなかったのですが、結婚式に関してはやったことがないので(そりゃそうだ)、先達の話を参考に進めていきました。因みにゼ〇シィ雑誌なども参考にはしたのですが、それは「挙式・披露宴」に多大なる夢を持ち、なんなら命を懸けている諸氏のためのものであり、我々にはほぼ無縁のものであるといった印象を持ちましたた。そしてそれは今後準備するにあたって様々な場面でぶちあたっていくメジャーな価値観です。

1.挙式・披露宴やそれまでの段取りに対する意識

「筋を通す」ということがどこまでを指すのかは人によって本当に異なります。それは参列者含めそうなので、籍を入れるのは紙切れ一枚でも、挙式にあたっては「祝う(祝ってくれる)人の意識」がかなり影響するなあという印象です。それでも実際に段取りをして招待するのは自分たちなので、主催者であるということはつくづく骨が折れることであるなあと日々感じております。

転居までにあった話は長いので省きますが、お互いの両親に顔合わせまでが済み、両家顔合わせについては現在保留中です。もっと格式ばったことをするのであればプロポーズとか結納とかが間に挟まっているはずなのですが、そういう面倒なことは可能な限りスルーしたいという両者の意向により極力スルーされています。

2.式そのものについて

家族・親族との関係の複雑性や配慮の難しさもあり、また職場の人間などからは無縁でいたいという思惑もあるため挙式・親族会食のみのかなりシンプルなものになりましたが、準備や手配は手間があるもんやなあという印象です(今のところ出向いての情報収集はすべて私が行っています)。

あと自分が個人的に困ったのは「予算の組み方」です。が、これはスケジュール上したいこと・できることと同時に組んでいく方がやりやすいことにあとから気が付きました。

3.実際の動き・判断材料

では挙式・親族会食といってもどんな要素が必要でどんな要素は不要であるか、といった希望はもちろん2名の希望のすり合わせが必要です。私は自分の希望がいまいちはっきりしていなかったので(やりたくない・不要なことははっきりわかる)、伴侶から「それはいらないのでは?」と言われると結構グサッとくる交渉場面もありました。ここで夢や理想があると喧嘩になってしまうのでしょうが、なんでも理想を叶えるのが結婚式でもなければ嫌々付き合ってもらうものが結婚式でもない、という点を最優先しているために決断は比較的スムーズだったかと思います。

というわけで判断材料について。

①場所・時期

親族が集まりやすく、また自分たちも準備のためにアクセスしやすい場所。神式の挙式をしたかったので、京都市内で探しました。そして会食の場所への移動の負担がない場所。時期については伴侶の仕事の繁忙期を避け、また招待者の仕事の都合を加味した日程で開催可能な場所を選ぶとすぐに絞ることができました。

②予算の組み方・式場見学

結婚式、予算の計算の仕方が難しいので「で、総額いくら?」ということになりがちです。相談カウンターで前もって挙式のイメージや家族の事情を伝えておくと、いくつかの会場をピックアップしてくれるのでそこから現実的なところを見学に行きました。

ちなみに、式場巡りについては私以外の方はカップルで来られていることが多かったですが、個人的に「多忙な人にはお勧めできないな」という印象です。我々の場合はスケジュールがまったく合わないものの意志決定や意向が明確なので、私がひとりで見学~見積もりまで出してもらい、持ち帰って2人で検討するという方法を選択しました。

つまり、ゼ〇シィなどで一般的かつ会場でコンシェルジュがサポートするのは「理想」に向けて具体的な手段を提示していくという方法であり、我々はその真逆、日程や参列者の事情を元に組み立てていき、減った選択肢の中から最良を選ぶ・オプションをつけるという方法です。

③具体的な要素

・挙式そのものの費用(神社の場合なら初穂料もここに)

・衣装(新郎・新婦)、ヘアメイク(綿帽子や角隠しが入ると金額大きく変わる)

・食事(参加者数によって変動)

・前撮り・当日の写真(アルバム作成やデータ渡しを含む)

...あたりが我々の場合の費用変動要素だったでしょうか、ちなみにゼ〇シィを参考にすると恐ろしい金額がはじき出されていましたが概ねあれは披露宴によるものです。あと、謎の余興を入れれば入れるほど高額になります。ちなみに神社から人力車で夫婦が移動するという茶番演出も含まれており、私は隠しネタとしてたいへん楽しみにしていたのですが即日伴侶に却下されました。ちくしょう。

④式場見学でのちょっと愚痴、自分の考え

式場は基本的に「夢・理想」といった形のないものを形にするところです。形にするとはすなわちお金にするということです。商売です。このあたりに手際のよさやサポート力をみた場合自分はサービスの質の高さに感動しますし、そうでなかった場合に明らかにやる気がなくなるということが今回の一件でよくわかりました。

特に、項目の最初の方に書きましたが、「結婚式」に対して抱いている価値観、優先事項はしっかり持っておきたいです。でないと、世間の価値観を反映した式場関係者の価値観に左右されることになってしまいます。もちろんこちらがしっかりと重要な点や避けたい点を言明すれば向こうも聞いてくれるので、そのうえで提示してくれたプランを吟味すればよいのです。

我々の場合は、「式までの準備を一任できること(我々には時間がないので)」と、「親族に快適に過ごしてもらうこと」がかなり優先度の高い項目でした。けれども神式にしたいとか、食事はいいものを出したいといった理想はもちろんないわけではないので、限られた選択肢の中でよいものを作ろうという意向がここできちんと明確になったのは式場の担当者様のお陰なので、よい方に巡り会ったと(自分が勝手に)思っています。最高の式にしような。

4.まだやっていないこと

指輪がねえ!!以上です。

 

転居後のトラブルまとめ

その1:トイレの水が流れっぱなし

転居当日に気が付きまして、即日直してもらえました。

その2:洗濯機に給水されない

色々試したもののどこが悪いかわからず、メーカーにきてもらったらなんど水道のナットが緩んでいました。製品じゃなくて家のせい。

その3:ガスの開栓ができない

ガス漏れ検知器が台所リフォームのときになぜかサヨナラされていたらしい、これも家のせい。当日だったか翌日だったかきてもらって取りつけしました。

その4:ネットのプロバイダの選択ミス

ネット回線が貧弱。私が選んだわけでもなければ、私程度の活動であればこの程度で満足なのですが...

その4:業者が開幕逆ギレしている

引っ越し手配をした事務-作業員間の連絡不足やエアコンの設置業者のお兄さんがなぜか超不機嫌などなどといった不安なことが色々ありました。仕事以外で他人の不機嫌に付き合いたくないぜ。

その5:引っ越した2日後に(私の)祖母が亡くなった

これはトラブルとかそういった問題ではないのですが、引っ越し疲れのところに他人と同居というストレス要素が既に乗っかっていて、さらに仕事を忌引きして葬儀の準備をするのがめっちゃ大変でした。

 

おわりに

ここまで長らくお付き合いいただきありがとうございました。

あまりに忙しかったのと、同居するとどうしても自分の時間に自由に過ごすことが難しいので、日々の考えをまとめる意味もこめて書いてみました。そんな背景ゆえにやや愚痴っぽいことも多くなってしまいましたが、生活は総合すると安定しており、また一人暮らしだったころに較べて随分伴侶との会話の機会も増えてたいへん満足です。もちろん色んなご家庭があり、様々な苦労や幸せがそこここにあろうかと思いますが、ひとつの例として何らかの参考に(なかなかなるものではありませんが)なることができましたら幸甚です。

 

では最後にひとこと。

 

結婚はいいぞ(迫真(まだしてへんやろ

100冊読破 5周目(31-40)

1.ヴォルテールを学ぶ人のために(植田祐次

ヴォルテールを学ぶ人のために

ヴォルテールを学ぶ人のために

 

ヴォルテールの文章は何やら美しいらしいということを知った。当時の士族の子は何かとあればヴォルテールを読めと言われたそうです。ちなみに他の、哲学者についての「学ぶ人のために」シリーズと違って本人についての物語形式になっていて、最後の章は名言集みたいになっています。

己が畑を耕せという言葉を肝に銘じるなど。

しかし「最善は善の敵であってはならない」が一体どこからの引用なのか、この本には書かれていませんでした(どこからなのか。

 

 

2.Any:建築と哲学をめぐるセッション(磯崎新

Any:建築と哲学をめぐるセッション―1991~2008

Any:建築と哲学をめぐるセッション―1991~2008

 

対談編なんですがなんというかデリダ招かれてるしなんだこれは的な本でした。しかし建築の観念的なところは全然好きじゃないぞこれは。

各場所で開かれたカンファレンスの収録集なのですが、デリダ脱構築の概念がやはり誤解されていてちょっと悔しかったです(ご本人もセッションの中でそう仰っていた)。ル・コルビュジェ後の建築についてやレム・コールハースの企てなどなど各建造物が土地にもたらした作用についてなんですが、対談形式なのもあってちょっと本人たちが何に納得しているのかわからない点が多々あります。

 

3.文化・階級・卓越化(トニー・ベネット

文化・階級・卓越化 (ソシオロジー選書)

文化・階級・卓越化 (ソシオロジー選書)

  • 作者: トニーベネット,マイクサヴィジ,エリザベスシルヴァ,アランワード,モデストガヨ=カル,Tony Bennett,Mike Savage,Elizabeth Silva,Alan Warde,Modesto Gayo‐Cal,磯直樹,香川めい,森田次朗,知念渉,相澤真一
  • 出版社/メーカー: 青弓社
  • 発売日: 2017/10/26
  • メディア: 単行本
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1960年代フランスにてブルデューの「ディスタンクシオン」においてなされたような調査を、2000年代イギリスにおいて再度実施されたもの。手法は似通っていますが、特にジェンダーエスニシティについてさらにつっこんだ調査がなされていて、音楽などの嗜好もその文化圏まで調べられています。

日本版「ディスタンクシオン」は「差異と欲望」だと自分は思っているのだけど、ことエスニシティについては日本は(ほぼ単一民族で世代が構成されるゆえに)調査の土壌として不十分かもしれないなあと思うなどしました。ディスタンクシオンはたしかに良書ですが時代を読み解くものとしては現代より少し遠いので、現代の格差社会(多分な経済格差を含む)の調査方法としては見方が少し古い部分もあり、「文化・階級・卓越化」がこれに代わってくれるのではないかと思います。よいです。

 

4.ドゥルーズー解けない問いを生きる(檜垣立哉

ドゥルーズ―解けない問いを生きる (シリーズ・哲学のエッセンス)
 

この「哲学のエッセンス」シリーズが気に入ったので、ライプニッツに続いて借りてきました。ポストモダニズムの説明として言葉ばかりが拝借されがちなドゥルーズ(多くの場合は共著者であるフェリックス・ガタリと共に語られる)の、哲学の基盤となるものについて100ページ程度にまとめられています。本書の解説においてはドゥルーズの本懐であるところのスピノザベルクソンドゥルーズの流れを強く意識させて書かれています(嬉しい限りです)。あとドゥルーズのテクストを難しく感じさせる理由がカントにあるというところをようやく理解しました。カントは叩き台。

 

5.階級社会 現代日本の格差を問う(橋本健二

階級社会 (講談社選書メチエ)

階級社会 (講談社選書メチエ)

 

 こちらは前出「文化・階級・卓越化」と異なりさっと短くまとまった本です。「日本のメリトクラシー」とかもいい本だと思うのですが、どちらかといえば格差の原理にスポットライトをあてた感じです。社会科学というより理論よりといえばそうかも。この本、同じ著者による新版があるらしく、そちらを読んだ方が良いのかもしれません。

 

6.都市と野生の思考(山極寿一 鷲田清一

学長(片方は総長)同士なのでどうしても大学の話になるのかと思いきや、大体のことが京都というまちのことを巡る話なので面白いです。人類学と哲学、とくに山極教授と鷲田教授ご自身の専門の領域はある意味(意味的な側面において)近いこともあり、繰り広げられる対話は面白いです。

 

7.脳の中の天使(V.S.ラマチャンドラン)

脳のなかの天使

脳のなかの天使

 

「センス」ってなにかなあと10代のころから考えてきて、あれも違うこれも違うと感じていたけどラマチャンドラン「脳の中の天使」はちょっとした答えになった。いや、それまでにもよそからたくさんの小さな答えを授けられてはいたのだろうけど。

著者のラマチャンドラン氏は神経内科の医師であり、また研究者でもある。本書の冒頭で提示される、「研究というものに実験装置が加わると、その装置をいかにして使うかといったことに固執してしまい原始的な反射を用いたり手ずからおこなう実験が軽視されたり扱われなくなってしまう」という危惧は結構身につまされるものがありました。いえ、特になにか具体例があるわけではないのですが。

神経美学の話になるとこれが結構面白くて、ラマチャンドラン氏のお名前にもあるようにルーツであるところのインドの仏像のうつくしさの要素についての話がでてきます。これが後半に入ったくらいなので、前半はほとんど神経科学の話です。具象と抽象の谷についてや、デフォルメのありかたについても書かれています。美術系の本でなくてこういった認知科学から捉えられた美学(芸術・音楽の知覚について)の論は多くないので、読んでいて嬉しいです。

 

8.刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら(ミキータ・ブロットマン)

刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら

刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら

 

良い本でした、面白く読みました。

いささか著者が感情的(情緒的)すぎますが、それを隠さないこともまた良い。特に、生徒が別のクラスでシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を演じていると知った時の屈辱に一瞬煮えるシーンとか、臨場的です。教える者の苦痛というものがよく伝わってきます。「私が差し出せるのは文学だけだ。」でこの本は締めくくられています。その経過は、お読みいただければもちろんすぐにでもわかるのですが、概ね読む前から予想がつく人もいることでしょう。教育は啓蒙ではないし、まして読書会というとのは教育ですらない。本編の中でチャールズがいったように、「いっとき現実を忘れるための」場です。これと併せてスディール・ヴェンカテッシュの「社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた」を読んでいただくと、塀の中と塀の外の世界や、逆説的に「自由から守られる」ことについて考えることができますね。

 

9.不確かな医学(シッダールタ・ムカジー)

不確かな医学 (TEDブックス)

不確かな医学 (TEDブックス)

 

TEDの焼き直しです。シッダールタ・ムカジーは「病の皇帝」の著者なので気になって手に取りました、大体ベイズの話です。知っていたら読まなくていいとは思います

 

10.何のために「学ぶ」のか:〈中学生からの大学講義〉1 (外山滋比古

鷲田清一氏が著者一覧に載っていたので読みました。中学生向けなので(なので、というより単純に内容が浅い)他に読むべきものはそんなにないのですが、今福氏の「群島-世界論」はいつか読みたいなあと思っていたのでちょっと惹かれたのと、小林氏はさすがの「オススメ本」を出してきていてよかったです ゲド戦記なんですけれどもね。