毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

放送大学2017年度後期授業評

毎回やっている(やることにした)放送大学の科目履修の感想と、来期以降の履修計画です。個人のメモ書き程度。

講師陣は敬称略でご紹介しています、すみません。

心理系科目

1.心理学概論(’12)講師:星 薫・森 津太子

今頃になって概論を受けたですが結果はBでした。おさらい程度にしか勉強をしなかったので。次年度からは授業が改訂されるのですが、概論科目なのでそう目新しいことはないかなと思います。臨床系・古典的な素朴心理学も解説されています。

2.人格心理学(’15)講師:大山 泰宏

こちらも古典的な人格心理、臨床心理です。結果はBでした(相変わらずやる気がでなかった)最後の方になると神秘主義などにも言及しておりそれはどうなんだと思う教科書だったんですが、試験には出していなかったので...知識程度に。

3.心理学研究法(’14)講師:大野木 裕明・渡辺 直登

持ち込み許可の試験で、むしろ心理統計法を持ち込み可にしたらどうなんだ...!と思う内容でした。A〇とれたのは今回この科目だけです。心理学には倫理を問われる場合も多いので、研究デザインをするときの倫理的配慮についても記述されていたのがちょっと印象深かったです。

4.交通心理学(’17)講師:蓮花 一己・向井 希宏

面白い教科ですね。産業心理学に端を発して古典的人格心理学をなぞりつつ、注意やバイアスといった認知心理学との融合を果たしている科目だと思います。あんまり集中できなかったけど結果はAでした。

5.心理統計法(’17)講師:豊田 秀樹

前回勉強が全然間に合わなかったのと、へまやらかしてそもそも受験ができず再試験になったので雪辱を晴らすかたちとなりました。結果はBだったと思います。

ベイジアンに関して厳密性を求めるのであればやっぱりデータを扱うときのデザインをあらかじめ練っておく必要があるなあと思うんですが、後半にいくにつれどんどん日本語の説明が端折られていってわかりづらい節があったのでちゃんと放送観ながら生のデータいじらないかんなあと思うなどしました。せっかくRもダウンロードしてきたので、自前のデータ使って遊んでみたいです。色々心残りはあります。

面接授業:心理実験3(ストループ課題、速度見越し測定 など)

知覚系の研究をされている視覚認知の専門の先生の出前授業を受けるというもの。

これは統計処理したものの分析をしながらレポートを書いておしまいという授業です。2日間(日程はそれぞれですが)出向いて授業をするのですが、Exel久々に使うのでああ・・・となりました。他の学生さんも難渋しておられましたが、私は結構本で読んでいた錯覚の実験をできて楽しかったです。

 

知覚・社会学・デザイン系科目

6.社会統計学入門(’12)講師:林 拓也

落としました(D) 持ち込み可だったのに統計科目のなかで心理統計ばっかりして、古典的統計がおろそかになっていたなあとちょい反省。問題としてもよいものが多かったように思うので、もうちょっとしっかと勉強して次回試験だけを受けに行きます。

放送大学のシステムの話になるのですが、この科目自体は18年度に更新されます。が、落としたり受けられなかった学生は再試というかたちで改めて授業を取り直すことなく受講することが可能です。

7.情報社会のユニバーサルデザイン('14)講師:広瀬 洋子・関根 千佳

A〇でした。持ち込みは不可だったと思うのですが、住環境から都市環境、UI系の科目で面白いです。福祉の観点も盛り込まれていますがUDの名に遜色ない科目です。

8.産業とデザイン(’12)講師:仙田 満・若山 滋

教科書自体はそれなりに面白かったのですが、ふつうに事前の勉強不足で落ちました(しょんぼり)。試験問題にロジェ・カイヨワがどうこうと出されてもさすがに...。

自分の専門分野じゃないと教科書読むだけ試験は結構厳しいんかなとは思いますが、この科目も18年度には改訂となって授業そのものがなくなります。後続の授業は「住まいの環境デザイン」というもので、そっちの方がむしろ楽しそうだなあと。試験の日程があっていたので来期も試験だけを受けます。

9.色と形を探究する(’17) 講師:佐藤 仁美・二河 成男

色・形態知覚に関する総合科目。総合科目の名の通り、光の物理的特性の解説もあり、その視覚的処理経路の神経学的特徴の解説もあり、色や模様の文化的な側面まで幅広く1冊の教科書にまとまっています。この教科書を入り口にして色んな科目に下るのもあり、この教科書で知識のまとめをするのもありです。自分としては前者かなあと思ったりします。文化と物理は自分になじみのない話も多くて、結果はBでした。

10.音を追究する(’16)講師:大橋 理枝・佐藤 仁美

9に続いてこちらも知覚にまつわる総合科目。9に較べて物理学的要素が結構前面にでていて面白いです。こちらも結果はB。上記記述以外にも色んな講師の方がこられているので、音楽好きな方だけでなく「音」「聴覚」全般に興味のある方にお楽しみいただけるかと思います。

 

総評と来期への所感

期間中、よく「興味のない科目がつらい」「勉強に身が入らなくてつらい」とつぶやいていたのですが実際にその通りで、心理系の専門科目をとりまくっていた前期に比べてなかなかやる気を維持しづらかったのが個人的な感想です。

もちろんこれは自分の授業日程の都合からやむを得ずこういう取り方になったのですが。

今期に「心理と教育」コースを卒業するにあたって、また認定心理士に必要な科目をほとんど取り終えたかったので、急ぎ足にしたところこういうスケジュールになりました。

なので、特に学習意欲全般が落ちてしまったわけではないです。相変わらずの多忙に加えての勉強でしたが、前期よりはやり方が慣れたのもあってそれなりに進捗は生まれました。ちょっと落とした科目もありますが...

 

1.認定心理士について

ほとんど今期で授業を取り終えました。あとは再履修のかかった社会統計入門と、統計にまつわるプラスαの数科目(【ユーザ調査法】、【身近な統計】あたり)、専門科目で【錯覚の科学】)と、面接授業を規定科目数達成したら終わりですね。心理と教育コースもこれで卒業要件を満たします。

 

2.エキスパートプラン「人にやさしいメディアデザイン」

今期でもうひとつ取りたかったのは、エキスパートプランにおける「人にやさしいメディアデザイン」です。ちょっとニッチなコースなのですが、今ある単位に加えていくつか修得すると他のプランに繋がりそうな分野だったので、とってみました。来期の授業と、来々期取得予定の【身近な統計】の履修でとれる予定です。再試験に受かればですが

 

ちなみに来期以降ですが、

3.エキスパートプラン「社会探究」

の習得に向けてほとんどが「社会と産業コース」の授業科目です。あとは情報科目。

来期の授業を受けることで、時間がかぶってしまって受けられない【現代経済学】以外のすべての科目を履修したことになります。

 

4.来々期以降について

認定心理士の取得要件を満たし次第一度卒業しようとは思っています。

が、上記1-3の授業を受けることで、エキスパートプランにおける「社会数学」「計算機科学の基礎」と呼ばれる情報数学寄りの科目がいくつか見えてきます。ので、来々期以降にはそちらの履修を考えています。恐らく難易度が跳ね上がるので、こちらのプランを履修する場合にはその科目を詰め込むよというよりは、看護の学位取得に向けて福祉政策系の科目をいくつかとることになるであろうと思われます(前提知識があるので履修が容易)。

 

というわけで簡単な授業計画でした。来期も頑張りましょう(もう履修案は提出済み)。

100冊読破 4周目(81-90)

1.教養としての経済学(一橋大学経済学部) 

教養としての経済学 -- 生き抜く力を培うために

教養としての経済学 -- 生き抜く力を培うために

 

 

いい本です 専門的内容ながら門戸は広く開けており、考え方は示すし具体例もあるが前提に専門知識をさほど必要とはしない。章立てごとに、もっと情報を必要とする読者のために紹介もしてある。やや説教くさいのさえも愛嬌かなと思うくらい筆頭著者の語り口がよい。

財政、ミクロ経済学(+マイクロファイナンス)、マクロ経済学国債取引から学力や貧困・医療と経済学の関連、貨幣取引などなど実が詰まっています…手元にあってもまったく損しない本だと思います。

 

2.視覚科学(横澤一彦)

視覚科学

視覚科学

 

10月に受けた面接授業のときにオススメされたものです(講師をしてくださった先生の昔のボスらしい)序盤が視覚に影響する物理の説明からなのでつらくてなかなか読み進められなかったのですが、中盤からは神経科学認知心理学における錯覚の話がメインで最後は高次脳機能の話なのでむしろ後ろにいくほうが自分の専門に近く、わかりやすかったです

 

3.モラル・エコノミー(サミュエル・ボウルズ)

モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か

モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か

 

 一般市民の公共への支出のインセンティブとモラル(道徳)の関係について論じた本です 経済学の本はなんというか方向性が色々あって面白いですな。こういう本あまり読まないですが、今までに行動経済学厚生経済学の本を読んできたのでちょうどあいだにあたるような本だったかなと思います。

ミクロな経済、マイクロファイナンスを考えるにあたり社会正義的なものだけでは人を動かす(お金の面でも行動の面でも)にはあまりにも動機がないので、インセンティブについて考えようと思っていたのですが、道徳とインセンティブの関係が思ったより複雑でまだ消化不良です…あとは国や都市にもともと備わった税制や市民同士の信頼のメカニズムも結果に関与しているので、当然地域ごとに結果も出ます これを理解しない限り介入というものは上手くいかんのであろうと思うとまだ公共政策に関してはかなりの知識不足が感じられます(しょんぼり

 

4.リーダーシップの探求:変化をもたらす理論と実践(スーザン・コミベズ他)

 

リーダーシップの探求:変化をもたらす理論と実践

リーダーシップの探求:変化をもたらす理論と実践

  • 作者: スーザン・R・コミベズ,ナンス・ルーカス,ティモシー・R・マクマホン,日向野幹也
  • 出版社/メーカー: 早稲田大学出版部
  • 発売日: 2017/08/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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いや…悪くないんですよ。大学生とかで、自律した組織の運営携わるのがはじめての人なんかはこれいいと思うんですよ。でもわたしはロビンスの組織行動のマネジメントとかハッチの組織論のほうがずっと好きですね。なんというかままごとくさいんですよこの本。真面目だからこそ恥ずかしい。

 

5.ポスト・キャピタリズム(ポール・メイソン)

ポストキャピタリズム

ポストキャピタリズム

 

もうちょっとちゃんと読むべきかと思うくらいいい本だった いやあなんかこういうのあれだ、『なめらかな社会とその敵』以降久々なんじゃないか。貧困の社会学とか厚生経済学のあたりでは一部ふれてきたことかもしれないが。

コンドラチェフの波、ハイエク自由主義エンゲルスの書き記したもの、マルクスがなぜヘーゲルから多く学んだか、あたりをベースにもう少し知識が深まらないとこの本美味しく読めない気がするのだがまあそれはともかく面白かった。

メガシティを読んでいても思ったしケヴィン・ケリーの「〈インターネット〉の次に来るもの」、リチャード&ダニエル・サスカインド「プロフェッショナルの未来」あたりでも思ったことですが情報技術の発達と教育の無償化と労働力の国家を超えた移動あたりでだいたい全部繋がるんですよね

国家の債務の解消についてはだいぶ思うところある。公衆衛生の向上のために薬価が崩壊することに関しても。医療福祉関係のサービス業というのは基本的に国家にとって負担以外のなにものでもないのでそのあたりの解消って具体的にどうなっているのか全然知らないなって思った(現状は全然解消されてない

 

6.よくわかる都市社会学(中筋直哉) 

よくわかる都市社会学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる都市社会学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

 

来期できたら「移動と定住の社会学」「都市と地域の社会学」をとろうと思っているので前哨戦として読んでみたのですがふつうに今まで読んで来た本の総まとめ的側面と、都市を構成する要素ってこんなあってんな、まあそらせやなという新鮮な驚きとがちょうどいい配分であった 教科書的一冊です。

都市の水路とか税制とか歴史を、最初は都市ごとに、次は要素ごとに分類する。さくっと読めてよい。

 

7.人生の調律師たちーー動的ドラマトゥルギーの展開(藤川信夫)

 

人生の調律師たち――動的ドラマトゥルギーの展開

人生の調律師たち――動的ドラマトゥルギーの展開

 

阪大ゼミで行われたの対人援助職を対象とする質的分析を書籍にまとめたものです。対人支援における舞台役割のまっとう、みたいな感じですね。それも対人支援職そのものに焦点をあてるというよりかはそこに起こる現象、つまり対人支援の援助や教育の力学といった感じです。特別支援のくだりはかなり面白かった

ドラマトゥルギー自体はアーヴィング・ゴッフマンが述べている概念かと思うんですが2章でピエール・ブルデュー社会関係資本ないし文化資本の概念へと転化されており、今まで格差社会スティグマという視点でしか見られなかったこの2名の理論が生きているのを見るのがよかったです

 

8.ダメな統計学:悲惨なほど完全なる手引書(アレックス・ラインハート)

ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

 

心理統計で躓いたのでぱらっと再読。「データを拷問する」とかパワーワードが出てきて毎回笑ってしまう。心理研究法とか社会調査系の本でもよくでてくることなんですが、倫理的な問題についても触れられているので統計やってて「これでなにがわかるんだっけ…」となったら読んでもいいのかもしれない

あと医療統計は基本的に頻度主義なのでそのあたりも考えることはある。

 

9.よくわかる心理統計(山田剛史他)

よくわかる心理統計 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる心理統計 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

 

こっちはむしろイマイチまだ処遇に難渋している本。放送大の心理統計は全部手法がベイズなので、もともと自分が学んだ統計って心理統計でどう使われてるんやというのを結びつける本ではあります。易しい…かもしれないけどこれ1冊で統計に挑むのはやはり無謀。

 

10.応用哲学を学ぶ人のために(戸田山和久他) 

応用哲学を学ぶ人のために

応用哲学を学ぶ人のために

 

哲学を知ることは、思考のツールを手に入れることである。序論にそう書かれていたのですが、その通り現代の問題と向き合うための本です。「いま、世界の哲学者が考えていること」より少しお堅いですが、現代を哲学するのに適した本でした。

応用哲学と書かれると難しそうに思いますが、多分ふつうの哲学の入門書一般よりずっと読みやすいと思います。

成熟と未成熟と、愚者であることについて

まとまった文章を書きたくなったのでこちらに。

 

さいきん、人のことを『成熟しているなあ』と思うことが増えた。この成熟と、未成熟とはなにかについて考えたい。

 

まず、実年齢はたいして関係ない。いい意味でも悪い意味でも、未成熟なところを残したまま生きている人はたくさんいる。それも、そのまま年老いていく人だって数え切れないほどいるのだ。そういう人と出会った時には、わたしは思う。「この人が成熟するために必要な要素は、生きてきた時間や環境のなかでは与えられなかったのだ」と。

 

愚痴になってしまった。

 

人格や成長発達に起因する精神疾患と精神の成熟について

ひとつ、自分が随分昔から気にしていたセンテンスがある。

「精神的に未熟なために問題に対処することができず」のようなくだり。自分がまだ気分障害をコントロールできず、苦しみのなかに閉じこめられていたころ、2回ほどこの記述をみかけた。いずれも精神科の医師の手によるものであった(引用はあえて避ける)。

 

未熟であるためにストレスコーピングを誤ったり、不適切な処理をしてしまうというのは、一体どういうことであるのか。そこでいう「成熟」とはなにか。

服薬を必要としなくなり安定的に社会生活に戻り、また私生活においてもさほどの気苦労を感じなくなったころ、この「成熟」について考えることができるようになった。

 

自分の場合は、「外部化」であった。

なぜそれがきっかけになったかというと、「成長の過程で問題となった点がなにか」を語ることによりストレスの認知から社会適応までに至るまでに発生している問題構造が見えやすくなったからであると思う。

そしてまったく関係のない世界の知識を獲得することにより、「客観性」を、自身の内省のために用いなくなったことであろうか。多くの人は自我の発達に先立ってこれが進む(ないしそこまで内省を深化させないために)ためにここでは躓かないのであろうとも思った、別にエビデンスはない。感覚的なことを言語化したいだけのことで、この理由で私のようになってしまう人がどれだけの人数いるのかもよくわからない。

 

と、いうわけで、内的な「成熟」とは人によって内容が異なるのではないかという(至極当然なのだが)結論になった。

エリクソンもハヴィガーストも発達段階において提唱しているのはライフサイクルにおける標準的な危機であり、「社会におけるふるまい」と「ある自己の内面(精神)」の相互作用においてどのような危機が生じるかは論じてはいない。けれど、ある性格要素を兼ね備えていた場合に(本人にとっての)高ストレス下に長く人を置き続けた場合に何らかの疾患や障害にいたるリスクは他に較べて上昇するであろうことが予想される。

 

そもそも障害という概念も複雑なものである。

斯様に複雑化・高度化した技術に覆われた世界についていけない人間が社会に適応できなくなったとして、それはやはり「今」の文脈においての障害でしかない。

が、遡れば赤子殺しや私宅監置などの暗い側面(それが暗いかどうかも時代の倫理に依存する)をもつ人間社会ゆえ、なにがよいかは横に置いておくとしよう。

 

以上の思考を巡らせてみたうえで、成熟も未成熟も「他人と較べて」というよりは、結局「その人の内部において」という結論をひとまず据える。

 

 

未熟な魅力、未成熟な魅力

未熟や未成熟、と「幼稚」「被支配的」「無垢」はここでは分けて考える。

ウラジーミル・ナボコフの「ロリータ」やルシール・アザリロヴィック「ecole(原題:innocence)」のような、定性化されたものではなく、不器用さ、「曖昧」の拒否、剛直(ないし愚直)、といった意味での未熟。

 

成熟するということは「是」はされるが、必ずしも無理に促進されるべきものでもないと思う。

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100冊読破 4周目(71-80)

1.哲学の密かな闘い(永井均

哲学の密かな闘い

哲学の密かな闘い

 

大衆誌に寄稿したものから、論文の内容を改変したものまで。最初は倫理の問いや、前提を疑うとはどういうことかという問題からはじまりますが、最終章とかはヴィトゲンシュタインの「語りえないもの」を語ることについてなど結構言語と心理の間をいったりきたりして楽しいです。入門書では、あまりない。道徳や実存のやさしい形而上学形而上学の中ではまだやさしいのでは?)という感じですが、腑に落ちるほど深く読み込め派しなかったなあとちょっと反省。

 

2.選択の自由―自立社会への挑戦(ミルトン・フリードマン

選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦

選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦

 

選択の自由、Free to chooseだったので『選択するための自由』(つまりケインジアン的な「公的機関による経済政策や緊縮」に対する批判)という感じです。結果の平等じゃなくて機会の平等をって何度もいっていてよさがあった。つまりマクロな視点での厚生(公正といってもいいのかもしれませんが)を含みますね。ただマクロ経済学的な視点、どうしても個人がエコンになりがちなのどうにかならないのか。

 

3.脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫る(ゲオルク・ノルトフ)

脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫る

脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫る

 

これはめっっっっっちゃ面白かったです、面白いというか読みやすい。臨床にいる人で知覚の哲学や心の哲学に興味がある人にこそぜひ手にとってほしい。1冊目だとしても読める気がします。アントニオ・ダマシオ「自己が心にやってくる」より多少読みやすいかもしれない。現象学実存主義に興味がある人ならばさらにおすすめかもしれない

著者のゲオルグ・ノルトフ氏は現在の心の哲学と呼ばれている領域だけでなく大陸哲学からも着想はよく得たとあとがきで説明されていて、そのあたりはメルロ=ポンティフッサールハイデガーのような身体性や自明性の主観とふかく結びついていることからもよく読み取れる。臨床のひとにとってなにが嬉しいかというと、これはよくあるケースを具体的にもってきて想像させてくれることにある。最初は脳損傷、次は抑うつ、最後は統合失調症といった学生のときから触れてきたケースをもとに哲学の世界に入ることができる。それも科学がベースなので用語がわかりやすい。

心の哲学や知覚の哲学において、臨床(ないし科学畑の方)に他の本をなかなかオススメしにくい理由は、哲学は概念理解が難しいのでスーパー勉強できる人か天才じゃない限り一読して楽しめることはないという点にあります。あんまり面白くないのです。その点この本は、きちんと面白く今の哲学の問題に触れながら、歴史も辿るのです。デカルトフッサールハイデガーメルロ=ポンティ、(本文中に名前は出てこないけど)とくに統合失調症による自我の自明性の崩壊とかは木村敏にも薫陶を受けたそうな。自分としては統合失調症の臨床には携わる機会がなくて教科書的な知識しかないのでたいへん嬉しかったです。自分が支持しているのはメルロ=ポンティそのものではなくて、彼が扱う受肉の概念のうち、心(世界の内面)の統覚としての「意識」と世界を知覚するための機関である身体(肉)が早期にまとまって示されたことにあるんですが、本書ではもやもやをもう一つ斬りにいってくれていましてですね。メルロ=ポンティはそれによって世界が与えられる、というのに対して自分は意識や知覚というのは身体活動(神経活動含む)の結果(≒副次的な効果)でしかないと思っているので、そこがちゃんと言語化できた点で本書はとてもよいです 素晴らしい クリストフ・コッホの「意識をめぐる冒険」以来です。先に挙げたダマシオの「自己が心にやってくる」、クリストフ・コッホ、スタニスラス・ドゥアンヌ「意識と脳ー意識はいかにしてコード化されるか」なんかも今までに読んでいいなと思ってきたものですが、これらは理論的に大陸哲学を説明するものの、見方としては非常に認知科学や計算科学寄りなので、世界の体験(すなわち自己の一端を担保するもの)の主観性や身体知覚と脳の関係についてそこまで簡潔に示されてはいないのですよ。まあ読んでいる私がアホといえばそれまでなんですが、やはりアホである利点は初読者にも楽しい本を紹介できる点にあると思っているのです。本書の中では、人格と身体の対話がでてきていました。身体は、脳が世界を知覚するのに必要なトンネルのようなものだという結論になっているのですが、言葉選びはともかくそんな感じの答えを自分も持っています。そしてその身体による世界の知覚が部分的に遮断されることにより自己が隔絶するのが統合失調症なのだと。このあたりは中井久夫氏や木村敏氏の本を読んでいる人には腑に落ちやすいところかと思います。

 

4.トマス・アクィナス 肯定の哲学(山本芳久)

トマス・アクィナス 肯定の哲学

トマス・アクィナス 肯定の哲学

 

感情に関する哲学(倫理学か)の本、いくつか読んできましたが「神学大全」にはさすがにとっつきにくいなあと思っていたので本書がようやく初めて読んだトマス・アクィナス単身の解釈本です。自分は徳や愛の神学的解釈がもともと苦手です(ミシェル・アンリつらかった)。

遠藤克巳「情念・感情・顔 コミュニケーションのメタヒストリー」
ヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ 「徳と愛」
アダム・スミス道徳感情論」
ルネ・デカルト「情念論」

くらいですかね、感情に関する哲学でこの本とのつながりを感じるの。

ユルゲン・ハーバーマス「公共性の構造転換」
イマヌエル・カント実践理性批判


もいれてもいいかもしれませんが…。
いやまあ概念の扱いに関しての繋がりであってこれは完全に私の頭の中だけで完成する地図のようなものです

「情念」が「感情」を惹起するのですが、情念[passio]というものが受動[passio]であることは感情(心の状態)について論ずる哲学の本ではよく説明されています。が、トマス・アクィナスは情念は必ずしも受動的なもののみに留まらないとしているのが印象的でした。言葉の指向性と情念のありようについては私は國分功一郎氏『「中動態」の世界 意志と責任の考古学』がいちばんわかりやすくて詳しいかなと思っています こういう概念理解は現在の心理学や神経科学ではそんなに出てこないので、徳倫理学や公共の哲学について考えるのはとても楽しいのです

接近と後退に基づいても、善と悪の対立性に基づいつも、対立するもの持てないという点において、怒りという感情地は独特のものがある。なぜなら、怒りは、既に降りかかっている困難な悪から引き起こされるからである。ートマス・アクィナス神学大全』より

トマス・アクィナスの感情の分類はデカルトの情念論と似ていなくもないのですが、『怒り』の特殊性とそのエネルギーの高さについてや愛と憎しみの関係はとてもよかった。

 

5.ウィトゲンシュタイン―ネクタイをしない哲学者(中村昇)

ウィトゲンシュタイン―ネクタイをしない哲学者 (哲学の現代を読む)

ウィトゲンシュタイン―ネクタイをしない哲学者 (哲学の現代を読む)

 

フォロワーの方がお話しされていて気になったので読みました。結論からいうととてもよかったです。ヴィトゲンシュタインは『論考』を読んだきりだったのですが、その若年から晩年までの思考や哲学の立ち位置を口調は軽く、中身はしっかり解説されています。

ソシュール-ヴィトゲンシュタイン-デリダの対比がよかったですねえ。あとは生の哲学といわれる所以がいままでようわからんかったのですが、生活の哲学に近いのかもしれない。オースティンの言語行為についての話ともちゃんと絡めてあって、『論考』で楽しめなかった部分が随分詳らかでありました。ヴィトゲンシュタインは倫理や宗教についての『内容』は語ることがなかった、っていうのとても好きです。かれは形而上学のための方法を検討し、その問いの立ち方のナンセンスを指摘しただけなんかなという気持ちです。あと後年の『言語ゲーム』は結構社会学とか人類学は学ぶところが多い気がしますね。ちなみに後半はレヴィナスとかデリダが結構全面に出てくるので楽しいですが、彼らの提示する概念の理解は非常に難しいです(ヴィトゲンシュタインだけを読んでいればいいというわけではなさそうなのがミソ

 

6.現代形而上学入門(柏端達也)

現代形而上学入門

現代形而上学入門

 

最近出た本で気になっていたのが図書館にあったので思わず借りたのですが、入門でもなんでもなかったので心が折れて結構時間をかけて読みました 時間をかけたわりにわかることはそう多くないのですが、形式言語と日常(自然)言語をつなぐためにいくつかの概念の紹介がなされています。そういえば放送大の記号論理学の授業をいつかとろうと思っているので、その前準備といえばそうでもあるのですが、むしろ記号論理学を講座でとってやっと理解に足をかけられるかいなかといったレベルです 読めない、読めないぞ…!

面白かったのは4.5章あたりですかね。4章は人間が価値を賦与しているものについてで、5章はフィクションと偽のちがい(階層性)についてです。基本的に現代哲学からのアプローチなのでまったくついていけないのですが(3章のトロープについてはちんぷんかんぷん過ぎました)ただまあ今読書会でウィリアム・フィッシュ『知覚の哲学入門』を読んでいるので、とくに前半を読解するのに必要かなと思ったのです(語用論についての言及があるので)。あと物質のアフォーダンスやサイン(記号)の理解は、人間の認知心理の面でも哲学の面でもかなり楽しくアツい分野であると(自分の中で)思っているので取り上げられていて嬉しかったです でも分析哲学は全然ついていけそうにない。

 

7.哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する!(入不二基義

哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書)

哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書)

 

おおこれは高校時代現代文の評論好きだった勢にはぜひ読んでほしいものかもしれない。 深い内容に落とし込んであるが『入試問題』という限りある時間の枠組みの中でほどほどに読まなければならない文章をこんなに深く、適切に解読するのは結構骨が折れる けど哲学の作業は本来こういうものなのではとも思ったりする。時間論(4題目は実在論というべきやろうけど)が2例も出されていたのはよかった、なにせあまりその辺踏み込んでいないので。1題目はお馴染み野矢先生の他覚的知覚に関するお話で、とくにこれに限っていえば自分は思うところが多くありました。なにせその領域が飯の種ですからね。

 

8.社会シミュレーション ―世界を「見える化」する(横幹〈知の統合〉シリーズ編集委員会) 

社会シミュレーション ―世界を「見える化」する― (横幹〈知の統合〉シリーズ)

社会シミュレーション ―世界を「見える化」する― (横幹〈知の統合〉シリーズ)

 

表紙が面白いですが中身も面白いです。人間をエージェント化して移動や定住(社会の不寛容性と都市の配置の変容)をシミュレートしてみたり、ネットのデマ(めっちゃTwitter使われていましたが)をシミュレートして反応と拡散、終息までをモデリングしてみたり。デマへの反応それ自体は危機理論をやっているてもでてくるんですが、起こったことの解析ではなく起こることの予測ができるのは楽しいですね。

個人的には航空機で移動する人間の可視化が面白かったです…こないだ久し振りに飛行機に乗ったからというのもあるのですが。

 

9.プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法(リチャード・サスカインド)

プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法

プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法

 

ひさびさに流行り物っぽい本を読んでしまったが、大変よかった。著者は英国で政策研究をしていた息子と弁護士の父。専門職におけるIT化がどのようにもたらされ、その協力はどうあるべきかについて。『〈インターネット〉の次にくるもの』という別の著者の本を読んだときに、これはいち市民(つまり情報の享受者)としてのリテラシーや学の形成をどうすべきかの方向づけであり、市民教育みたいなものやなと思ったのですがこっちは専門職がどうネットワークを捉えるかという感じですね。面白いです

ちなみに本を読みながら我々は業種として専門職かなあと思うなどしましたが、中程に答えがあって、準専門職ということでした。医業においてはそうかりつつありますね(NP、診療看護師とかはそんな感じ)アトゥール・ガワンデ著『なぜあなたはチェックリストを使わないのか?』やジェイムズ・グリック『インフォメーション 情報技術の人類史』などから引用があり自分は大変納得と満足しております。専門職の分業とルーチンワークの機械化については本当にもっともっと進んで欲しいです

中に引用されていて気になったのはヴォルテールの『最善は善の敵であってはならない』というものです。もともとの文章はどういう文脈でのこの言葉なのかはわかりませんが、最近倫理学まわりを考えるにあたって気になっていることです。

 

10.入門 貧困論―ささえあう/たすけあう社会をつくるために(金子充)

入門 貧困論――ささえあう/たすけあう社会をつくるために

入門 貧困論――ささえあう/たすけあう社会をつくるために

 

セルジュ・ポーガム(『貧困の基本形態』)、ルース・リスター(『貧困とはなにか』)、アーヴィング・ゴッフマン(『スティグマ社会学』)、ジグムント・バウマン(『社会学の考え方』)といった社会学分野やアマルティア・セン(『不平等の再検討』)、アンソニーアトキンソン(『21世紀の不平等』)、ミルトン・フリードマン(『選択の自由』)といった経済学分野からも貧困を分析する。カッコ内は私が読んだ中で、この本とかかわりが深いなあと思ったもの。やや社会学よりですが、税制に言及するところに関してはさすがというかとても実務的だし実践的でよいかなと思います。先の社会学者の皆さん方の本では手に入りにくい具体的知識である。福祉がどのように『あるべき』かは散々語られてきたが、その『実行段階』となると足踏みをしてしまうきらいがある。このあたりは多分経済学を知っている方が強いのだろうなと思ったりします。守られるべきものの守り方を知ることは大切です。まあ両輪回してなんぼやと思うんですけど、片手落ちになると机上の空論として片付けられてしまいますし。社会保障や公的扶助の国際比較とかは面白かったです

それから、この手の本を読んできて一番読みやすいかなあと思います…この手の、っていうと広くなりすぎるんですけど。やっぱり貧困に関しては国内のことを例に出して考えられるのがいちばんしっくりきますし想像しやすいですよね(アホなので

 

台湾旅行①

旅の日記を書く。旅といっても、ほぼ行って帰っただけなので(行ったところといえば故宮博物院九份くらい)、旅程はいまさら書かなくてもいいと思う。ただ、国内で飛行機に乗るのも10年ぶりほどで、国外に出るのは生まれてはじめてという体験が純粋に面白かったので、考えたことをいくつか書き残しておかないと後悔するような気がした。多分一度では書ききれないので、何回かにわけて書く。

 

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こんなに簡単に国外に出られる時代なのに、実は自分は国外に出たことがなかった。最近は驚かれることが多い。
サイモンの旅行定理の熱心な信奉者というわけでもないが、家にいて本を読んでいてさえ得るものはとても多く、しかも働きはじめてから1-2年は必要なものを購入することが多かった。転居や楽器の購入なども、一定の貯蓄と並行すると意外と難儀なものだ。他人と一緒に行動したがる友人をあまりもたないことも影響しているかもしれない。

旅行の中でも海外旅行は自分にとって贅沢以外の何物でもなく(恐らく行きたい場所が欧州や中東など資金・安全面に高リスクとされるところが多かったからではないだろうか)、就職してからも国内旅行ばかりしていた。旅行そのものは嫌いではないが、海外というものに縁をつくる機会がなかったのである。縁があればいきたい、という機運は恐らく20歳になったころにはあったことと思うが、自分はとにかく引っ込み思案で行動力もないためにそういった計画を思いついたことがなかった。

ときに語学留学中の家族の構成員が帰国とともに台湾への旅行を提案してくれ、働き始めてからはじめて(!)3連休を申請した。
飛行機のチケットもホステルの準備も全部家族がやってくれたので、正直自分が海外に出るきっかけとしてなにが必要だったかと言われると微妙だ。今から思えば結局やる気がなかっただけだと思う。一人で過ごすことが好きなツケがここにきて降りかかる。

 

 

台湾について

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写真:泊まった場所の近くの駐輪場。自転車よりオートバイが主流。バスの本数も多い

台湾の国そのものについての話。台湾の人口規模は2300万人程度である(気になって調べた)。近隣諸国と比較すると、韓国が5000万人、インドネシアは2憶3000万人、マレーシア3000万人…タイ7000万人弱。
台中、台南は今でも農業が盛んなよう。空港には水田の写真が多くあった。時差は日本と1時間しかなく、経度による差はあまり感じられないが緯度の差は大きく感じる。気候の差は特に植生に顕著だと思った。

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写真:六張犁駅前

 

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写真:工事中のビルの裏側にて。台北中央市街地・繁華街での光景

電子化・近代化の波と、建築や都市設計の少し取り残された感じは日本とはまた別である。もっとも、わたしも東京という都市圏に住んだことがあるわけではないので行くたびに感じる程度であるけれども。写真のように、ビルの老朽化が感じられる。新しく建造された建物についても、今後30年や50年のことを考えて造られたものとはちょっと考えにくい。桃園機場捷運など、なんというか、急を要した感じがする。直線的なデザインである。では、余裕のある現代的なデザインとはなにか問われても困るが。

 

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写真:夜の台北車站前。信号が変わると一斉に二輪が走り出すのが面白い
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100冊読破 4周目(61-70)

今回はシリーズものばかり読んでいたので、まとめて書いていこうかなあと思います。

 

ミネルヴァ書房「講座ケアー新たな人間-社会像に向けて」シリーズ全4冊

1冊目の、「ケアとは何だろうか」だけ読んでいません(すみません)

1.ケアとコミュニティ:福祉・地域・まちづくり(大橋謙策) 

自殺、介護の抱える構造上の問題と機能上の問題、在宅での育児・介護・看取りその他諸々、人口統計上の問題も扱うし地域活性の問題も扱うので福祉の運営までをカバーしています。これのゆるいバージョンとして「日本のシビックエコノミー」「エリアリノベーション」があるか。元熊本県知事が記載しているページなんかもありました。福祉に関する諸問題を地域特徴も含めて取り上げたような感じです。

 

2.ケアと人間:心理・教育・宗教(西平直)

介護とか生死病死というよりは教育と死にスポットライトのあたった巻でした。共感が不可能であった時にケアが発生するという話が結構よかったです(納得はいく)これが一番、現場のケアワーカーや学生が実際に生身の人間と接するときに必要となる本のような気がします。

 

3.ケアと健康:社会・地域・病い(近藤克則) 

シリーズの中でこれが一番好きでした。分野としては社会疫学とか公衆衛生にあたるのでしょうが、公衆衛生の視点に欠けがちなのは経済的な側面と地理的な要素かなあといつも思います。いや欠けてはいないのでしょうが、あまり重視されていないというか。個人や集団単位での健康のために必要な要素って単なる医療のインフラや個人の収入だけでなく、個人の環境・遺伝的背景を加味したり都市のアクセシビリティや行動を測定してみるといいよっていう内容です これ1冊で相当楽しめます。

 

そういえばこのシリーズを読んでいたとき、特に生産年齢人口以降のNPO参与がかなり大事だなあと思わされたのですが、放送大学は市民教育に力を入れているのでそういうところやろうなあと思います(彼らに問題解決能力やニーズの発見ができれば話はとてもはやい)

移民問題とか人口減少の解決には必要と思われる、文化的な多様性の受容というのはアッパークラスのひとにぎりの人間の意志決定や選好による問題というより、むしろ地方や既に産業から離れた生活者の能力にかかっているとよく思います。救われる集団でなく自己修復できる組織になれば強い。人間は働く以前に住んだり食べたりコミュニティを築いたりして、その中で病んだり死んだり生まれたりするわけなので。

 

4.物語の哲学(野家啓一

物語の哲学 (岩波現代文庫)

物語の哲学 (岩波現代文庫)

 

物語り論の観点からは、世界は事物thingの総体ではなく、出来事eventのネットワークである。ー野家啓一

 

事実(実体)概念としての「物語」についてなら、その内容について「真/偽」、「善い/悪い」あるいは「事実/フィクション」といった二分法的な価値評価も可能であろうが、方法概念としての「物語り」に対してそうしたカテゴリーを適用するのは、単なるカテゴリー・ミステイクにすぎない。「物語り」について言えるのは、他の方法概念と対比しての「優/劣」のみである。そして方法としての優劣は、個別領域におけるその成果に即して争われねばならない。

(中略)方法としての物語り論は、空疎な倫理的裁断によってではなく、まさにこのような現場における具体的試行の中でこそ、その真価を問われるべきなのである。ー野家啓一

 

第1部では哲学でルソー、ヴォルテールヘーゲルを中心に「歴史哲学のおわらなさ」を、第2部では柳田國男を主題にしながら「物語の主体」について(のちにフッサールメルロ=ポンティも巻き込み現象学を取り込む)、第3部ではおなじみ分析哲学を援用しながらナラティブの可能性を説きます。「言語行為の現象学」を読んだときにはまだそれほど分析哲学や科学哲学に興味を示していなかったころなんですが、ここで言語哲学分析哲学の流れを緩やかに無理なく「物語り」という現象に結びつけたことに大きな功績があると思います。カルチュラル・スタディーズだと時代と共に消えそう。ヴィトゲンシュタインを読んでもやもやきていたのがちょっと解消されたのと、フッサールを理解するにはもうちょい数学・物理の基礎的な知識が必要だったのだと気づいたのが収穫です(遅い

 

東京大学出版会「メガシティ」シリーズ全6冊(村松伸

5.1 メガシティとサステイナビリティ

メガシティ1 メガシティとサステイナビリティ

メガシティ1 メガシティとサステイナビリティ

 

1巻なので導入という感じですが、都市の定義とメガシティの定義、そのエネルギー消費や特有の社会構造、経済と消費のシステムの簡単な紹介があります。それぞれの都市の歴史もちょっとだけ書かれています。都市社会を論ずるに自然環境、住環境、経済の活性と福祉の充実は欠かせない要素やと書かれているのですが、都市間でこれを共通の指標で測定する方法がなかったっていうのがちょっと驚きでした たしかに国を超えるとないのかもしれない。

 

6.2 メガシティの進化と多様性

メガシティ2 メガシティの進化と多様性

メガシティ2 メガシティの進化と多様性

 

都市の史学編という感じです。都市の規模を横断的に測定する。歴史についてのかんたんなまとめも付録についています。メガシティの定義は人口1000万人以上となってはいるものの、人種の多様性が頭打ちになるのが400万人くらいで、100-400万人くらいの都市がそれぞれ近傍にどれくらい発展しているかによっても影響しそうっていうのは面白かったです というか都市の比較って楽しいです。日本史、世界史問わず歴史が好きな方ならここから入るとかなり楽しいと思います。

 

7.3 歴史に刻印されたメガシティ

メガシティ3 歴史に刻印されたメガシティ

メガシティ3 歴史に刻印されたメガシティ

 

ジャカルタDKIについての歴史的考察。つまりジャカルタという圏が今のような巨大都市になるのにどのような経緯があったかという感じですね…2巻のうち、ジャカルタに限って経済活動や政治的動向を500年ほど追います。

 

8.4 新興国の経済発展とメガシティ

ジャカルタに特有の経済の構造と、環境問題が経済発展によって本当に解決できるのかという話が出てくる。3巻もそうでしたが完全にジャカルタ都市圏を(3巻は歴史中心に)解読する本です。マイクロエコノミクス、マイクロファイナンスを支援しようみたいな話になっていました

 

9.5 スプロール化するメガシティ

メガシティ5 スプロール化するメガシティ

メガシティ5 スプロール化するメガシティ

 

これを最初に手に取ったのですが、ジャカルタDKIについてそのランドスケープの構成を分析したものです。緻密に経済や熱環境、住民の構成分析などなどあって充実の一冊でした。最後には都市開発モデルを提示しますが気候が体感できないこともありちょっと想像つかない。都市の排水や湿度・熱のコントロールを植生に合わせて行うというの、なかなか面白かったです。都市の一部を郊外化するという感じ

 

10.6 高密度化するメガシティ 

メガシティ6 高密度化するメガシティ

メガシティ6 高密度化するメガシティ

 

こっちはスラムの経済発展と環境問題を実際にどのように解決するか、プロジェクトの一部もまじえて解説していきます。スラム化を免れない構造を「消す」のではなく、もとあるものを利用してうまく彼らの幸福度に還元できないかという試みですね。こちらは建築系の方には是非読んでいただきたいなあと思うなどしました