毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 4周目(81-90)

1.教養としての経済学(一橋大学経済学部) 

教養としての経済学 -- 生き抜く力を培うために

教養としての経済学 -- 生き抜く力を培うために

 

 

いい本です 専門的内容ながら門戸は広く開けており、考え方は示すし具体例もあるが前提に専門知識をさほど必要とはしない。章立てごとに、もっと情報を必要とする読者のために紹介もしてある。やや説教くさいのさえも愛嬌かなと思うくらい筆頭著者の語り口がよい。

財政、ミクロ経済学(+マイクロファイナンス)、マクロ経済学国債取引から学力や貧困・医療と経済学の関連、貨幣取引などなど実が詰まっています…手元にあってもまったく損しない本だと思います。

 

2.視覚科学(横澤一彦)

視覚科学

視覚科学

 

10月に受けた面接授業のときにオススメされたものです(講師をしてくださった先生の昔のボスらしい)序盤が視覚に影響する物理の説明からなのでつらくてなかなか読み進められなかったのですが、中盤からは神経科学認知心理学における錯覚の話がメインで最後は高次脳機能の話なのでむしろ後ろにいくほうが自分の専門に近く、わかりやすかったです

 

3.モラル・エコノミー(サミュエル・ボウルズ)

モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か

モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か

 

 一般市民の公共への支出のインセンティブとモラル(道徳)の関係について論じた本です 経済学の本はなんというか方向性が色々あって面白いですな。こういう本あまり読まないですが、今までに行動経済学厚生経済学の本を読んできたのでちょうどあいだにあたるような本だったかなと思います。

ミクロな経済、マイクロファイナンスを考えるにあたり社会正義的なものだけでは人を動かす(お金の面でも行動の面でも)にはあまりにも動機がないので、インセンティブについて考えようと思っていたのですが、道徳とインセンティブの関係が思ったより複雑でまだ消化不良です…あとは国や都市にもともと備わった税制や市民同士の信頼のメカニズムも結果に関与しているので、当然地域ごとに結果も出ます これを理解しない限り介入というものは上手くいかんのであろうと思うとまだ公共政策に関してはかなりの知識不足が感じられます(しょんぼり

 

4.リーダーシップの探求:変化をもたらす理論と実践(スーザン・コミベズ他)

 

リーダーシップの探求:変化をもたらす理論と実践

リーダーシップの探求:変化をもたらす理論と実践

  • 作者: スーザン・R・コミベズ,ナンス・ルーカス,ティモシー・R・マクマホン,日向野幹也
  • 出版社/メーカー: 早稲田大学出版部
  • 発売日: 2017/08/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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いや…悪くないんですよ。大学生とかで、自律した組織の運営携わるのがはじめての人なんかはこれいいと思うんですよ。でもわたしはロビンスの組織行動のマネジメントとかハッチの組織論のほうがずっと好きですね。なんというかままごとくさいんですよこの本。真面目だからこそ恥ずかしい。

 

5.ポスト・キャピタリズム(ポール・メイソン)

ポストキャピタリズム

ポストキャピタリズム

 

もうちょっとちゃんと読むべきかと思うくらいいい本だった いやあなんかこういうのあれだ、『なめらかな社会とその敵』以降久々なんじゃないか。貧困の社会学とか厚生経済学のあたりでは一部ふれてきたことかもしれないが。

コンドラチェフの波、ハイエク自由主義エンゲルスの書き記したもの、マルクスがなぜヘーゲルから多く学んだか、あたりをベースにもう少し知識が深まらないとこの本美味しく読めない気がするのだがまあそれはともかく面白かった。

メガシティを読んでいても思ったしケヴィン・ケリーの「〈インターネット〉の次に来るもの」、リチャード&ダニエル・サスカインド「プロフェッショナルの未来」あたりでも思ったことですが情報技術の発達と教育の無償化と労働力の国家を超えた移動あたりでだいたい全部繋がるんですよね

国家の債務の解消についてはだいぶ思うところある。公衆衛生の向上のために薬価が崩壊することに関しても。医療福祉関係のサービス業というのは基本的に国家にとって負担以外のなにものでもないのでそのあたりの解消って具体的にどうなっているのか全然知らないなって思った(現状は全然解消されてない

 

6.よくわかる都市社会学(中筋直哉) 

よくわかる都市社会学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる都市社会学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

 

来期できたら「移動と定住の社会学」「都市と地域の社会学」をとろうと思っているので前哨戦として読んでみたのですがふつうに今まで読んで来た本の総まとめ的側面と、都市を構成する要素ってこんなあってんな、まあそらせやなという新鮮な驚きとがちょうどいい配分であった 教科書的一冊です。

都市の水路とか税制とか歴史を、最初は都市ごとに、次は要素ごとに分類する。さくっと読めてよい。

 

7.人生の調律師たちーー動的ドラマトゥルギーの展開(藤川信夫)

 

人生の調律師たち――動的ドラマトゥルギーの展開

人生の調律師たち――動的ドラマトゥルギーの展開

 

阪大ゼミで行われたの対人援助職を対象とする質的分析を書籍にまとめたものです。対人支援における舞台役割のまっとう、みたいな感じですね。それも対人支援職そのものに焦点をあてるというよりかはそこに起こる現象、つまり対人支援の援助や教育の力学といった感じです。特別支援のくだりはかなり面白かった

ドラマトゥルギー自体はアーヴィング・ゴッフマンが述べている概念かと思うんですが2章でピエール・ブルデュー社会関係資本ないし文化資本の概念へと転化されており、今まで格差社会スティグマという視点でしか見られなかったこの2名の理論が生きているのを見るのがよかったです

 

8.ダメな統計学:悲惨なほど完全なる手引書(アレックス・ラインハート)

ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

 

心理統計で躓いたのでぱらっと再読。「データを拷問する」とかパワーワードが出てきて毎回笑ってしまう。心理研究法とか社会調査系の本でもよくでてくることなんですが、倫理的な問題についても触れられているので統計やってて「これでなにがわかるんだっけ…」となったら読んでもいいのかもしれない

あと医療統計は基本的に頻度主義なのでそのあたりも考えることはある。

 

9.よくわかる心理統計(山田剛史他)

よくわかる心理統計 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる心理統計 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

 

こっちはむしろイマイチまだ処遇に難渋している本。放送大の心理統計は全部手法がベイズなので、もともと自分が学んだ統計って心理統計でどう使われてるんやというのを結びつける本ではあります。易しい…かもしれないけどこれ1冊で統計に挑むのはやはり無謀。

 

10.応用哲学を学ぶ人のために(戸田山和久他) 

応用哲学を学ぶ人のために

応用哲学を学ぶ人のために

 

哲学を知ることは、思考のツールを手に入れることである。序論にそう書かれていたのですが、その通り現代の問題と向き合うための本です。「いま、世界の哲学者が考えていること」より少しお堅いですが、現代を哲学するのに適した本でした。

応用哲学と書かれると難しそうに思いますが、多分ふつうの哲学の入門書一般よりずっと読みやすいと思います。

成熟と未成熟と、愚者であることについて

まとまった文章を書きたくなったのでこちらに。

 

さいきん、人のことを『成熟しているなあ』と思うことが増えた。この成熟と、未成熟とはなにかについて考えたい。

 

まず、実年齢はたいして関係ない。いい意味でも悪い意味でも、未成熟なところを残したまま生きている人はたくさんいる。それも、そのまま年老いていく人だって数え切れないほどいるのだ。そういう人と出会った時には、わたしは思う。「この人が成熟するために必要な要素は、生きてきた時間や環境のなかでは与えられなかったのだ」と。

 

愚痴になってしまった。

 

人格や成長発達に起因する精神疾患と精神の成熟について

ひとつ、自分が随分昔から気にしていたセンテンスがある。

「精神的に未熟なために問題に対処することができず」のようなくだり。自分がまだ気分障害をコントロールできず、苦しみのなかに閉じこめられていたころ、2回ほどこの記述をみかけた。いずれも精神科の医師の手によるものであった(引用はあえて避ける)。

 

未熟であるためにストレスコーピングを誤ったり、不適切な処理をしてしまうというのは、一体どういうことであるのか。そこでいう「成熟」とはなにか。

服薬を必要としなくなり安定的に社会生活に戻り、また私生活においてもさほどの気苦労を感じなくなったころ、この「成熟」について考えることができるようになった。

 

自分の場合は、「外部化」であった。

なぜそれがきっかけになったかというと、「成長の過程で問題となった点がなにか」を語ることによりストレスの認知から社会適応までに至るまでに発生している問題構造が見えやすくなったからであると思う。

そしてまったく関係のない世界の知識を獲得することにより、「客観性」を、自身の内省のために用いなくなったことであろうか。多くの人は自我の発達に先立ってこれが進む(ないしそこまで内省を深化させないために)ためにここでは躓かないのであろうとも思った、別にエビデンスはない。感覚的なことを言語化したいだけのことで、この理由で私のようになってしまう人がどれだけの人数いるのかもよくわからない。

 

と、いうわけで、内的な「成熟」とは人によって内容が異なるのではないかという(至極当然なのだが)結論になった。

エリクソンもハヴィガーストも発達段階において提唱しているのはライフサイクルにおける標準的な危機であり、「社会におけるふるまい」と「ある自己の内面(精神)」の相互作用においてどのような危機が生じるかは論じてはいない。けれど、ある性格要素を兼ね備えていた場合に(本人にとっての)高ストレス下に長く人を置き続けた場合に何らかの疾患や障害にいたるリスクは他に較べて上昇するであろうことが予想される。

 

そもそも障害という概念も複雑なものである。

斯様に複雑化・高度化した技術に覆われた世界についていけない人間が社会に適応できなくなったとして、それはやはり「今」の文脈においての障害でしかない。

が、遡れば赤子殺しや私宅監置などの暗い側面(それが暗いかどうかも時代の倫理に依存する)をもつ人間社会ゆえ、なにがよいかは横に置いておくとしよう。

 

以上の思考を巡らせてみたうえで、成熟も未成熟も「他人と較べて」というよりは、結局「その人の内部において」という結論をひとまず据える。

 

 

未熟な魅力、未成熟な魅力

未熟や未成熟、と「幼稚」「被支配的」「無垢」はここでは分けて考える。

ウラジーミル・ナボコフの「ロリータ」やルシール・アザリロヴィック「ecole(原題:innocence)」のような、定性化されたものではなく、不器用さ、「曖昧」の拒否、剛直(ないし愚直)、といった意味での未熟。

 

成熟するということは「是」はされるが、必ずしも無理に促進されるべきものでもないと思う。

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100冊読破 4周目(71-80)

1.哲学の密かな闘い(永井均

哲学の密かな闘い

哲学の密かな闘い

 

大衆誌に寄稿したものから、論文の内容を改変したものまで。最初は倫理の問いや、前提を疑うとはどういうことかという問題からはじまりますが、最終章とかはヴィトゲンシュタインの「語りえないもの」を語ることについてなど結構言語と心理の間をいったりきたりして楽しいです。入門書では、あまりない。道徳や実存のやさしい形而上学形而上学の中ではまだやさしいのでは?)という感じですが、腑に落ちるほど深く読み込め派しなかったなあとちょっと反省。

 

2.選択の自由―自立社会への挑戦(ミルトン・フリードマン

選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦

選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦

 

選択の自由、Free to chooseだったので『選択するための自由』(つまりケインジアン的な「公的機関による経済政策や緊縮」に対する批判)という感じです。結果の平等じゃなくて機会の平等をって何度もいっていてよさがあった。つまりマクロな視点での厚生(公正といってもいいのかもしれませんが)を含みますね。ただマクロ経済学的な視点、どうしても個人がエコンになりがちなのどうにかならないのか。

 

3.脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫る(ゲオルク・ノルトフ)

脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫る

脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫る

 

これはめっっっっっちゃ面白かったです、面白いというか読みやすい。臨床にいる人で知覚の哲学や心の哲学に興味がある人にこそぜひ手にとってほしい。1冊目だとしても読める気がします。アントニオ・ダマシオ「自己が心にやってくる」より多少読みやすいかもしれない。現象学実存主義に興味がある人ならばさらにおすすめかもしれない

著者のゲオルグ・ノルトフ氏は現在の心の哲学と呼ばれている領域だけでなく大陸哲学からも着想はよく得たとあとがきで説明されていて、そのあたりはメルロ=ポンティフッサールハイデガーのような身体性や自明性の主観とふかく結びついていることからもよく読み取れる。臨床のひとにとってなにが嬉しいかというと、これはよくあるケースを具体的にもってきて想像させてくれることにある。最初は脳損傷、次は抑うつ、最後は統合失調症といった学生のときから触れてきたケースをもとに哲学の世界に入ることができる。それも科学がベースなので用語がわかりやすい。

心の哲学や知覚の哲学において、臨床(ないし科学畑の方)に他の本をなかなかオススメしにくい理由は、哲学は概念理解が難しいのでスーパー勉強できる人か天才じゃない限り一読して楽しめることはないという点にあります。あんまり面白くないのです。その点この本は、きちんと面白く今の哲学の問題に触れながら、歴史も辿るのです。デカルトフッサールハイデガーメルロ=ポンティ、(本文中に名前は出てこないけど)とくに統合失調症による自我の自明性の崩壊とかは木村敏にも薫陶を受けたそうな。自分としては統合失調症の臨床には携わる機会がなくて教科書的な知識しかないのでたいへん嬉しかったです。自分が支持しているのはメルロ=ポンティそのものではなくて、彼が扱う受肉の概念のうち、心(世界の内面)の統覚としての「意識」と世界を知覚するための機関である身体(肉)が早期にまとまって示されたことにあるんですが、本書ではもやもやをもう一つ斬りにいってくれていましてですね。メルロ=ポンティはそれによって世界が与えられる、というのに対して自分は意識や知覚というのは身体活動(神経活動含む)の結果(≒副次的な効果)でしかないと思っているので、そこがちゃんと言語化できた点で本書はとてもよいです 素晴らしい クリストフ・コッホの「意識をめぐる冒険」以来です。先に挙げたダマシオの「自己が心にやってくる」、クリストフ・コッホ、スタニスラス・ドゥアンヌ「意識と脳ー意識はいかにしてコード化されるか」なんかも今までに読んでいいなと思ってきたものですが、これらは理論的に大陸哲学を説明するものの、見方としては非常に認知科学や計算科学寄りなので、世界の体験(すなわち自己の一端を担保するもの)の主観性や身体知覚と脳の関係についてそこまで簡潔に示されてはいないのですよ。まあ読んでいる私がアホといえばそれまでなんですが、やはりアホである利点は初読者にも楽しい本を紹介できる点にあると思っているのです。本書の中では、人格と身体の対話がでてきていました。身体は、脳が世界を知覚するのに必要なトンネルのようなものだという結論になっているのですが、言葉選びはともかくそんな感じの答えを自分も持っています。そしてその身体による世界の知覚が部分的に遮断されることにより自己が隔絶するのが統合失調症なのだと。このあたりは中井久夫氏や木村敏氏の本を読んでいる人には腑に落ちやすいところかと思います。

 

4.トマス・アクィナス 肯定の哲学(山本芳久)

トマス・アクィナス 肯定の哲学

トマス・アクィナス 肯定の哲学

 

感情に関する哲学(倫理学か)の本、いくつか読んできましたが「神学大全」にはさすがにとっつきにくいなあと思っていたので本書がようやく初めて読んだトマス・アクィナス単身の解釈本です。自分は徳や愛の神学的解釈がもともと苦手です(ミシェル・アンリつらかった)。

遠藤克巳「情念・感情・顔 コミュニケーションのメタヒストリー」
ヴラジーミル・ジャンケレヴィッチ 「徳と愛」
アダム・スミス道徳感情論」
ルネ・デカルト「情念論」

くらいですかね、感情に関する哲学でこの本とのつながりを感じるの。

ユルゲン・ハーバーマス「公共性の構造転換」
イマヌエル・カント実践理性批判


もいれてもいいかもしれませんが…。
いやまあ概念の扱いに関しての繋がりであってこれは完全に私の頭の中だけで完成する地図のようなものです

「情念」が「感情」を惹起するのですが、情念[passio]というものが受動[passio]であることは感情(心の状態)について論ずる哲学の本ではよく説明されています。が、トマス・アクィナスは情念は必ずしも受動的なもののみに留まらないとしているのが印象的でした。言葉の指向性と情念のありようについては私は國分功一郎氏『「中動態」の世界 意志と責任の考古学』がいちばんわかりやすくて詳しいかなと思っています こういう概念理解は現在の心理学や神経科学ではそんなに出てこないので、徳倫理学や公共の哲学について考えるのはとても楽しいのです

接近と後退に基づいても、善と悪の対立性に基づいつも、対立するもの持てないという点において、怒りという感情地は独特のものがある。なぜなら、怒りは、既に降りかかっている困難な悪から引き起こされるからである。ートマス・アクィナス神学大全』より

トマス・アクィナスの感情の分類はデカルトの情念論と似ていなくもないのですが、『怒り』の特殊性とそのエネルギーの高さについてや愛と憎しみの関係はとてもよかった。

 

5.ウィトゲンシュタイン―ネクタイをしない哲学者(中村昇)

ウィトゲンシュタイン―ネクタイをしない哲学者 (哲学の現代を読む)

ウィトゲンシュタイン―ネクタイをしない哲学者 (哲学の現代を読む)

 

フォロワーの方がお話しされていて気になったので読みました。結論からいうととてもよかったです。ヴィトゲンシュタインは『論考』を読んだきりだったのですが、その若年から晩年までの思考や哲学の立ち位置を口調は軽く、中身はしっかり解説されています。

ソシュール-ヴィトゲンシュタイン-デリダの対比がよかったですねえ。あとは生の哲学といわれる所以がいままでようわからんかったのですが、生活の哲学に近いのかもしれない。オースティンの言語行為についての話ともちゃんと絡めてあって、『論考』で楽しめなかった部分が随分詳らかでありました。ヴィトゲンシュタインは倫理や宗教についての『内容』は語ることがなかった、っていうのとても好きです。かれは形而上学のための方法を検討し、その問いの立ち方のナンセンスを指摘しただけなんかなという気持ちです。あと後年の『言語ゲーム』は結構社会学とか人類学は学ぶところが多い気がしますね。ちなみに後半はレヴィナスとかデリダが結構全面に出てくるので楽しいですが、彼らの提示する概念の理解は非常に難しいです(ヴィトゲンシュタインだけを読んでいればいいというわけではなさそうなのがミソ

 

6.現代形而上学入門(柏端達也)

現代形而上学入門

現代形而上学入門

 

最近出た本で気になっていたのが図書館にあったので思わず借りたのですが、入門でもなんでもなかったので心が折れて結構時間をかけて読みました 時間をかけたわりにわかることはそう多くないのですが、形式言語と日常(自然)言語をつなぐためにいくつかの概念の紹介がなされています。そういえば放送大の記号論理学の授業をいつかとろうと思っているので、その前準備といえばそうでもあるのですが、むしろ記号論理学を講座でとってやっと理解に足をかけられるかいなかといったレベルです 読めない、読めないぞ…!

面白かったのは4.5章あたりですかね。4章は人間が価値を賦与しているものについてで、5章はフィクションと偽のちがい(階層性)についてです。基本的に現代哲学からのアプローチなのでまったくついていけないのですが(3章のトロープについてはちんぷんかんぷん過ぎました)ただまあ今読書会でウィリアム・フィッシュ『知覚の哲学入門』を読んでいるので、とくに前半を読解するのに必要かなと思ったのです(語用論についての言及があるので)。あと物質のアフォーダンスやサイン(記号)の理解は、人間の認知心理の面でも哲学の面でもかなり楽しくアツい分野であると(自分の中で)思っているので取り上げられていて嬉しかったです でも分析哲学は全然ついていけそうにない。

 

7.哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する!(入不二基義

哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書)

哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書)

 

おおこれは高校時代現代文の評論好きだった勢にはぜひ読んでほしいものかもしれない。 深い内容に落とし込んであるが『入試問題』という限りある時間の枠組みの中でほどほどに読まなければならない文章をこんなに深く、適切に解読するのは結構骨が折れる けど哲学の作業は本来こういうものなのではとも思ったりする。時間論(4題目は実在論というべきやろうけど)が2例も出されていたのはよかった、なにせあまりその辺踏み込んでいないので。1題目はお馴染み野矢先生の他覚的知覚に関するお話で、とくにこれに限っていえば自分は思うところが多くありました。なにせその領域が飯の種ですからね。

 

8.社会シミュレーション ―世界を「見える化」する(横幹〈知の統合〉シリーズ編集委員会) 

社会シミュレーション ―世界を「見える化」する― (横幹〈知の統合〉シリーズ)

社会シミュレーション ―世界を「見える化」する― (横幹〈知の統合〉シリーズ)

 

表紙が面白いですが中身も面白いです。人間をエージェント化して移動や定住(社会の不寛容性と都市の配置の変容)をシミュレートしてみたり、ネットのデマ(めっちゃTwitter使われていましたが)をシミュレートして反応と拡散、終息までをモデリングしてみたり。デマへの反応それ自体は危機理論をやっているてもでてくるんですが、起こったことの解析ではなく起こることの予測ができるのは楽しいですね。

個人的には航空機で移動する人間の可視化が面白かったです…こないだ久し振りに飛行機に乗ったからというのもあるのですが。

 

9.プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法(リチャード・サスカインド)

プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法

プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法

 

ひさびさに流行り物っぽい本を読んでしまったが、大変よかった。著者は英国で政策研究をしていた息子と弁護士の父。専門職におけるIT化がどのようにもたらされ、その協力はどうあるべきかについて。『〈インターネット〉の次にくるもの』という別の著者の本を読んだときに、これはいち市民(つまり情報の享受者)としてのリテラシーや学の形成をどうすべきかの方向づけであり、市民教育みたいなものやなと思ったのですがこっちは専門職がどうネットワークを捉えるかという感じですね。面白いです

ちなみに本を読みながら我々は業種として専門職かなあと思うなどしましたが、中程に答えがあって、準専門職ということでした。医業においてはそうかりつつありますね(NP、診療看護師とかはそんな感じ)アトゥール・ガワンデ著『なぜあなたはチェックリストを使わないのか?』やジェイムズ・グリック『インフォメーション 情報技術の人類史』などから引用があり自分は大変納得と満足しております。専門職の分業とルーチンワークの機械化については本当にもっともっと進んで欲しいです

中に引用されていて気になったのはヴォルテールの『最善は善の敵であってはならない』というものです。もともとの文章はどういう文脈でのこの言葉なのかはわかりませんが、最近倫理学まわりを考えるにあたって気になっていることです。

 

10.入門 貧困論―ささえあう/たすけあう社会をつくるために(金子充)

入門 貧困論――ささえあう/たすけあう社会をつくるために

入門 貧困論――ささえあう/たすけあう社会をつくるために

 

セルジュ・ポーガム(『貧困の基本形態』)、ルース・リスター(『貧困とはなにか』)、アーヴィング・ゴッフマン(『スティグマ社会学』)、ジグムント・バウマン(『社会学の考え方』)といった社会学分野やアマルティア・セン(『不平等の再検討』)、アンソニーアトキンソン(『21世紀の不平等』)、ミルトン・フリードマン(『選択の自由』)といった経済学分野からも貧困を分析する。カッコ内は私が読んだ中で、この本とかかわりが深いなあと思ったもの。やや社会学よりですが、税制に言及するところに関してはさすがというかとても実務的だし実践的でよいかなと思います。先の社会学者の皆さん方の本では手に入りにくい具体的知識である。福祉がどのように『あるべき』かは散々語られてきたが、その『実行段階』となると足踏みをしてしまうきらいがある。このあたりは多分経済学を知っている方が強いのだろうなと思ったりします。守られるべきものの守り方を知ることは大切です。まあ両輪回してなんぼやと思うんですけど、片手落ちになると机上の空論として片付けられてしまいますし。社会保障や公的扶助の国際比較とかは面白かったです

それから、この手の本を読んできて一番読みやすいかなあと思います…この手の、っていうと広くなりすぎるんですけど。やっぱり貧困に関しては国内のことを例に出して考えられるのがいちばんしっくりきますし想像しやすいですよね(アホなので

 

台湾旅行①

旅の日記を書く。旅といっても、ほぼ行って帰っただけなので(行ったところといえば故宮博物院九份くらい)、旅程はいまさら書かなくてもいいと思う。ただ、国内で飛行機に乗るのも10年ぶりほどで、国外に出るのは生まれてはじめてという体験が純粋に面白かったので、考えたことをいくつか書き残しておかないと後悔するような気がした。多分一度では書ききれないので、何回かにわけて書く。

 

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こんなに簡単に国外に出られる時代なのに、実は自分は国外に出たことがなかった。最近は驚かれることが多い。
サイモンの旅行定理の熱心な信奉者というわけでもないが、家にいて本を読んでいてさえ得るものはとても多く、しかも働きはじめてから1-2年は必要なものを購入することが多かった。転居や楽器の購入なども、一定の貯蓄と並行すると意外と難儀なものだ。他人と一緒に行動したがる友人をあまりもたないことも影響しているかもしれない。

旅行の中でも海外旅行は自分にとって贅沢以外の何物でもなく(恐らく行きたい場所が欧州や中東など資金・安全面に高リスクとされるところが多かったからではないだろうか)、就職してからも国内旅行ばかりしていた。旅行そのものは嫌いではないが、海外というものに縁をつくる機会がなかったのである。縁があればいきたい、という機運は恐らく20歳になったころにはあったことと思うが、自分はとにかく引っ込み思案で行動力もないためにそういった計画を思いついたことがなかった。

ときに語学留学中の家族の構成員が帰国とともに台湾への旅行を提案してくれ、働き始めてからはじめて(!)3連休を申請した。
飛行機のチケットもホステルの準備も全部家族がやってくれたので、正直自分が海外に出るきっかけとしてなにが必要だったかと言われると微妙だ。今から思えば結局やる気がなかっただけだと思う。一人で過ごすことが好きなツケがここにきて降りかかる。

 

 

台湾について

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写真:泊まった場所の近くの駐輪場。自転車よりオートバイが主流。バスの本数も多い

台湾の国そのものについての話。台湾の人口規模は2300万人程度である(気になって調べた)。近隣諸国と比較すると、韓国が5000万人、インドネシアは2憶3000万人、マレーシア3000万人…タイ7000万人弱。
台中、台南は今でも農業が盛んなよう。空港には水田の写真が多くあった。時差は日本と1時間しかなく、経度による差はあまり感じられないが緯度の差は大きく感じる。気候の差は特に植生に顕著だと思った。

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写真:六張犁駅前

 

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写真:工事中のビルの裏側にて。台北中央市街地・繁華街での光景

電子化・近代化の波と、建築や都市設計の少し取り残された感じは日本とはまた別である。もっとも、わたしも東京という都市圏に住んだことがあるわけではないので行くたびに感じる程度であるけれども。写真のように、ビルの老朽化が感じられる。新しく建造された建物についても、今後30年や50年のことを考えて造られたものとはちょっと考えにくい。桃園機場捷運など、なんというか、急を要した感じがする。直線的なデザインである。では、余裕のある現代的なデザインとはなにか問われても困るが。

 

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写真:夜の台北車站前。信号が変わると一斉に二輪が走り出すのが面白い
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100冊読破 4周目(61-70)

今回はシリーズものばかり読んでいたので、まとめて書いていこうかなあと思います。

 

ミネルヴァ書房「講座ケアー新たな人間-社会像に向けて」シリーズ全4冊

1冊目の、「ケアとは何だろうか」だけ読んでいません(すみません)

1.ケアとコミュニティ:福祉・地域・まちづくり(大橋謙策) 

自殺、介護の抱える構造上の問題と機能上の問題、在宅での育児・介護・看取りその他諸々、人口統計上の問題も扱うし地域活性の問題も扱うので福祉の運営までをカバーしています。これのゆるいバージョンとして「日本のシビックエコノミー」「エリアリノベーション」があるか。元熊本県知事が記載しているページなんかもありました。福祉に関する諸問題を地域特徴も含めて取り上げたような感じです。

 

2.ケアと人間:心理・教育・宗教(西平直)

介護とか生死病死というよりは教育と死にスポットライトのあたった巻でした。共感が不可能であった時にケアが発生するという話が結構よかったです(納得はいく)これが一番、現場のケアワーカーや学生が実際に生身の人間と接するときに必要となる本のような気がします。

 

3.ケアと健康:社会・地域・病い(近藤克則) 

シリーズの中でこれが一番好きでした。分野としては社会疫学とか公衆衛生にあたるのでしょうが、公衆衛生の視点に欠けがちなのは経済的な側面と地理的な要素かなあといつも思います。いや欠けてはいないのでしょうが、あまり重視されていないというか。個人や集団単位での健康のために必要な要素って単なる医療のインフラや個人の収入だけでなく、個人の環境・遺伝的背景を加味したり都市のアクセシビリティや行動を測定してみるといいよっていう内容です これ1冊で相当楽しめます。

 

そういえばこのシリーズを読んでいたとき、特に生産年齢人口以降のNPO参与がかなり大事だなあと思わされたのですが、放送大学は市民教育に力を入れているのでそういうところやろうなあと思います(彼らに問題解決能力やニーズの発見ができれば話はとてもはやい)

移民問題とか人口減少の解決には必要と思われる、文化的な多様性の受容というのはアッパークラスのひとにぎりの人間の意志決定や選好による問題というより、むしろ地方や既に産業から離れた生活者の能力にかかっているとよく思います。救われる集団でなく自己修復できる組織になれば強い。人間は働く以前に住んだり食べたりコミュニティを築いたりして、その中で病んだり死んだり生まれたりするわけなので。

 

4.物語の哲学(野家啓一

物語の哲学 (岩波現代文庫)

物語の哲学 (岩波現代文庫)

 

物語り論の観点からは、世界は事物thingの総体ではなく、出来事eventのネットワークである。ー野家啓一

 

事実(実体)概念としての「物語」についてなら、その内容について「真/偽」、「善い/悪い」あるいは「事実/フィクション」といった二分法的な価値評価も可能であろうが、方法概念としての「物語り」に対してそうしたカテゴリーを適用するのは、単なるカテゴリー・ミステイクにすぎない。「物語り」について言えるのは、他の方法概念と対比しての「優/劣」のみである。そして方法としての優劣は、個別領域におけるその成果に即して争われねばならない。

(中略)方法としての物語り論は、空疎な倫理的裁断によってではなく、まさにこのような現場における具体的試行の中でこそ、その真価を問われるべきなのである。ー野家啓一

 

第1部では哲学でルソー、ヴォルテールヘーゲルを中心に「歴史哲学のおわらなさ」を、第2部では柳田國男を主題にしながら「物語の主体」について(のちにフッサールメルロ=ポンティも巻き込み現象学を取り込む)、第3部ではおなじみ分析哲学を援用しながらナラティブの可能性を説きます。「言語行為の現象学」を読んだときにはまだそれほど分析哲学や科学哲学に興味を示していなかったころなんですが、ここで言語哲学分析哲学の流れを緩やかに無理なく「物語り」という現象に結びつけたことに大きな功績があると思います。カルチュラル・スタディーズだと時代と共に消えそう。ヴィトゲンシュタインを読んでもやもやきていたのがちょっと解消されたのと、フッサールを理解するにはもうちょい数学・物理の基礎的な知識が必要だったのだと気づいたのが収穫です(遅い

 

東京大学出版会「メガシティ」シリーズ全6冊(村松伸

5.1 メガシティとサステイナビリティ

メガシティ1 メガシティとサステイナビリティ

メガシティ1 メガシティとサステイナビリティ

 

1巻なので導入という感じですが、都市の定義とメガシティの定義、そのエネルギー消費や特有の社会構造、経済と消費のシステムの簡単な紹介があります。それぞれの都市の歴史もちょっとだけ書かれています。都市社会を論ずるに自然環境、住環境、経済の活性と福祉の充実は欠かせない要素やと書かれているのですが、都市間でこれを共通の指標で測定する方法がなかったっていうのがちょっと驚きでした たしかに国を超えるとないのかもしれない。

 

6.2 メガシティの進化と多様性

メガシティ2 メガシティの進化と多様性

メガシティ2 メガシティの進化と多様性

 

都市の史学編という感じです。都市の規模を横断的に測定する。歴史についてのかんたんなまとめも付録についています。メガシティの定義は人口1000万人以上となってはいるものの、人種の多様性が頭打ちになるのが400万人くらいで、100-400万人くらいの都市がそれぞれ近傍にどれくらい発展しているかによっても影響しそうっていうのは面白かったです というか都市の比較って楽しいです。日本史、世界史問わず歴史が好きな方ならここから入るとかなり楽しいと思います。

 

7.3 歴史に刻印されたメガシティ

メガシティ3 歴史に刻印されたメガシティ

メガシティ3 歴史に刻印されたメガシティ

 

ジャカルタDKIについての歴史的考察。つまりジャカルタという圏が今のような巨大都市になるのにどのような経緯があったかという感じですね…2巻のうち、ジャカルタに限って経済活動や政治的動向を500年ほど追います。

 

8.4 新興国の経済発展とメガシティ

ジャカルタに特有の経済の構造と、環境問題が経済発展によって本当に解決できるのかという話が出てくる。3巻もそうでしたが完全にジャカルタ都市圏を(3巻は歴史中心に)解読する本です。マイクロエコノミクス、マイクロファイナンスを支援しようみたいな話になっていました

 

9.5 スプロール化するメガシティ

メガシティ5 スプロール化するメガシティ

メガシティ5 スプロール化するメガシティ

 

これを最初に手に取ったのですが、ジャカルタDKIについてそのランドスケープの構成を分析したものです。緻密に経済や熱環境、住民の構成分析などなどあって充実の一冊でした。最後には都市開発モデルを提示しますが気候が体感できないこともありちょっと想像つかない。都市の排水や湿度・熱のコントロールを植生に合わせて行うというの、なかなか面白かったです。都市の一部を郊外化するという感じ

 

10.6 高密度化するメガシティ 

メガシティ6 高密度化するメガシティ

メガシティ6 高密度化するメガシティ

 

こっちはスラムの経済発展と環境問題を実際にどのように解決するか、プロジェクトの一部もまじえて解説していきます。スラム化を免れない構造を「消す」のではなく、もとあるものを利用してうまく彼らの幸福度に還元できないかという試みですね。こちらは建築系の方には是非読んでいただきたいなあと思うなどしました

100冊読破 4周目(51-60)

1.ジンメル社会学を学ぶ人のために(早川洋行、菅野仁) 

ジンメル社会学を学ぶ人のために

ジンメル社会学を学ぶ人のために

 

ジンメルその人についてあまり知らなかったので読みました。社会学者でありながら、社会学以外の分野の学者と親交が深かったようです(ベルクソンやジャンケレヴィッチといった哲学の影響を受けているよう)。

ニクラス・ルーマンジグムント・バウマンアンソニー・ギデンズ、アーヴィング・ゴッフマンなど、計量のみによらない機能重視の社会学に影響を与えたとされております エスノメソドロジーにまだそれほど手法が確立していなかった時代のこと。ジンメルの著書読んだことないので読んでみたいものです ケアワーカー向けでもあるかもしれません。

 

2.ライプニッツを学ぶ人のために(酒井潔)

ライプニッツを学ぶ人のために

ライプニッツを学ぶ人のために

 

ライプニッツ、なんの文脈で自分が引っ掛けたのかはわかりませんがラッセルの哲学入門やグリックの「インフォメーションの人類史」できっとはやくから見かけていたと思います。数学に興味が出てきたおかげでようやっと重い腰をあげてライプニッツ入門みたいな本はないかと探していたところまんまと学ぶ人のためにシリーズに引っかかってしまいました。たいへんよかったです

前半は本人のもっていた人脈と思想の解説で、後半(というか最後の方)にこれからもっと読みたいという人向け、研究者向けに書籍の紹介と主要概念の概説がなされています。自分は同時代の人だとデカルトスピノザくらいしか認識できていないのですが、デカルトはいまいちしっくりこずスピノザは挫折するという惨憺たる有様です。が、ライプニッツ形而上学とそれに至る数学の方法論は非常に好きです。たしかに事物の処理の仕方が情報学っぽい感じがあるんですよね。意識の認識とかもデカルトよりよほどしっくりきます。あとライプニッツの時代に中国の思想についての興味がさかんだったということや、バロック音楽・美術の時代背景(ヘンデル、バッハ、パーセルパッヘルベル)を絡めてくれていたのも有り難かったです あの頃の芸術は数学の発展ときっても切り離せないものがあります

 

3.9.介入 Ⅰ・Ⅱ 〔社会科学と政治行動1961-2001〕(ピエール・ブルデュー

介入 ? 〔社会科学と政治行動1961-2001〕 (ブルデュー・ライブラリー)

介入 ? 〔社会科学と政治行動1961-2001〕 (ブルデュー・ライブラリー)

 

 

介入 ? 〔社会科学と政治行動1961-2001〕 (ブルデュー・ライブラリー)

介入 ? 〔社会科学と政治行動1961-2001〕 (ブルデュー・ライブラリー)

 

これのⅠを読んで書いたのが以前の記事です。

これらはブルデューの死後に、雑誌への寄稿や出された声明文、インタビューをまとめたもの。教育社会学を含め、晩年の政治への参加に焦点を当てたもの。Ⅱは、前巻が教育をとりまく環境に焦点を当てていたのに対してこちらは経済、というか貧困に相対する人たちの社会運動を支援することについて、という感じです。晩年のブルデューは色んな社会運動を支援しており、成功したものもあればほぼほぼまるっと失敗に終わったものもあり、周囲というかメディアから随分とこき下ろされたりもしたようです。知識人が地に堕ちたなんて言われて。日本でも思い当たる人は何人かいますが

時代背景に深い理解があるわけではないのでなんとも言い難い節もいくつかありましたし、そもそも内容理解が半分も及ばない状態で読んでしまったんですが、今日本にある問題がいくつか。既に20-30年前に指摘されている点について(しかもその時期既にあった問題ではなく、この指摘があったあとに改革がなされて問題が生み出されてしまった)ことについては言い訳のしようもないなと思うなど。政策方面はぶっちゃけ自分が疎いので全然ダメなんですけど、こういう風に系統的に集められたものを読むと、批判的視点と「どこを問題とするか」っていう問いは常に自分の中にもっておかないといかんなあと思います。あとやっぱり人文学的な知識と見地は捨ててはいけない。


4.苦悩する人間(ヴィクトール・E.フランクル

苦悩する人間 (フランクル・コレクション)

苦悩する人間 (フランクル・コレクション)

 

人間には、ペースメーカーが必要です。そして、ペースメーカーが必要であるがるゆえに、ペースメーカーを追い越しえないだけの距離が必要なのです。ペースメーカーに追いつくなら、そのとたんにペースメーカーは必要でなくなるでしょう。現存在は、あるものとあるべきものとの間の緊張関係として存在しています。というのは、人間が現に存在するのは、存在するためではなく、生成するためだからです。

 

創造価値の実現によって運命を形成できない人、できなくなってしまった人は、それでも運命を克服することができます。別の仕方で克服することができるのです。それは、まさに態度価値を実現することによってです。つまり、正しく苦悩すること、運命的なものに対して正しい態度をとることによってです。それには、苦悩能力を獲得しているということが前提となります。ここから、この内面的克服は、外面的形成を断念するにしても、結局はやはり形成、つまり自己形成なのだということがわかります。というのは、苦悩能力の獲得は、自己形成の行為であるからです。

 

最後に、苦悩する人間でなく、苦労する隣人、共に苦悩する人間について一言しておきましょう。苦悩することが意味に満ちているのと同じように、苦悩を共に遂行すること、共に苦悩することも意味に満ちています。それは、同じように意味に満ちていると共に、また同じように無言なのです。

 

「メタ臨床講義」を「制約されざる人間」として出版したのちの、補遺のような本。精神分析的、精神病理的な観点を抜け出して意味を見出すための本…だけど、わかりやすさとしては「虚無感について」の方をお勧めします。ロゴセラピーはずいぶんもう定着した概念だと自分は思っているんですが、あれは他人が誰かに施すものではないです。誰かが自らに対してあれこれ当てはめて解決に導くその道筋を支持してはじめて意味のあるようなものであり、作ることができるのはきっかけだけです。あとは本人の力に任されている。もちろん本人をエンパワメントすることもできます。でも、やり遂げるのはあくまで本人なのだと思う。自分もそうしてきたなあと思いますし、他人がそれに取り組むのを見ることもありますけど、あるメソドロジーに則ったりするようなものではなくて、個人がもともと持っている法則に従うのだろうと。

 

5.哲学的な何か、あと数学とか(飲茶)

哲学的な何か、あと数学とか

哲学的な何か、あと数学とか

 

フェルマーの最終定理をめぐる数学者たちの物語。面白すぎて一気に読みましたが、私は肝心の中身の高次の部分は全然知らないので、十分に楽しめたとはいえないかもしれません(途中に非ユークリッド幾何とかへの道も開かれています)。ただ、論理式をこの1年で結構いろんな本で見かけてきて思っていたことがちゃんと言葉になっていたのでとても嬉しかったです。まさに「哲学的ななにか、あと数学とか」です。

数学者の闘いなかなか面白い。わりとよく絶望しています。

 

6.ハイデガー存在と時間』を学ぶ人のために(宮原勇)

ハイデガー『存在と時間』を学ぶ人のために

ハイデガー『存在と時間』を学ぶ人のために

 

誰もが他者であり、誰も自分自身ではない ーマルティン・ハイデガー

ハイデガーの『存在と時間』は、難解なことで有名な現象学(かな)の哲学です。絶対読めないだろうと思ってこのシリーズの力を借りることにしました。

フッサールの「内的時間意識の現象学」も「現象学の理念」もわからんなーと思いながら読んだのですが、ハイデガーはどちらかといえばカントやベルクソンの流れを汲んでいるのでより具体的といえば具体的かなあと思います。あと存在論に関する注釈が好きです。あれはデザイン原論に近い。世界内存在ってやつがいまいちわからずにいたのですが、ある人間が知覚する世界の感覚については「ある道具にはその中に使用用途などの要素が含まれる」、道具がアフォードしていることについて具体的に述べられているようです。時間についても結構ベルクソンの「物質と記憶」に近い解釈かなあと思います。

 

7.知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用(源河亨)

知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用

知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用

 

認知科学と知覚の哲学についてわかりやすく書かれているので入門書としていいんじゃないかと思います。自分はデネットとかホフスタッターを心折れながら何冊か読んだクチなのですが、『心の哲学』に関しては結構自分は科学寄り(というか計算機寄り)の暫定解をもっているのでゾンビがどうこうとかには正直全然興味ないんですが、知覚の哲学はかなり興味があったのでフィッシュの『知覚の哲学入門』で序盤のセンスデータとか副詞説が難しかったのが心残りだったんですよね。臨床哲学とかは結構昔からある分野ですけど自分はフロイトラカンみたいな精神分析的な流れがめっちゃ嫌いで、かといって知覚の哲学についてはメルロ=ポンティで止まってしまうわけにもいかず、その後はどうにもお気持ち臨床哲学・お気持ち現象学になるので(芸術論とか身体論とかも)お気持ちを許すな!!なぜ知覚はもっと分析できないのか!!いやいける!いけ!というやっていきを思い起こさせてくれるような本でした。

心理学の授業も進んできたところなので面白かったです。自分は科学に色々を求める人間になってしまっているので、厳密性とか測定方法とかそういうことに感激することが多いのですが、どのようにしてそれが認知されるかとかどこに問題があるかを探すのは哲学が大いに手腕を揮うところであるなあと思うなどしました。

好きだったのは音楽とか美術に関する5-6章にかけてでしょうか。興味深かったのは、「音の不在」に関する認識のくだりです。科学もなかなか踏み入ることが難しく、哲学も説明をしにくい領域であると思うのですが、科学の理論を援用しながらその「しくみ」を紐解くかんじです 言葉は比較的平易ですが学ぶところは多い本でした。

ダニエル・デネットがモデルとしてよく用いている『デーモン』、低次の次元でもともとだいたいの人間に備わっているものと、訓練(ないし個体における脳機能の特殊性)によって高次・メタな次元に持ち上げられるものがあると思っています。線の認知とかは認知科学の分野で既に明らかですが、空間認知とか音楽の形態認識(和音進行・旋律の聴き分けなど)に関してはかなり複雑ないくつかの次元で同時に処理が行われている感じがある 意識下に浮上させるか否かはともかく、演奏者にしろ作曲家にしろ編曲者にしろこういうのありそうで。今まで鷲田教授とかそのほかの身体論で納得がいっていなかった部分かもしれません。芸術方面の方からの言及も読んだことがありますが、まだ納得いっていなかった。もうちょっと深められそう。

 

8.カントを学ぶ人のために(有福孝岳)

カントを学ぶ人のために

カントを学ぶ人のために

 

カントは3大批判のうち純粋理性批判実践理性批判熊野純彦氏の訳で読んだだけだったのですが、判断力批判読んでみたくなりました。前者ふたつが『理性と悟性』=知覚される世界、『倫理と道徳』=人間の内面世界という大きなテーマが与えられているとしたら、判断力批判は『美学』=人間の共通感覚について、という感じのようです。これは上記の本を読んで自分が享けた印象であり、掴みあぐねているかもしれませんが。

『カントを学ぶ人のために』には最初の方に、心の哲学の問題を考えるにあたっても『純粋理性批判』にあるア・プリオリな直観の概念を検討することで前に進めることがある、というようなくだりがあって嬉しかったです。カントによる認識論の転回やこの『批判』が後の思想に多大なる影響を与えたことはいうまでもありません。本書は3大批判とその他の書籍について、近現代の思想にどのように援用されているかが詳しく書かれていてたいへんよいです。『カントを学ぶ人』というより『カントに学ぶ人のために』という感じ。『判断力批判』、ハンナ・アーレントが政治哲学に共通する要素を多く見出しているそうで、そちらも是非読んでみたいなあと思いました。

 

ここから先は自分が読みながら考えていたことなんですが、じぶんはなぜ個別の学問領域を最初から実践的にとりくまずいったん『哲学』の俎上にあげてから個別に分化したがるのか、1冊の本をしっかりと読みこまない(こめない)のか、その理由がぼんやりわかったような気がします。自分はなにか人が『考える』『感じる』『経験する』こととその結果もたらされた事実とその経緯に興味があり、また科学にしろ哲学にしろ、人文にしろ芸術にしろその表現や『問い』が生まれる過程と、その過程で解き明かされることのなかった「あいだ」の問題に興味があるのです。もちろん「あいだ」でさえ、問いの俎上にあげれば問題になり、そしてその「あいだ」もまた何かとの「あいだ」を持っています。1冊の本を、『文脈』を読んだり『書籍』を読んだりすることだけでは自分はその「あいだ」を発見することができない。ありとあらゆる人間の思考をいったりきたりしたい。特に、分岐点までさかのぼって「あいだ」の問いに肉薄しようとすると、必然もういない人の思考にアクセスしなければならなくなる。その簡便な手段として本が未だ他の追随を許さぬ優れたツールなのだろうなと改めて思うなどしました。ひとつひとつ論文を丁寧に読むことも勿論大切なことですし、実践のフィールドを持ち続けることも大事なことですが、同時に自分の中の思考のマップを作るのにやっぱり哲学は便利なんですよね。私は哲学を目的としているわけではないので、そのあたりはたくさん本を読む方が性に合います。観念論や思考の技法も含めるとマインドマップというモデルでは説明がつかなくなる気がします。哲学だけではなく、形而下の諸科学にも文学にも、それを説明する様式が備わっているので。

 

10.科学哲学入門―知の形而上学(中山康雄)

科学哲学入門―知の形而上学

科学哲学入門―知の形而上学

 

ポパーとか読んでみたいけどとっつきにくいなあと思って入門してみました。社会構成主義の流れに第2部全体を割いていたのが意外。哲学史と数学の歩みを絡めつつヴィトゲンシュタインを起点としてクーンまでを説明して、第2部に入る感じの導入が非常にスムーズですが、前提となる知識が結構必要になる気がします。

社会学をするのにエスノグラフィーみたいな文化的・質的なものだけを使うのに非常に抵抗があったので分析哲学ガンガン使って欲しい感じはあります