毒素感傷文

院生生活とか、読書の感想とかその他とか

100冊読破 2周目(61-70)

1.ソーシャルな資本主義(國領二郎

 

ソーシャルな資本主義

ソーシャルな資本主義

 

 

日経が出しそうな本。SNSとかクラウドファンディングとかマーケティングとかリスクマネジメントとか。デザイン関係はつい『モノ自体』に目がいきがちだけど今回は情報に焦点をあてたかったので借りてみた ありがちだけどしっかりしたいい本ですさっくりまとまっているし言葉や例えが平易だし。

クラウドファンディングみたいなマーケティング形態とても興味があったのですが、真面目な本の見つけ方がわからなかったので本書はわりとお勧めできるような気がします。門外漢に易しい。

 

2.ゲーデルエッシャー、バッハーあるいは不思議の環(ダグラス・R.ホフスタッター)

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

 

間違いなくこの100冊のなかでもっとも『お勧めできない』お勧め本。

数学ガール』になぞらえるならこれは『数学BBA』または『数学長老』みたいな本だった エッシャーとバッハが好きなので読めるかと思ったらエッシャーとバッハはテーゼでしかなく、基本的にはガチ数論の本だった。たまげた。ちなみに700ページある。本書を読みにくくさせているのは全編を通して貫かれる言葉遊びなんじゃないかと思う 原著もおそらくとても面白いのだろうが日本語版のため、訳者の苦労たるやいかばかりかと偲ばれる。アキレスと亀のやりとりは、『数学ガール』によく出てくる対話にちょっとイメージがにている。

ちなみに肝心の数論に関してはMUパズルは頑張ったもののpq問題で既に挫折しており高校数学すら(そもそも数IIICやってすらいない)怪しい自分には大変厳しいものがあった けど読ませる力はものすごくあって、最初の数章を超えると自分の好きな展開になっていくので加速がついた。

バッハはオルガンの名手でもあり、対位法に代表されるようなめちゃくちゃ理論的な音楽を書いていたし音楽はそもそもの成り立ちがかなり数学と近い。楽譜は言語のようだが言語というよりシンプルな楽譜は定理の組み合わせにすぎないことがわかる。バッハはオルガンの名手でもありむちゃくちゃ対位法に代表されるようなめちゃくちゃ理論的な音楽を書いていたし音楽はそもそもの成り立ちがかなり数学と近い。楽譜は言語のようだが言語というよりシンプルな楽譜は定理の組み合わせにすぎないことがわかる。そして数論はめっちゃ難しいけど、タンパク質とか遺伝コードの話が絡んでくると基礎の基礎は自分もやったのでそれなりについていける。というかタンパク質とかの3D構造ってかわいいですよね。

数論の自己増殖の話は分子生物学系の話題が出てきて面白いんだけど、神経系統の情報処理と記号論理系=人工知能に関する情報処理がここで結びつく。脳科学とかなんとか下手な本読むよりよほど面白い。

で、ことエッシャーに関しては高校の数学の先生かなんかをしていたと展示会で読んだ気がするがあの人が描く空間は数論的または構造的であると同時に知覚的、メタ認知的でもある メタ認知についての話が出たあとにエッシャーの話に戻ってきてようやく得心がいったといえばまあそうだ。数論を理解できる人はそう多くはないが、エッシャーを観たりバッハを聴いて感心する人は多いと思う それが数論の面白さといえばまあそうかもしれない。そしてこの本はほとんどの人におすすめはできないが、読むのであれば是非読んでいただきたいし理解されている方の話も聴いてみたいと思う。

 

こうやって読めない本を読むのもまた楽しいのはそれこそメタ認知的な観点からというのもあるだろう。なお本書についてざっと『これ知ってる人は有利』みたいなのは
①大学レベルの数学(幾何学、論理学、代数)
②情報処理系
③生物学または医学
音楽理論
⑤哲学
あたりがざっとあれば楽しいかと。ドーキンスの『利己的な遺伝子』も1978年にそれが書かれたというのがなかなかのもんやと思うけど、GEBに関してはまだいまみたいにAIのディープラーニングとか想像もつかない時代にそれを既に理論上で可能にした点がすごいんやろなという気はする。最後になったけど、訳者あとがきが秀逸。

 

3.笑いー喜劇的なものが指し示すものについての試論(アンリ・ベルクソン

 

遠藤氏の『情念・感情・顔』を思い出した あれの副題は『コミュニケーションのメタヒストリー』なんだけど、あれが情念すべてを含んでいたのに対してベルクソンのは喜劇をモチーフにして笑いの社会性と文脈を分析していく。『笑いは苦味を含んでいる』っていう一節がとても好きだ。

 

4.ハイエクの経済思想:自由な社会の未来像(吉野祐介) 

ハイエクの経済思想: 自由な社会の未来像

ハイエクの経済思想: 自由な社会の未来像

 

コミュニティデザインやりたければ経済学ばずして成し得ぬなと思って何気なく手に取りましたが大変よかったです 何がよかったかというと語彙が平易で、かつ自分が今までさくさくと読み進めてきた哲学を全体的な思想史としてハイエクの人となりを説明する背景に用いてくれていたこと。いやハイエク読んだことないのにハイエク読むのもどうかと思うんですけど後半のガーデナーとしての政府のくだりについては自分は諸手を挙げて賛成なので新自由主義的観点というか経済的コミューンの形成にはぜひとも加担していきたい。そして本の最後に訳者のツイッターアカウント書いてあった。若い方だ。

『隷属への道』是非読みたい。

 

5.要約 ケインズ 雇用と利子とお金の一般理論(山形浩生

要約 ケインズ 雇用と利子とお金の一般理論

要約 ケインズ 雇用と利子とお金の一般理論

 

この訳者の名前どっかで見たことあるなと思ったらスタンレー・ミルグラム『服従の心理』とニコラス・ヴェイドの『人類のやっかいな遺産』の訳者だった。ケインズ、名前だけはよく聞くしいっぺん読んでみようと思って借りてきたんだけど内容そのものは要約だしそんなにおかしなことは書いてないしなにより数式になると途端に計算がダメになる私にはこれでもハードルが高いっちゃ高かったんだけどなぜ世の(特に男の人に多いけど)人々みんな投資するのかと思って。投資に関する本は読めたの大変ありがたい。

 

一般理論、マクロ経済学のなかではいま結構見直されているようなので他の本も読んだら色々わかるんやろうか。世界恐慌を乗り越えるために雇用を論じたからには、いまみたいなマンネリ化した経済にも同じことが言えるのやろうか。

 

6.インクルーシブデザイン:社会の課題を解決する参加型デザイン(ジュリア・カセム)

インクルーシブデザイン: 社会の課題を解決する参加型デザイン

インクルーシブデザイン: 社会の課題を解決する参加型デザイン

  • 作者: ジュリアカセム,平井康之,塩瀬隆之,森下静香,水野大二郎,小島清樹,荒井利春,岡崎智美,梅田亜由美,小池禎,田邊友香,木下洋二郎,家成俊勝,桑原あきら
  • 出版社/メーカー: 学芸出版社
  • 発売日: 2014/04/01
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うーん 前の『「インクルーシブデザイン」という発想』のほうがよかったかな。今回はユニバーサルデザイン寄りで、かつUI系といえばまあそうかもしれない。今回は、実際にデザインを当事者を含めてやってみたよ!という実例本。おすすめはしない。福祉環境デザインとかやるならちょっといいかも。本当は読むべき本なんだろうけど…

 

7.テキスト建築意匠(平尾和洋)

テキスト建築意匠

テキスト建築意匠

 

2章と8章がおすすめやで!と人からお勧めされていたので読んでみました。近代〜現代建築の理念、観念の移ろいと実際のデザインについて。なんかこれ1冊で普通に教科書になりそう。空間の観念については自分が今まで読んできた本総ざらえみたいなところがあって楽しかったです。

 

8.社会学の使い方(ジグムント・バウマン

社会学の使い方

社会学の使い方

 

『思考する人間はどんな批判にも怒らない……なぜなら、彼らは自分に怒りの矛先を向ける必要がない上に、それを他人に向けたいとも思わないからだ……思考していれば不幸が蔓延しているときでも幸福であり、不幸の表明という形で幸福を得るのだ』ーテオドール・W・アドルノ 

なんかちょっとタイトルと表紙に惹かれて読んだが、90歳の時に出した対談本。すごいな…。社会学そのものがあまり好きじゃないのでどんなことが書いてあるかなーと思って読んだ 政治哲学、経済学、文学、心理学などなどの統合という感じ。社会学が苦手なので読んだけど、意外とくさみのないいい本。

 

9.波状言論S改社会学・メタゲーム・自由(東浩紀

波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由

波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由

 

網状言論F改があまりに自分にとっていやらしさしかない本だったのでいっそこっちも読んでやると思って読んだ。嫌だったけどこれに関しては一理あるとは思えるし、読んでいてまあ納得くらいしてもいいじゃないかと思える気がした。それは多分鼎談が完全に答えを出しきらなかったからだ。

表象文化論というのが自分にはどうも苦手だ。精神分析と出会うとなお悪い。揚げ物に揚げ物を食べたみたいになる。この本は比較的根茎の部分に迫っていて、パラ読みするによかった。

 

10.新・都市論TOKYO(隈研吾) 

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

 

トーキョーとても好きな都市なので読みました。楽しかったです。でも、本質はヤン・ゲールが『人間の街』で丁寧に解説していたことの繰り返しであったりする。リアルタイムのトーキョーの知覚を言語化するには、いい本です。へたな社会学の本よりよほど社会学だと思う。

新書なのでぱらっと読めるし、東京という街や建築物が好きな人にはおすすめ。森ビルいきたい。

『都市は、迷子になって絶望しないとわからない。そうやって絶望した人間だけが、初めてその都市と裸で無防備に向き合える。その絶望から計画はスタートしなければいけないんです。』ー隈研吾

 

 

100冊読破 2周目(51-60)

1.知の生態学的転回2 技術:身体を取り囲む人工環境(村田純一)

 

 

知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境

知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境

 

結構デザイン系にはいい本かも知れないと思いました。空間デザインとかしはる人にはよい。身体概念を取り扱った1よりかなり読みやすいですが、はるかに知覚寄りの記述です

 

2.意識に直接与えられているものについての試論(アンリ・ベルクソン) 

有名なのは2巻の『物質と記憶』やその次の『笑い』のような気がしますが、1巻は地味ながらよかったです。そもそもベルクソンの位置付けがまだよくわかっていないのですが私の好きなドゥルーズメルロ=ポンティベルクソンについては必ず言及している(ドゥルーズに関してはベルクソンスピノザの研究してる)ので前提条件なのかなと思って読んだのですがまあまあふわっとしていて厄介です。数学の中でも特に数に関する論理、時間概念とかに多少詳しければ違うのかも知れない でも外的知覚に関してはまあそれでよくて内的動機については結構いまの認知心理学とかの先駆けみたいなところもあり面白いっちゃ面白いかな けどメルロ=ポンティのがとっつきやすいといえばそう

 

3.いま世界の哲学者が考えていること(岡本裕一郎) 

いま世界の哲学者が考えていること

いま世界の哲学者が考えていること

 

 

現代思想というより具象的哲学という感じ。

環境、IT、宗教、戦争(紛争)、バイオテクノロジー、資本主義についてのそれぞれの思想展開とこれからの展望をざっと追います。

宗教の項目で、ドーキンスに対してデネットで反論しているところに萌えました。読みやすくていい本だと思います。マイケル・サンデルとか好きならおすすめかも。

 

4.社会構成主義の理論と実践ー関係性が現実をつくる(K.J.ガーゲン)

社会構成主義の理論と実践―関係性が現実をつくる

社会構成主義の理論と実践―関係性が現実をつくる

  • 作者: K.J.ガーゲン,Kenneth J. Gergen,永田素彦,深尾誠
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本
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社会不適合者なので読んでみたものの社会構成主義というか社会心理学の本であり、結構広域心理学なのに行動心理というよりナラティブ寄りのやつは苦手なので終始苦手だなあと思いながら読んだ。悪くはないだろうが私には早かった(合わなかった?)

 

5.貧困の基本形態ー社会的紐帯の社会学(セルジュ・ポーガム)

 

貧困の基本形態―社会的紐帯の社会学

貧困の基本形態―社会的紐帯の社会学

 

わりと自分にとっては新しい形の公共であり都市論であるような気がします。スティグマとしての貧困ではなく社会における要素としての貧困、捉え方は悪くはないなと思いますもうちょっとコミュニティデザインのこと考えたらこの辺にいきつきそう。

 

 

6.意思決定理論入門(イツァーク・ギルボア)

 

意思決定理論入門

意思決定理論入門

 

結構数学的な本でした。マネジメントに関するもの。モンティ・ホール問題とか出てきて面白かったです。意思決定というか制度に使えばなるほど功利主義的になるのだろうと思う ロールズの述べた限界効用の逓減とか確かに理論的ではあるけどしかしこの本一歩先を行っていた 『集団内における相関関係』がそれ。理解できたとは言わんが納得はできる。ただどこまでの範囲に適応できるのかはわからんな

 

7.貧困とはなにかー概念・言説・ポリティクス(ルース・リスター)

ロールズ読むならこういう本も読みたいなあと思って読んだ 副題の概念、言説、ポリティクスっていうのが要するに全部なんだけど網羅的で読みやすいので貧困の社会学をやりたい人におすすめの一冊であると思う

ゴッフマンの『スティグマ社会学』の実践版という感じである。好きだったのはやりくりという個人的・生活的行為を、政治的・戦略的行為に転換していくという点 私が好きなのはトップダウン方式なんだけどボトムアップのエンパワメントもやる人はすごい。

こと貧困という問題において当事者をエンパワメントするのはめちゃくちゃ難しい やっていると多分すごく骨が折れるし草臥れる それでもボトムアップでの政策的アプローチが1番直接的に本人たちに利益を還元すると思う

 

8.知の生態学的転回3 倫理:人類のアフォーダンス河野哲也

これシリーズになっていて1-3まであるんだけど、身体―技術―倫理とどんどん話が広がっていく まるで内藤廣氏の『デザイン講義』シリーズ、建築―環境―形態の転回のように。後者は真ん中がいちばんしっくりきたのだけど、前者は本書である『倫理』の号が一番よかった。身体の知覚、エンカウンターとしての身体とか他者という身体のふるまいに呼応する自分の身体って考えると環境とか構造への興味はわりと不思議ではないものになる気がする けどいまだに建築あるいは環境と自分の仕事についてのあれこれは話をまとめられそうにない

 

 9.自由からの逃走(エーリッヒ・フロム)

 

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 

社会心理学から出発して個人の次元に落とし込んだような言説だった 実際に古くはルターに始まり、近くはナチズムについてまで手を入れたうえで社会的な個人についてその自由の所在と倒錯の性質を分析していくような感じ。マゾヒズム-サディズムの解説が自分には結構よかった

サディズム的人間は、かれが支配していると感じている人間だけをきわめてはっきりと『愛し』ている。ーエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

 

10.負ける建築(隈研吾

 

負ける建築

負ける建築

 

建築史は全然詳しくないのと観念論的なのがあまり得意ではないのでしっくりはこなかった。ただこういう本をなんとなくたくさん読むことで都市論や建築デザインの変遷を知ることができるのは結構楽しい

 

 

未完成の構造と営為―臨床の知覚から

100冊読破を進めるうち、自分が結構なキャパシティを『知覚(あるいは認知)』、と都市論・建築デザインに割いているのだなあと思ったのでここらで一考まとめておきたいなと思います。なぜ看護師である自分が建築や公共性のデザインに興味をもったか、それは日常にどのように反映されているかということについて。それから、そのふたつでどうしても拭い去れない主体的な営為の問題について。

 

 

 

臨床の知覚とはなにか―環境の理解?

私は既に患者ではなく医療者なので、そちらが主の視座になります。

1年目であった去年、入職して徐々に仕事に慣れていく中で、こと『臨床』という大枠について考えることが何度もありました。それは臨床の環境について。

 

かのナイチンゲールが原点である看護理論については人間/環境/健康/看護が主眼になって展開されますが、基礎ではあれどあれが最後ではないと自分は思っています。かといってロイ、トラベルビー、レイニンガーなどがすべての解決策かというとまったくそうでもない。ましてヘンダーソンやゴードンに関しては、完全に実務型(問題発見⇒解決型)であると言わざるを得ません。便利ですが、便利ゆえにそれだけに頼りたくなるので注意が要るなあと思わされるのです。ではそういう小さい話題を逸れて本題へ。

環境とはなにか

人的環境、物的環境、その動力学、自分たちの身体というデバイスが知覚にもたらす影響、時間軸・・・などなど。

①人的環境

臨床に来て思ったのは、人的環境に(自分が)慣れるのってとても大変だなあ、ということでした。学生実習もかなり長期にわたって行っていましたが、アウェーであるかホームであるかの違いはかなり大きいです。今から現場にいらっしゃる方にはぜひここを熱くお伝えしておきたい。

では人的環境とはなにか?平たくいえば、その「場」にいる人間のキャラクター、職種ということにでもしておきましょうか。

現場、自分のいる場所では刻一刻と状況が多変数的に変わっていきます。そのときにどの人間がどういう動きを「すべきか」はともかく、「してしまうか(パーソナリティの問題)」その時どういう振る舞いであるか、どういった結末を招くか、などは結構自分にとって重要な情報でした。

例1)緊急事態には強いが日々の仕事がちょっと杜撰

例2)残業してでもきっちり記録を書くけど、イレギュラーな事態に弱い

例3)ちょっとした報告や依頼を伝えづらい他職種(よくある)

など。勿論これだけではありませんし、自分の働きやすさと勘案してどうかということは今は問題にはしません。

自分が病棟という環境で働いていると、その時々の「スタッフの顔ぶれ(総合的な力量)」は結構見えてくるような気がします。勿論他職種も含めてです。そしてこの結果は、最終的に患者の利益に影響します。

 

②物的環境

これに関しては光・気温などでよいのですが、こと臨床においてはモノの配置が結構ものをいいます。一瞬で次の場所へ正しいものをつかんで飛んでいかなければならないし、モノの配置・建物の構造なんかはいちいち自分の行動に影響します。臨床でも口にする人は多いです。

 

③動力学(人とモノのふるまい、ダイナミクス

我々は忙しく立ち回り、動いています。人間ひとりひとりが全員そうしているので、①に従って今誰が何をしているだろう?という想像力や事実の確認はかなり訓練された気がします。というか、それができないと今私は働き続けられていないような気がします(これが認知できない人がドロップアウトしやすいな、となんとなく思います)

 

④身体というデバイスが知覚に及ぼす影響

当たり前ですが、自分たちは人間なので、自分の身体を通してしか情報を手に入れることができません。残りのことは、脳内で想像のすえに処理されています。

目の前で点滴を作っていれば清潔準備室という環境に身を置いていてその場所に最も詳しいし、ベッドサイドにいればその時間その場所には最も詳しいわけです。このあたりはあとで詳しくいきましょう。

 

⑤構造の解体と時間軸

システムのダイナミクスとしてはこれが1番臨床にいて楽しいことではないでしょうか。組織の一部として活動すること。

自分の一部を解体したり、要素化して他人の要素とすり合わせること。ここでいう他人とは、対象ではなく同業者のことです。

自己知覚が鋭くできている人間は、肉体をもって個体の区別を成して他者との境界を明白にしています。それをわざと要素にして分解する。そして他者の持ち物と馴染ませる。

そういうことの繰り返しで自分は臨床に慣れていったような気がします。勿論、他者を見ていて要素化したところで自分と持ち物が違うこともあります。というか多々あります。ので、そういうときはすんなりと諦めて、場当たり的に技術の真似をする。パターン化するので必ず持ち主本人より優れたものは出来上がらないけれど、持たないよりずっとましだ。

そうやって自分の特異性を崩していく。

 

なんで時間軸が大切になるかというと、焦るからです。焦らされるとどうしても人間、本性が出ます。そのむき出しになった本性を内省して、解き明かして、という行為を延々と繰り返す。正直しんどいしあまりやりたくはない。けれど、リアルタイムだからこそ表に露出しやすいものというのはあるんです。それ故に臨床は楽しくてとてもつらい。

 

実はここまでの記事はかなり以前に書いたもので、つまり最初と最後が全然かみ合わないんです。

こっから都市論と建築デザインにつなげるなんて到底無理でした。

というわけで、『営為』の前提としてこの記事をあげておき、あとは全部つぶやきに流そうと思います。

100冊読破 2週目(41-50)

1.日本のシビックエコノミー―私たちが小さな経済を生み出す方法(フィルムアート社編集部)

日本のシビックエコノミー―私たちが小さな経済を生み出す方法

日本のシビックエコノミー―私たちが小さな経済を生み出す方法

  • 作者: 江口晋太朗,太田佳織,岡部友彦,小西智都子,二橋彩乃,紫牟田伸子,フィルムアート社編集部
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2016/02/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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馬場正尊氏の『公共空間のリノベーション』とかなり似た形だけどこれはNPOがやっている事業にスポットしたかたちのもの。つまり場所ではなく活動そのものについての書き物。読み物としてかなり楽しいからぱらぱら読む程度でいいと思う 書いてあることの実際はかなり面倒くさいのでやろうと思うと大変だしこれ1冊で何かを学んだ気になると痛い目に遭うと思うけど、都市の片隅で何が起きているかを理解するのは楽しい。

 

2.図説 都市空間の構想力(東京大学都市デザイン研究室)

図説 都市空間の構想力

図説 都市空間の構想力

  • 作者: 東京大学都市デザイン研究室,西村幸夫,中島直人,永瀬節治,中島伸,野原卓,窪田亜矢,阿部大輔
  • 出版社/メーカー: 学芸出版社
  • 発売日: 2015/09/04
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 ヤン・ゲールは都市空間におけるある一点の人間の滞留について書いてたけど、都市そのものとなると人間の対流が問題になる気がする。どれだけの人間が浮動しているかというか、まあそこでインタラクトがなければ意味がないので滞留に焦点を当てたのだろうけど。弘前の禅林街や小倉城址の周りの建築の発展とか、身近な都市の発展経路とかその目的がさくさく解説されて小気味よいです。

 

3.暴力の人類史 下(スティーブン・ピンカー

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

 

これに関しては色々衝撃がありまして単独の記事を書きました。おすすめです。

暴力の人類史:内省・自律・希求 - 毒素感傷文

 

4.現代建築家コンセプトシリーズ(5冊:長谷川豪、藤本壮介藤村龍至、タクラムデザインエンジニアリング、安東陽子

長谷川豪―考えること、建築すること、生きること (現代建築家コンセプト・シリーズ)

長谷川豪―考えること、建築すること、生きること (現代建築家コンセプト・シリーズ)

 

 

藤本壮介|原初的な未来の建築 (現代建築家コンセプト・シリーズ)

藤本壮介|原初的な未来の建築 (現代建築家コンセプト・シリーズ)

 

 

  

『takram design engineering|デザイン・イノベーションの振り子』 (現代建築家コンセプト・シリーズ18)

『takram design engineering|デザイン・イノベーションの振り子』 (現代建築家コンセプト・シリーズ18)

 

  

安東陽子 テキスタイル・空間・建築 (現代建築家コンセプト・シリーズ vol.20)
 

1冊ずつではちょっと情報量的に不足があるかな、と思って今回購入した5冊を1冊換算にしてみました。建築に関しては色々思うことがあって、また別の記事にしようと思います。まだ書けていません。

 

5.氷河期以後 下-紀元前二万年からはじまる人類史-(スティーヴン・ミズン) 

氷河期以後 (下) ?紀元前二万年からはじまる人類史?

氷河期以後 (下) ?紀元前二万年からはじまる人類史?

 

上巻読んでから結構な時間が経ってしまったのですがとうとう読み終えることができました。本としてかなり読みづらい、というか分厚くて大変です 地理学もしくは考古学に秀でていなければ難しいと思います(自分にはかなりきつかった)何故読み切ることができたかといえば、多分知覚に寄っていたから。

味覚、視覚、触覚、情景、ありとあらゆる知覚に沿ってものごとが書き添えられていくのは考古学だとか人類学にはなかなかない観点かなと思います。副題をつけるなら『知覚の人類学』か『葬礼と芸術の歴史』という感じ。

人間の知覚はいつの時代もあったはずで、そういう点においてダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』で補いきれない部分を補填してくれたように思います。文化人類学に興味のある人、あるいは哲学の中でもレヴィ=ストロースとか読む人にはお勧めかも知れない。私はこれ読んで『野生の思考』読みたくなりました

 

6.人類のやっかいな遺産──遺伝子、人種、進化の歴史(ニコラス・ウェイド) 

人類のやっかいな遺産──遺伝子、人種、進化の歴史

人類のやっかいな遺産──遺伝子、人種、進化の歴史

 

予想以上に不真面目な本だったので真面目に読んだ。『人種』の存在と経済的・学術的な発展の関係についてさくっと喋る本。なお要注意。めっちゃ読みやすいけど、あまり本を読まない人が読んで浅く鵜呑みにすると完全に恥をかく。本書で取り沙汰されるなかで私が読んだことがあるのはダイアモンド『銃・病原菌・鉄』とピンカーの『暴力の人類史』、マルクスの『資本論』だけだったけど、いずれも引用方法を誤っている。述べられているのはそのようなことではない、が、あえて人種というナンセンスな線引きに着目するのもアリだ。本をよく読む人や、論文を読み慣れている人にはちょっとだけオススメできる(読み物程度に)。それは人種という峻別方法のナンセンスさを改めて感じるために、という意味でだけど。結構面白いしすいすい読める、すいすい読めるからこそ危険。

 

7.八本脚の蝶(二階堂奥歯

八本脚の蝶

八本脚の蝶

 

これはものすごく、自分にとってよい本でした。色々考えさせてくれました。

別に記事を書いています。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』:生命への言祝ぎについてのあれこれ - 毒素感傷文

 

8.見えるものと見えざるもの(モーリス・メルロ=ポンティ

見えるものと見えざるもの 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

見えるものと見えざるもの 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

 

 科学は知覚の信憑を前提するものであって、これを説明するものではない

ドゥルーズ読んだときにも少し思ったんだけど、近代-現代思想においてこと観念的なものはかなり大きく転回しているし、著者の生きている文脈も変動していて読み込みにくい。以外と古典の方が観念には馴染みやすかったりする。特に情報網の発達に関してはマクルーハンの世代から180度くらい発展しているわけで、そう思うと1周回る前の古典のほうが親しみやすいのもやるかたなしという感じはある。ドゥルーズとかその少し前のメルロ=ポンティとかの思想が夢見た発展は1980-90年代にかけて一瞬で過ぎ去ってないか、と思うわけで。

 

サルトルのいう即自-対自存在に関する補講という感じで読むことができました。別に否定はしていないと思う(批判はしています)

メルロ=ポンティの絶筆だそうで、その後の構想だけの研究ノートがたくさんあるのが読んでいてたいへん面白い。シューベルト交響曲7(8)番『未完成』みたい。その2つでもう完成しているような気もするし、続きが読みたいような気もするし。

見えるもの=表象、即自存在 見えないもの=対自存在、空間 とするのが正しいかどうかはわからないけど、イメージとしてはそのように読みました。『眼と精神』とかも読みたい。

 

9.ジョルジュ・バタイユの反建築―コンコルド広場占拠(ドゥニ・オリエ)

ジョルジュ・バタイユの反建築―コンコルド広場占拠

ジョルジュ・バタイユの反建築―コンコルド広場占拠

  • 作者: ドゥニオリエ,Denis Hollier,岩野卓司,石川学,神田浩一,大西雅一郎,福島勲,丸山真幸,長井文
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2015/09
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バタイユが嫌いなのかニーチェが嫌いなのかわからないけどやはりあまり好きではないことを感じた。建築に関しても爛熟の時期があるように、哲学、特にペシミスティックな哲学に関しても爛熟の時期があると思う。バタイユに関しては自分の中ではその位置づけにあると思っていて、だから読むのが苦手で読んだことがない。けどバタイユについて論じた本を読んだからにはいつかバタイユも読まなければならない気がする。

 

10.コミュニケーションのアーキテクチャを設計する―藤村龍至×山崎亮対談集(藤村龍至) 

ケアの概念に近い。これ1冊読んでどうにかなるわけではまったくないけど、いや楽しかった エンパワメントという言葉を建築のひとから聞けると思わなかったから。自分たちは仕事をしていると当たり前のようにエンパワメント、セルフエフィカシー、レジリエンスといった概念を扱うのだけども、よく考えたら建築関係の方には最後のひとつ以外はあまりなじみのないものなのではないかなという気がする。かなり発展的、というか。

もうちょっと、建築デザインにアプローチしていきたい気がする。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』:生命への言祝ぎについてのあれこれ

こわがりでよわいのはかまわない(仕方がない)が、楽になろうと力任せに何かを定義してはいけない。ー二階堂奥歯『八本脚の蝶』p100

 

八本脚の蝶

八本脚の蝶

 

Twitterで読書評を書きまくっていたら、とあるひとが勧めてくださって、読みました。本当にありがとうございます。いい本でした。

本書はブログ記事の再編です。編集者として短い生を生き、そして25歳で自殺した彼女のウェブ上の生を、自分が25歳であるうちに読みたいなと思って読みました。

 

今回は完全に感想なので、徐々に自分の話したいことだけになっていくことも、医療者としては多少不適切な思考が混じることもお赦しいただきたいなと思います。

 

先ず目につくのは他の人も書評で述べていたその圧倒的な読書量、そして引用の多さ。特に哲学(主に言語哲学系、神学批判的なものが多かったです)と耽美的世界観は彼女の生きていた世界の知覚を思わせます。

どうしても最期に自殺をしたというその一点が目に付きますが、生きていた彼女は身体感覚に、ジェンダーに苦しんでいました。私は私以外の人間がそれに苦しむさまを見ることで、それから逃れることができましたが、彼女は真向から向き合っていたのでそれはそれは苦しかったろうと思います。

 

自分は小さい頃、あまり本をそうたくさんは読みませんでした。そして耽美や身体への歪んだイメージはあくまで歪みとして捉えて、生育的、健康的な生命について考えるために医療職になりました。まあ楽に安く学べたからというのも大きいですが。

 

自分が勝手に思う彼女からは、完璧主義者的性質、奔放で天衣無縫で天邪鬼、そして目に余る衝動性の高さが伺えました。
岡崎京子への多大なる共感、服飾や化粧品への興味などから、ストイックなまでの美と身体の制御への志向性もみられます。恐ろしいほどに。その感覚は『わかる』のです。わかるというと語弊があるでしょうが、まあそうとしか表現できぬものなのです。

 

彼女は同じく読書家であるひとと出会いますが、最期のほうにメールのやりとりをしていました。自分が好きであったものをひとつ。

正面から雄々しく戦ってはならない。負けろ。

(中略)

じぶんの魂に誠実であってはならない。

魂を売り渡して生きろ。

醜くだ。

逃げ道はある。

逃げなければならないものから逃げ出すんだ。

立ち直るな。

退却しろ。

 

あなたは敗北したのだから。

退路を探すんだ。

 

ーp369

 

 

逃げて負けて生きる。生活する。

鮮烈なまでの生命であったな、と自分自身の往時を思い出すことができます。今でも。

ここからは書評や感想よりも自分の考えがメインになります。

 

自分は17歳のとき、自分の魂を売りました。

負けました。見事に、ぽっきりと折れて。

生きるのがつらく、耐えかねて、自殺しようと何度も考えました。懐かしいことです。いま自分は25歳まで、なんとかかんとか生きています。すごく嬉しいことに、希死念慮を抱くことはもうほとんどありません。さらに嬉しいことに、手堅い職があり、職場に恵まれたので仕事も楽しく、知己とも楽しい交流があり、生きていくことができています。もうすぐ26歳です。あと数日で。

 

8、9年前、そんなことに思いが及んだでしょうか。

 

己の生命を肯定することさえできずに、魂から否定されて、肉体を潰してしまおうとずっと考えていました。死にたいというよりは、己を殺してやろうと、文字通り自殺しようと毎日思いましたし、その思いは社会生活をままならなくさせましたし、当然心の病気になり、そのあと数年の療養を必要としました。

 

この本を読んでいると、勿論自分とは違いますし、むしろ自分の周りにいる人間に似ているなあと思うこともままありました。

でも、今も生きている自分がいくつか、考えたことがあります。

『負ける』(逃げる)こと。

『生活する』こと。

『生命を肯定する』こと。

 

負けること

メールの文面にもありましたが、負ける(逃げる)ことは大切なことです。

私は(彼女も、かもしれませんが)己の意志によって己を否定してしまったがために病気になってしまったと今でも思っています。それは自分のせいとか、弱さとか、そういった問題ではありません。物事の考え方、捉え方、心の反応が、すでに外界に対してそのようにできているのです。それをマインドフルネスだの、カウンセリングだので根本的にどうこうすることは今やまったく望んでいません。適切ではないからです。

魂がそのようであることは、良いことでも悪いことでもありません。他人は自分より生きやすく、たいそうまともで、立派かも知れません。でも、それで構わないのです。自分の体は、知覚は、他人にどうこう言われても言われなくても自分だけのものでよいのです。他者からの肯定など必要せずして既にそれで一個の完璧な個体なのです。だから、瞬間的に完璧でなくてもよいのです。彼女の言葉を借りるに、『私という物語』は勿論本人の手で終わらせてもよいのですが、潔さだけが生命ではありません。それは文脈であり文学です。文学は、決して、目の前で活動したりはしない。個体は個体を維持するあいだ、汚くても醜くても、そこに完璧なものとしてあることができます。

 

生活すること

逃げた先にあるのは、ただ生活です。生きるというそれだけの営為です。

彼女の文面からは、あまり生活が出てこない。なぜなんだろう、と思います。

綺麗なものしか綺麗じゃない、なんてことはないのに。

 

療養する2-3年の間、最初の1年はほとんど寝たきりで過ごしました。食事も殆ど喉を通らず、うまく眠ることもできず、自分の人生に負けてしまったことがつらく、将来が怖く、ほとんど毎日泣いて過ごしたことを覚えています。引きこもっていたわけではありませんが、外に出るのがつらくて単純な用事をする以外は家で引きこもって過ごしました。それが生活。

次の1年、少し働いたりするようになりました。ほんとうに少しですが。やはりそれ以外の時間は寝たきりで、つらさを抱えたままで、食も細く生活は不規則でした。ただ、美味しいものを少しだけ美味しく食べられるようになりました。この頃になっても相変わらず涙もろく、なにかつらいことがあるとすぐに涙が出てきましたし、希死念慮は止むことがなかった。ただ、そういう毎日を繰り返すことができるようにはなりました。

 

この『なんでもない毎日の繰り返し』が大変になったら、休んで逃げるべきだな、と自分は思います。反対に、生活ができなくなったとき、最初に取り戻すのは可能な範囲での『なんでもない毎日の繰り返し』だと思います。それはただ、最低限流動食でもいいからエネルギーをとり、できたら歯を磨いたり風呂に入り、あとは眠ることです。それができたら、かなり上出来だと思います。他人に頼ってもいいし、ジャンクフードでもいい。1日3食なんてどうでもいい。喉を通ったら、素晴らしい。

 

私はいまは人の生活をそうやってマネジメントし、介入することを生業にしていますが、それは偶然であり必然だとも思っています。当たり前のことを行うのはそれ自体が既に奇跡に近い。

 

生命を肯定すること

精神分析学、実存主義哲学の方面で有名なV.E.フランクルの自殺に対する見方は結構峻厳です。それはキリスト教的世界観からの自殺を罰する見方ではなく、生命の否定を否定するというものです。

私も実は同じ考えをもっていて、しかしその考えは自分の自殺を否定するためにしか用いません。いまを生きることがつらく、いつか自ら死ぬことをなんとか心の支えにしている人間の命綱を切ってはいけないからです。

 

ただでも、彼女にしろ、すべての自殺した人にも、すべての自殺しようとしてできない人にしろ、死ぬことについて考えたことのない人にしろ、病気やほかの理由で今にも死にそうな人にしろ、『死』というその瞬間までの生命を(そしてその物語を)自分は言祝ぎたいなあと思うのです。それは倫理的な観点からではなく、個体が生命を伴い生きているというその営為がそれだけで既にうつくしいからです。

 

自分は二階堂女史ほど、物語を好みません。耽美に傾倒することもなく、むしろ物語は日々の生活や労働の片隅に潜んでいます。それを読み取るのが密やかな日々の楽しみです。

 

終わった物語を惜しむのは性に合いません。終わったにしろ終わらなかったにしろ、現在進行形にしろ過去形にしろ、生命は生命なのです。終わりが自殺にしろそうでないにしろ言祝ぎたい。そして自分自身は、いつか死ぬその瞬間まで生きていたいなあと思う。

 

この本、とてもよかったです。

暴力の人類史:内省・自律・希求

 

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

 

 

 

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

 

読みました・・・なんかノリで読み切ってしまって大変疲れました。

ぶっちゃけ今苦しんでいる問題を下巻でかなり抉られまして、自分としては予想外の打撃で今SAN値がピンチです。

 

本の概説

前半を読んだのが半年前なのでちょっと記憶が薄れてしまったりしているのですが、大まかなところとしてはマシュー・ホワイトの『殺戮の世界史』をより統計的に多方向から(そして分析的に)詳らかにしていく感じです。前者については読みやすくはありますし、世界史概観的によいので楽しいのですが、暴力の人類史は結構本としては読みづらいです。話があちこちに飛びますしいろんな概念を必要とします。

 

ダメージの内容

下巻で自分はなぜこんなにダメージをくらってしまったのか?と、ちょっと自分でもびっくりしました。突然、統計的・世界史的な観点から心理学的(特に実存的)観点に飛び火したからでしょうか。

殺人は数です。テロにしろ、戦争にしろ内紛にしろ、毎日目の中に飛び込んでくるニュースは数と、隔たりのある距離を伴ってしか報道されません。それでも自分は昔結構、傷つきました。なにに? どこかで傷ついている「誰か」そのものの存在に、です。

 

本書下巻では「共感」について触れられている章があります。

中盤は飛ばしますが、途中に「共感はすべての問題を解決しない」とあって(まあその文脈は諸々あるのですが)膝を打つと同時に、あの絶え間なく降ってくる「共感の連鎖」みたいな苦しみを思い出しました。

共感(の前段階のミス、同一性の過剰と言い換えてもよいのですが)することは問題解決の手法としてあくまで能動的に選択するものであって、無意識に起こると面倒以外の何物でもないのです。共感性の向上が一時的な暴力の(総数の)減数に寄与したとしても、それはゼロではなく、むしろ『暴力の矛先の選別』にしかなりえないのだと思うのです。つまり『こいつなら殴ってもいい』という。実際に拳が振るわれるとは限りません。社会的な迫害かもしれないし、迫害に至らないまでも疎外かもしれません。あるいは問題の軽視、無視、軽侮かもしれません。

 

自分はどうしても共感(あるいは接続)過剰な職場にいますから、結構意図しない感情の伝播に日々疲れています。空気を読みすぎたり、読まれすぎたり、いっそ読まなくてもいい文脈を読んでしまったり読まれてしまったり。それは対象との間でなくとも、同業者間でも行われます。自分はときどき、空間的に分断されたい気持ちに襲われます。まあそんなことかなり前からなのですが。

 

それはいいとして

で結局暴力の出どころはどこなのよみたいな話にも言及していくのですが、それそのものの話題じゃなくて自分は『自制』のくだりでぶん殴られてしまったのです。

自制すること、自律・節制をよしとしてきましたがその実この1年ほど自分の身に降りかかってきたのはその2項によってもたらされる心身の安寧からは程遠くてですね、つらくてつらくて本ばかり読んでいたわけです。そしたら読んでる本に殴られた。

自制というものは抑圧とは違うんですよね、当たり前のことながら。

自分は抑圧することは上手にやりますが自制(セルフコントロール)に関しては本当に上手じゃない。だから時々爆発するし、以前においては病気になったりすったもんだしたので、抑圧は極力避けようとしてきたのですが。

これは個人に関する話のことで、世界的にみたときの暴力の減数を自制心の向上(個人レベルではそうで、社会的には公正とか道徳の向上ですが)とするならば、自分はまったく社会に寄与してないじゃないかとなんとなく曲解してしまいまして自分のメンタルが突然ダメージをくらったのです。

共感過剰な人間が社会における暴力の問題を必ずしも解決するわけではないということに同意しておいて、自制のきかない同一性過剰(過共感とでも呼べばいいですかね)を振りかざしてしまうとやはり自分自身も暴力装置たりえてしまうのではないかという不安がぬぐえないわけです。

それは正義の押し付けであったり他者に自己の抑圧を強制することであったり。今も自分が恐れていることなのですが(もっともそんなに力を持っていないので特になんの意味ももちませんけど)

 

そんなわけでちょっとした自分の長年の根源的な不安に触れてしまいちょっとつらかったというお話。

 

平和(安寧)への希求について

本書中ではベンサムとかミルとか功利主義に深く触れていますが、それはあくまで『暴力の調停』を目的としたときのことであると思います。つまり社会制度とかにおいて優れているとかそういう話でないと前書きしておいて。

自分は結構気に入ったのですが、暴力が行使される場合とそうでない場合において「そうでない場合のほうが長期的に考えると価値(利益)がある」という見方がとても好きです。正しいとかいつもそうされるべきかどうかはまた別にして(できたらそうあって欲しいですが)、短期的な利益よりもできたら長期的な利益を、たとえば公益性を希求するほうにシフトしていきたいのです。そして、長期的な価値の観点を外さずに、短期的な利益のなさゆえに誰かが自分自身を傷つけることがなければいいなと思ったりもします。まあ最後のひとつについては本書の内容からは大きく逸れるので本当にただ読みながらぼんやり思っただけなんですけどね。

 

自分の存在の存続に関する大きな指針は『銃・病原菌・鉄』『利己的な遺伝子』に代表されるのですが、『暴力の人類史』もよかったです、死にたい人におすすめです(どんな宣伝なんだ)。

100冊読破 2周目(31-40)

1.現代都市理論講義(今村創平)

現代都市理論講義

現代都市理論講義

 

都市理論の潮流を俯瞰しつつ、都市構造についての概説もしてくれる本。何より読みやすいのも魅力。

未だにジェイン・ジェイコブズの本は読んだことがないのですが、彼女の都市理論における立ち位置がかなり明確になったように思います。自分は近代都市理論よりはすでに現代都市理論にどっぷり浸かっているので、この本の方はたいへんによかった。

 

2.ホモ・サケル-主権権力と剥き出しの生(ジョルジョ・アガンベン) 

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

 

『裸性』が好きだったので読んでみたのですがわりと限局的な本でした。政治的文脈、とくに虐殺や倫理的境界のまだ定まっていない領域における身体の権利についてという感じ。往時におけるいのちの定義がみえるような本です アーレントはわりと批判されている…

 

3.進化する都市:都市計画運動と市政学への入門(パトリック・ゲデス)

進化する都市: 都市計画運動と市政学への入門

進化する都市: 都市計画運動と市政学への入門

 

タイトルに惹かれて読んだけど初版が100年前の本でした。こちらは現代都市理論ではなく近代都市理論。産業革命以降都市計画がどんな風に実施されたかを、イギリス・ドイツをモデルに展開していく。計画的な都市のメタボリズムとジェントリファイがなされるわけですが、アンチ・ジェントリフィケーションともいえる現象がおきる。

それが大都市圏におけるスラムの発生と公衆衛生の危機なんでしょうが、合目的的に行われるジェントリフィケーションについてはかなりむかしによんだニール・スミスの『ジェントリフィケーションと報復都市』の方がよほどわかりやすいし読みやすい(地域限定的なのでそういう読みにくさはありますが)。

なんというか、古き良き古典。

 

4.リアル・アノニマスデザイン:ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア(柳原照弘)  

リアル・アノニマスデザイン: ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア

リアル・アノニマスデザイン: ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア

 

わくわくしながら読めました!日本の若い人のためのデザイン読本、っていう感じがあります。対談集ですが、『批判的工学主義の建築』の藤村龍至氏がインタビュアーだったので嬉しくて読みました。なかなか面白かった。プロダクトデザイン・都市(建築)デザイン・メディアに関わる人たちが何を考えどう関わってきたかの軌跡。

私が読みたかったのは建築デザインのところなんですが他の部分もまあまあ楽しいです。強いて言えば、やっぱりメディアを扱う項目はふわっとしがち。

 

5.死すべき定め-死にゆく人に何ができるか(アトゥール・ガワンデ)

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

 

これに関しては別記事を書きました。

構造をほどいていく-緩和ケアについてのあれこれ - 毒素感傷文

 

6.存在の大いなる連鎖(アーサー・O.ラヴジョイ)

存在の大いなる連鎖 (ちくま学芸文庫)

存在の大いなる連鎖 (ちくま学芸文庫)

 

観念史というものを初めて読んだなと思ったがよく考えたら『情念・感情・顔』もそのひとつだったと思う。正直に申し上げると不学にして通読したところで99%理解できていないと思う。素地になる文学にも科学にも哲学にも私はなにひとつ精通していない。

ただ通読するとなんとなく見えてくるものというのもあって、いつもそれを楽しみに、また恃みに、難しいなと思っても読む。今回は歴史の中に横たわる文学の中の哲学、またはその逆、神学からの哲学の分化と宗教学の学問化、科学哲学の源流をみたようで楽しかった。

何よりも楽しいのはそれが現代思想における脱構築的解釈に直結していることだと思う 構造主義的解釈のほうが無論理解はしやすいのだけど、脱構築的著述というのはまさしく『その構造の中に横たわる観照』に役立つ。構造主義脱構築的発想は決して矛盾しない、両輪回して意味のあるものだとも思う

コペルニクスの地動説もダーウィンの進化論もスピノザのエチカも今となっては事実であり前提になるので誰もその文脈を問うことはない けれど文脈の問い方を知らなければ今の先にまた新しく意図的な文脈を作ることも難しいように思う

 

7.ポストモダンを超えて:21世紀の芸術と社会を考える(三浦雅士) 

芸術に対し近年されるようになった身体性の賦与と、それから参加の原理に関してまだもやもやしていたので読んでみた まあ何か解決するというわけでもないけど読み物としては楽しい。

まあ似たような話の焼き直しを見ているようなものなんだけど、どちらかというと脱構築的なものの見方すると論点が崩れがち。悪くないとは思うけど、言いたいことを納得させたいなら普通の筋を通した方がいいとは思う 内輪の納得という意味では網状言論F改と似てるけど、こっちのが倍はまし。

 

8.後美術論(椹木野衣

後美術論 (BT BOOKS)

後美術論 (BT BOOKS)

 

『反アート入門』がわりと面白かったのでこの人の本2冊目なんですが、読まなきゃよかったと後悔した数少ない本のうちのひとつ。まあ1950-80年代くらいのメインカルチャーカウンターカルチャーについて知りたければ読んでも悪くはないという程度。

 

9.スティグマ社会学-烙印を押されたアイデンティティ(アーヴィング・ゴッフマン)

スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ

スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ

 

新しく知ることは多くなかれども、こういう解釈の仕方嫌いではない。

自分が臨床で毎日向き合っていることは、病院の外に出るとこういう現象なんだなあという解釈になります。他者の知覚を我が物にしたい。

 

10.外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か(白井恭弘)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

 

特に第二言語に興味のない人もある人も読めると思います!理論的というか構造化されていてわかりやすいし納得いくエビデンスもあって自分は大喜びできた。英語をやるやっていきが出てきた。